――――突然、頭上から死体が降ってきた。
凄惨な初対面
驚く暇もなく次々と降ってくる死体、死体、死体。あと数センチずれていれば頭蓋骨直撃コースの。
ぐしゃりと嫌な音を立てて潰れたソレから、赤く生暖かい液体が周囲に飛び散る。
数秒の出来事に声を無くし、……次の瞬間、猛烈な吐き気に襲われ俺は一歩後ずさった。
マフィアになってから十年弱―――とはいえ、事務作業ばかりしていたのでこんな間近で死体を見るのは初めてだ。
現実感のない光景。地面に広がる血液。光を失った幾つもの瞳。噎せ返るような、臭い。
(最悪だ……このスーツ、奮発して高い奴を今日に合わせて卸したばかりだってのに)
身体のあちこちにこびり付いたものだけが、これは夢ではないと証明している。酷く冷静な思考がどこかおかしかった。
そうしてこみ上げる衝動を辛うじて堪えた俺は、今“彼”が居るであろうその場所をゆっくりと仰ぎ見た。
「………秘書?」
あまりの突飛な命令に、俺は思わず尋ね返した。本家当主が相手だということもすっかり忘れて。
分家の下っ端である立場の自分が、何の前触れもなく本家に呼び出されたのは一週間前のこと。
その頃ボンゴレ内部では『新しいボス』、つまり『十代目』の話題でもちきりだったのは記憶に新しい。
日本から来た若きボンゴレ十代目とその仲間――――俺は特に何の感慨も覚えず、その話を聞いていた。
十代目や守護者の噂は数年前から囁かれていた上に、別に上が挿げ替えられたところで変化がない地位にいたからだ。
ところがその状況が一変したのである。一週間後からという急な異動を告げられたことで、急激に。
「そう、秘書だ。ボス専用のな」
「――――っ――」
提示された仕事はボス付きの秘書。実質二階級分の昇進という待遇だったが、そのこと自体はどうでもいい。
ただ、何故。人を殺したこともなければ、前線に立ったことさえないこの俺を、何故そんな役目に。
本当に十代目側から許可が出ているのか。それとも何か後ろ暗いことをして無理矢理捻じ込んだのか。
いや。どちらにしろ、一体本家に何のメリットがあるというのだろう。何の為にこんな――――。
瞬時に湧いた疑問を何とか腹の中に押し込めて、神妙な表情を作りそのまま黙って頷いた。
本家当主がそう命令した以上、こちらに拒否権が無いことは分かり切っている。考えるまでもないことだ。
権力のない分家に生まれ、親に言われるがままマフィアという世界へ飛び込み生きてきた以上は、………絶対に。
正面に座る老齢の男と周囲の連中は尊大に構えたまま、それぞれ満足そうに頷き返し様々な言葉を投げかけてくる。
『なに、所詮優柔不断な若造に過ぎぬ。お前でも務まるだろう』などといちいち癇に障ることは聞き流して。
これは誇り高き仕事云々、家の名を汚さぬよう云々。とにかく、彼らの機嫌の良さがいつも以上に気に掛かった。
それから一週間が経ち、解けぬ疑問を抱えたまま本部に出勤して――――ボスが出張から帰ってくるのを待つこと半日。
本部とそう離れていないボンゴレ系列の宿舎から連絡があり、後三十分もせず到着するとのこと。
しかしその時間を過ぎてもその気配がなく、おまけに遅れるという報告すら入ってこない状態がしばらく続いた。
そして一時間が経った頃。
何かトラブルでも、と流石に浮き足立った上層部から、俺は秘書としての初仕事を言い渡されてしまう。
その宿舎まで迎えに行け、と。銃を携帯していれば大丈夫だろうと根拠のない後押しと共に。
何とも大雑把且つ無責任な命令だが、本家が雁首を揃えている以上従わない訳にはいかない。断れば文字通り首が飛ぶ。
そして嫌々ながらものこのことやって来た俺は………天から降ってきた死体の山に出迎えられる羽目になったのだ。
かつて利用したことがある宿舎の屋上から蹴り落とされたのだろうそれらは、落ちてくる前に既に絶命していたらしい。
悲鳴ひとつ上がらずただ、肉の潰れる音が何度も響く。目を逸らし耳を塞ぎたくなるような、えげつない音。
硬直した身体を叱咤し見上げたその先に、――――“彼”は、居た。
正確に言えば、“彼ら”、か。
厳しい表情で彼らは真っ直ぐにこちらを見つめ、最後の一人を叩き落して俺にまた血飛沫を浴びせる。
ボスの右腕、獄寺隼人と―――その隣にいるのは、殺し屋のリボーンか。そう、そしてあともう一人は。
(……ボンゴレファミリー十代目ボス、沢田綱吉……!)
資料を見る限り、若いという印象しか持てなかった。当主の言う通り優柔不断さも滲み出ていたような気がする。
秘書になれと言われたあの日、“優男が粋がっているに過ぎない”と当主が暴言を吐いたことも覚えている。
優男。……草食動物。身体は比較的細く小柄で、性格は優しく思いやりがある、との情報もあった。
だが、しかし。しかしだ。今俺と目が合ったあの人間はどうだろう。
この距離でも分かるほど、戦闘を終えたばかりだというのに興奮の欠片もない、冷静さを失わない瞳。
資料に同封されていた写真とは顔は同じでも別人のように見える。纏う空気すらその色を変えたように。
俺は壊滅的に銃の才能がなく、前線に立ったことはない。ただかつて数回実戦に出た経験ならあった。
その時感じた恐怖さえ遊びに思えるこの圧迫感。目を合わせただけで気絶してしまいそうな錯覚。
一体何秒そうしていたか――――ふと。何かに耐え切れなくなって、俺は目を逸らした。
逸らした視線の先に真っ赤な肉塊を捕らえ怯んだ、その瞬間を狙ったかのごとく。そこに冷え切った声が降る。
「お前は、」
驚きで心臓が止まるかと思った。たった一度の瞬きの間に、ここまで移動してきたというのか。音も立てず、気配もなく。
そしてその声の持ち主が殺しを生業とするヒットマンではなく、ボスだったという事実。
この一週間、頭の中で作り上げていた『十代目』像が見る間に崩れ去っていくのを感じていた。
「―――何者だ?こいつらの仲間か、……それとも」
いや、アンタの秘書ですけど。そう言わなければならないのに、喉がひりついて言葉が出ない。
額と両手に炎を宿した青年は、にこりともせずにこちらを見据えた。
(………こんなのが相手って、話が違うだろうが!)