少年だからといって、侮る事など出来なかった。
私が全力を出しても勝てる相手ではない、と、痛いほどわかるから。
満たされゆくココロ 〜リボーン編〜
私はもう少しでボンゴレファミリーの一員となる。必要な書類は全て提出したし、後は出勤日を待つだけ。
その残された日数の中で、私は情報屋『Xi』として比較的自由の利く最後の生活を楽しんでいた。
マフィアとなる以上、様々なしがらみに囚われ不自由な思いもするだろう。もちろん後悔はしていない。
恭弥が所属するファミリーに興味があったし、何より私自身、変化を望んでいたような気がするからだ。
漠然とした目的の為にただ惰性で生きた日々。いや、“生きて”いたことなどないのかもしれなかった。
そんな私の前に現れた幼馴染は、その変わらなさゆえに、マフィアと関わるなどという愚行を私に犯させる。
下手をすれば己の命さえ危ういと分かっていながら――――
「………とかいう、繊細かつ複雑な心境に浸ってたっていうのに。ねえ?」
私は行きつけのマスターの店で結構な量の酒を楽しみつつ、静かな夜を過ごしていた。
マフィアになってしまえば気軽に来れないかもしれないという思いも伴って、ここ連日、ずっと押しかけていたのだ。
しかし―――今になって。丁度日付が変わった頃、無粋にもその平穏な夜が壊された。
毎日飲みすぎだ、いい加減に帰れとマスターに追い出され渋々帰路に着いた私の目の前に、数人の男が立ち塞がる。
いかにも喧嘩を売りにきたと言わんばかりの雰囲気に、この先の展開が安易に予想できた私は大きな溜息を吐いた。
ついていない上、嫌なタイミングである。最近はめっきりそんな気分にはならないというのに。
「お前が、情報屋『Xi』か」
「……ああはい。だったらなんですか」
「……!――ならば、悪いがその首は貰うぞ」
「賞金は俺たちのものだ!覚悟しろ!」
「いやです」
「な……っか、構うな、やれ!」
一言一句、全てが予想通りだった。私の首に掛けられた賞金目当てに来る人間はいつも同じ台詞を吐く。
ここ数ヶ月では久しかった襲撃だが、レベルも何も、ボンゴレ最上階で会った彼らに比べれば、素人同然。
(……世界って、本当に広い……)
この連中は同業者が雇った殺し屋だろう。長い休暇を取ったという噂を聞いて送り込んで来たに違いない。
暗がりで良く見えないが初顔のようだ。多少腕に覚えがあるらしく、動きも悪くはなかった。
………それでも。負けるかもしれないという可能性は、どこにも見当たらない。
『マフィアのボスと幹部達』を目の前にした時に湧いた感情を思えば、その差は歴然としていた。
「特に恨みはないけど―――私、望んで敵になった人に情けはかけない主義だから」
何事かを叫びつつ、思い思いの武器を持って一斉に飛び掛ってくる男共。
私は呼吸を読んでさっと懐に入り、彼らの得物を全て叩き落し、何の躊躇いも無く急所を――………
その瞬間、頭に何かがちらついた。
刺す寸前だったナイフをぎりぎり皮一枚で止め、素早く袖口に戻し、彼らの首筋に手刀を叩き込んで昏倒させる。
声も無く崩れ落ちた男達を一瞥しつつ、私は奇妙な確信を持って口を開いた。
「ボンゴレに入るとなると、こういう事は控えるべきなんですか?」
すると案の定、私から十数メートルは離れた路地裏の一角にある闇が静かに揺らぐ。
それはやがて人の形を取ったかと思うと、瞬きの後に見知った少年の姿へと変貌した。
黒いスーツ、黒い帽子。その肩にカメレオンの様な不思議な生き物。
ボンゴレとキャバッローネの十代目ボスを育てた家庭教師、伝説の殺し屋――リボーン。
その薄い唇に皮肉気な笑みを浮かべて、少年は言う。
「いや?特にそんな決まりはねーぞ。身内でもない限りな」
「そうですか。ではちょっと失礼して」
「だが今回は別だ」
「…………?」
許可を得たと再びナイフを取り出し、息の根を止めようとした。が、直後に制止をかけられ首を傾げる。
「……この人達、殺しちゃ駄目なんですか?」
「違う。……そいつら、譲れ」
「譲る?」
「俺の仕事だからな。知り合いでもないんだろう?今回は手を引け」
彼は肩を竦めてそう告げた。彼の、仕事。つまりこの連中が、殺す標的だったという事か?
そういうことなら譲った方が賢明だ。意図していなくても私が邪魔になるというのならば。
余計なトラブルはごめんだとばかりに、私はひとつ頷いて数歩下がった。
「ああ、そういう事でしたらどうぞ。まったく構いませんので」
「悪いな、」
「いえいえ別に―――」
はっきりと言い切らないうちに、乾いた音が一発響いた。本当に一瞬のことだった。
さりげなく見回すと、賞金稼ぎ連中が綺麗に額を撃ち抜かれて死んでいる。見事に急所ど真ん中。
耳に届いた銃声は、確かに、一発分だったのに。
(……早撃ち。いや、そんな次元じゃない……)
今まで出会ったどの人間よりも格段に上手い技術。天才と呼ばれるはずである。
銃は多少扱えるものの、平均よりは上、程度の私にとっては刃物の方が使いやすいのが現状だ。
絶対敵に回したくないな。などと考えていることはおくびにも出さず、平静を装って声を掛けた。
「とりあえず、お仕事お疲れ様です。報告書には私の事なんて書かないで下さいよ」
「………。聞かないのか」
「興味がありませんので。それに、聞いて得する情報とも思えませんし」
「なるほど。随分と変わったやつだな、お前」
「そうですか?」
手に入れるべき情報とそうでない情報の差は、やはりその有益性にあると私は信じている。
どんな代物であれ物事にリスクはつきものだ。それを差し引いてでも得る価値があるかどうか―――
彼らは所詮こうやって賞金稼ぎに来るような、いわゆる“雇われもの”の端くれにすぎない。しかも、弱い部類だ。
明日の天気でも調べた方がまだマシ―――そう思って私はもう動かない肉の塊を見据えた。
……しかし、あと一発ずつぐらい殴った後でリボーンに譲ってもよかったかもしれない。
お陰で綺麗さっぱりと酔いが醒めてしまった。そもそもいい酔い方だったかは別として。
「それなりに良い気分で飲んでたんですけど、ね」
「前言ってた、例の同業者の差し金か?」
「ええまあ。この先休業するって話が早速洩れたらしくて」
「人気者だな」
「それほどでも」
皮肉にも似た応酬を交わし合い、私達は笑う。そう出来るだけの余裕は取り戻していた。
しかし何と言うか。本部で会っていた時は警戒されまくっていたのに、こんな風に話せる時が来るとは。
恐ろしく強い少年であることに変わりはないが、付き合い方さえ間違えなければそう悪くはなさそうだ。
幾分安堵していると、ふと、少し感心したような様子でリボーンが口を開いた。
「情報部、か。勿体ねえな……お前の腕なら、雲雀と仕事が出来るかもしれねーぞ」
「恭弥と?っていうか、それって褒めてるんですか」
無表情で言われても判断がつきにくい。……それにしても、恭弥は何の部署に勤めているのだろう。
いや、ボスの側近だとしたら部署じゃないか。つまりは……どういう仕事を請け負っているのか、だが……
知りたいような、知りたくないような。微妙に嫌な予感がしたが、好奇心に負けて尋ねてしまった。
「……参考までに。それ、どんな仕事なんですか?」
「ああ、雲雀は大抵前線で動くからな。いわゆる破壊屋だ」
「…………破壊、屋?」
その単語を聞いた瞬間、立場も何もわきまえずに私は直ぐに突っ込んだ。
「そのまんまじゃないですか!」
「ま、『雲雀恭弥』だからな」
「……っ…………」
「仕事後は随分機嫌がいいぞ?まさに天職ってところか」
雲雀恭弥だから。それで全て納得できてしまう自分が悲しい。というか、虚しい。
ただ存分に暴れて機嫌のいい恭弥という光景は目に浮かぶようで、私は思わず想像して笑った。
「確かに、リボーンさんみたいな殺し屋になるよりは向いてるかも知れません」
「……?そうか?」
「私、接近戦の方が得意なんですよ」
「…………。なるほど」
「いえちょっと何ですかその構えは。……って何銃取り出してるんですか!?」
「そいつはいい事を聞いたな。適性検査してやる」
それは困る。絶対困る。あの早撃ちを目の当たりにしてどう立ち向かえと?
「―――っ!そういう事は私が素面のときにして下さい」
「さっき運動しただろう?とっくに醒めてるだろーが」
「まさか。ベロベロですってば」
「……はっ。言ってろ」
今鼻で笑われたんですけど!物凄く馬鹿にされた気がするんですけど!
だがこの少年相手にして、無傷で済むはずがない。ボンゴレに入るまではとにかく遊びまくる予定なのだ。
嬉々として武器を構えるリボーンに冷や汗をかきつつ、私は何とか逃げ道はないかと脳みそをフル回転させた。
「あ、それにリボーンさん!ここ寂れてるとはいえ街中ですよ。確か今騒ぐとまずいんじゃないですか!?」
「……………ちっ。……冗談だ」
よし、勝った。私は内心ガッツポーズを取る。舌打ちがやけにはっきりと聞こえたことは、完璧に黙殺して。
ボンゴレ内からの裏切り者―――そう、あのマスターの店で殺された、掟を犯した幹部の事件。
その影響もあってか、十代目ボスから『今余計な騒ぎは起こすな』という厳命が出ているのだ。
この間知った情報で捻じ込むと、リボーンは面白くなさそうな顔をしながらも引っ込んでくれた。
「……ふう。寿命縮まりますから、本当に」
「後のお楽しみ、か。……おい、」
「はい?」
「移動するぞ」
台詞前半に呟かれたであろう物騒な言葉は、いきなり腕を取られたことに驚いて霧散した。
しかし数秒も経たないうちに、私も気付く。―――少し離れたところに、誰かの気配。
いくら人より敏いとはいえ、流石にプロの殺し屋には敵わない。劣等感を覚えながらも後に続いた。
死体を隠さないということは、見せしめであるということ。
一切の躊躇もない。遠慮もない。殺す以外の目的もなくただ、呼吸するような自然さで命が消された。
マフィア―――。私はマフィアが苦手だ。嫌いだ。正直に言えば大嫌いだ。
私の腕を掴んだまま走る少年の後姿を見ながら、心の中で何度も繰り返す。私はマフィアが大嫌いだ。
死ぬほど大嫌いなのに。消し去りたいほど大嫌いなのに。…………どうしてなのだろう。
「、いい機会だ。これから付き合え」
「え。どこにですか」
「南通りだ。行きつけの店に連れてってやる」
「…………ええと……」
「なんだ。この俺が直々に誘ってるに、文句あるのか?」
この誘いが、半分以上“偵察”に近いものだと分かっていたのに。気付いて、いたのに。
「………。それ、勿論奢りですよね」
「ああ。最初だからな、奢ってやる」
「――行きます」
恭弥の仲間だからか。それとも、ハルと過ごしたことで私自身の警戒心さえ薄れたのか。
それ以前に奢りという条件に惹かれたのか、そもそも単純に飲み直したかったのか―――
私は二つ返事で彼の誘いに乗り、お互い何かを含ませた笑みを交わし、今度はゆっくり歩き出した。
断らなかった理由は、今でも分からない。
その後、リボーンの行きつけの店にて。
「ん、結構いける口じゃねぇか」
「私、まだ若いですから。―――あ、これ美味しいです」
「………気に入ったか?」
「はい。あまり女一人で来る所じゃなさそうですけど」
「偶になら連れて来てやるよ」
「いいんですか?」
「ああ」
意外にもなぜか酒の趣味が合ってしまったことは―――幸か不幸か。
(…………この店、高っ!)
-Fin-