浸透する。密やかに。

 

 

 

(03: 

 

 

 

結局何が変わったのか?そう問われても即座に答えを出せないくらい、以前と変わらぬ日々が続いた。

いや、それは当初から強く感じていたことだったのかもしれない。

 

事件発生直後こそ混乱があったものの、次の日には不気味なまでに静けさを取り戻していた情報部。

悲しみにくれていたのは被害にあった下っ端だけで―――全体から見ればその被害も微々たるもの。

ボンゴレからは50名弱。相手ファミリーからは40名弱の犠牲者が出たが、業務に特筆すべき支障はなく。

 

ぎこちなさが残ったのも最初の数日だけで、新たな班員を迎えた班は次第に元の姿を取り戻していった。

 

 

――――私が所属する、情報部情報処理部門第九班を除いては。

 

 

 

「・・・・ねえ、知ってる?」

「なに?・・・え、それって・・・」

「ほらだから、この間の―――」

 

 

 

誰かの話し声が聞こえて、私ははっと我に返った。目の前ではハルの元上司が資料の確認をしている。

 

というのも、今日割り当てられた仕事の提出先が情報処理部門第五班だったのである。珍しいこと、ではあった。

ただ仕事内容は普段と同じで表企業に関する資料のデータ化だったし、昼前には全てが終わるのも当然のこと。

 

 

しかし残った時間、以前ならば外食と称して町を練り歩いたものだが、今は違っていた。

 

 

 

 

 

 

 

少し前、ハルはボスによって省略された試験を受け、見事合格した。筆記は満点だったと聞いている。

 

部長を告発したにしろ、まだまだ聴取は続いているので完全に事件を解決したとは言えない。

だからその全ての結果が周囲に評価されるのは、かなり後のことになるのは予想出来た。

 

それ故にまず『班長試験』が、今のあやふやな地位を確かにする唯一の方法だろうと判断したのだ。

 

 

(もちろんボスは反対できる立場にないから、申請自体あっさり通った―――)

 

 

そして事実、彼女が試験にかなりの好成績で合格した途端、周囲の空気が和らいだように感じたのを覚えている。

表には出さないまでも心の中で引っ掛かっていた人間は少なくなかった、ということだ。

 

班同士の交流などなかったため気付かなかった。否・・・私は気付こうとするどころか、考えもしなかった。

 

 

 

『―――おかしいと思っていたのだ、こんな時期に新たな班など!』

 

 

 

実際行動を起こしたのは部長だけだ。それでも、その言葉は決して彼一人のものでは、ない。

 

 

 

 

 

 

 

「はい、さん。充分です。確かに受け取りました」

「ありがとうございます。・・・それにしても、珍しいですよね。五班に提出なんて」

「うーん。それ、なんですけど、ちょっと事情があるみたいですよ」

 

 

 

提出物と引き換えに、提出手続きが完了したことを表す認印を五班班長から貰う。

ついでに今朝から抱いていた疑問を軽い気持ちで投げかける。と、予想外に暗い声が返ってきて私は少し戸惑った。

 

 

 

「朝から担当事務局長が事情聴取を受けているそうです―――この間の事件のことで」

「・・・・事務局長まで、事件に?」

「ええ、本当に怖いですよね。・・・それに、何だか変な噂まで流れているし・・・」

「噂―――ですか」

 

 

 

複雑な顔で黙り込む五班班長の姿を見下ろしながら、私はゆっくりと思考を巡らせる。

あれからボスとは一切連絡を取っておらず、新たな情報は殆ど入ってこない。辛うじて恭弥から少し話を聞く程度だ。

だから事務局長の聴取など知らないし、彼が本当に事件に関わっていたかどうかさえ、確かめる術はない。

 

それよりも何故か気になったのは―――班長が最後に零すように呟いた“変な噂”のこと。

 

視線だけで問いかけると、何度か躊躇った後、周囲を窺うようなひそやかな声で彼女はそっと囁いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(っあの、中年バーコード頭―――!)

 

 

人気のない廊下で、私は思わず壁に拳を打ちつけた。苛立ち?いや、これは恐怖かもしれない。

もちろん根も葉もないただの噂なんだけど。と牽制した班長の言葉が、耳元で虚しく反響している。

 

彼女が告げたもの。それは深く事件を追った私達にとっては今更と言うべき内容だった。

 

『あのパーティー会場爆破事件の参加者の殆どは、部長が殺すために送り込んだ親ボス派だ』と。

 

 

―――だが、何故、それが、噂などになっているのか!しかもこんな情報部の底辺で!

 

 

情報が厳しく管理されている今の状態を考えれば、答えはひとつしかない。・・・そう、誰かが流したのだ。

何の為に?そんなこと、噂を知った情報部の人間の顔を見れば、一瞬で分かる。

 

 

 

部長が言っていた、ボスへの打撃。今は小さなものかもしれない。それでも、予感はあった。

 

噂を聞いた彼らは何を考えるだろう。殺されたものと、殺されなかったものの差は何か。

次がないとも限らないこの危険な世界で、どうやったら生きていけると思うだろう?その恐怖は、どこに向かう?

 

 

(そしてその思考が情報部底辺から広がっていけば、いずれは何が起こるのか―――)

 

 

今はまだ、小さく弱く感じ取ることさえ出来ない微かな綻び。ボスの目の届かない場所から、生まれていく歪み。

 

 

 

 

私は、ぞくりと背筋が震えた。

 

 

 

 

 

部長の言葉の意味。真意。蟻が堤防を壊すように。いつかは。