君に、誓おう。
―――己の全てを懸けて。
黒い羊は永久を謳う -Hibari's Side-
覆い被さった体の下で、が軽くもがいている。その姿に立場の有利を確信して笑った。・・・心底可笑しげに。
揶揄いの意味を込めてそっと顔を近づけるが、予想に反して彼女は身動きせず、雲雀は更に調子に乗る。
・・・・・・緊張して動けないのだとすれば、やはり嬉しかった。
「ご、誤魔化す気?それとも遊んでるわけ!?」
「いや、別に?」
(・・・・ワオ。吃ってるよ)
雲雀は自身の悪戯心が少なからず刺激され、もっと身を乗り出す。薄く染まった頬を掠め耳の直ぐ傍で動きを止めた。
接近から逃れるよう顔を背けた為か、顕わになる首筋。いっそ噛み付いてやろうか・・・等という暗い欲望も生まれる。
だが其処までやると八つ当たりされる十年前の自分が不憫に思えるので、止めておくことにした。
その代わり。
「・・・誓い破ったら」
耳元でそっと、掠れた声で警告を吹き込む。彼女には理解出来ないであろう意味も含めて。
掴んだ手に微かな震えを感じる。怯えたように息を呑む音が何とも言えず愛おしい。
「―――『咬み殺す』、よ?」
「――――ッ」
その意味は分からなくても、ニュアンスだけは敏感に感じ取ったらしい。
彼女は硬直したまま動かない。ただ、見ているだけだった。・・・・他の誰でもない、雲雀だけを。
(ああ、・・・愉しい)
普段の破壊屋としての仕事よりも遥かに。を追い詰める時ほど愉しいものはなかった。
だからどうしても手放せない。今更嫌がられたとしたって―――もう手遅れなのだから。
(君には、これからわからせてあげるよ。わかるまで・・・そう、何度でも)
くっ、と思わず洩れた笑い声。それでははっと我に返ったが時既に遅し。
次の瞬間には濛々と白い煙が彼女の全身を覆っていく。何か言いたげな顔だったが、言葉はない。
煙に視界が閉ざされ、姿は次第に見えなくなり、そして――――
「ぅわっ!?」
突如間抜けな悲鳴が響き、煙の中黒い人影がソファに沈み込む。
雲雀は『』をソファに押し付けた姿勢そのままで動いてはいなかった。人影は多分それを避けようとしたのだろう。
お互いがお互いの気配を嫌というほど知っていたので、警戒する必要は無い。
煙が晴れた其処には。・・・過去に帰ったではなく、・・・未来の、本来居るべき彼女が居た。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
暫く無言で見つめ合う二人。だが最初に口を開いたのは彼女の方だった。
自分の置かれている状況を見て、何か思う所があったらしい。苦々しい口調で呟くように言う。
「ふ、・・・これで漸く言えるわ・・・恭弥。・・・・・あの時は、よっくもやってくれたわね」
「君の為に物凄く我慢したけど?」
「が、がま・・・・」
「その努力くらいは認めてもらいたいものだね」
今の生活に比べれば――そう、どれだけ強い精神力を以ってきちんと我慢したか、幹部なら誰でもわかる筈だ。
(勿論君もわかってるよね、・・・?)
至極真面目な顔を作って至近距離で問い掛ける。は反論する言葉が見つからないのか、悔しそうに舌打ちした。
まあ危なかった時もあったものの、未遂だったのだから態々告げることでもない。怒るし。
「だったら最後のは何。どういう捨て台詞だあれは」
「言葉通りの意味でしょ。・・・約束は守られたし、咬み殺せなくて残念だよ」
「・・・・・・末恐ろしい事言わないでくれる?」
この距離で喋っていても、彼女が赤面する事はまずない。新鮮味はないが遠慮がいらない点では歓迎するべきだろう。
艶やかな髪に手を差し込んでも、そっと目を伏せるだけ。思う存分触る事が出来る。
――――彼女は自分のものだから。
「そういえば・・・この部屋、十年前はまだリフォーム前だったわ。ちょっと驚いちゃった」
「自分で壊したくせに」
「恭弥もでしょうが」
あの時の事を思い出して、二人は口元を緩ませる。雲雀にもにも余裕がなかった。ただ必死だっただけ。
の、あんなに激しい感情をぶつけられたのは初めてで。酷く驚いたのを覚えている。
「皆若いし初々しいし。・・・懐かしくてね?」
「・・・・うん」
「こっちじゃもう死んでる人も生きてるし。凄く変な感じ」
「・・・・うん。過去だしね」
十年前で、これから起こる事全てを知っているのに・・・何も言えない。それは耐え難い苦痛。
近い人間に関することなら、尚更。
雲雀は、少し沈んでいる風のにただ頷く事しか出来なかった。それは経験しなければ分からない痛みだったから。
今夜の仕事が終わったら、幾らでも話を聞いてあげる。君が泣くならその涙ごと受け入れる。
・・・・そう、言葉にしなくても伝わる心。自分達にはやるべき事が残っている。
雲雀はソファに傾けていた体をゆっくりと起こす。前髪をかき上げ、好戦的な笑みを浮かべた。
「さ、これから敵陣に乗り込むよ」
「殴り込みの間違いじゃない?」
「いや、殲滅の方が正しいね」
「それはそれは」
気持ちを一瞬で切り替える。今ボスの執務室に居るのは、ボンゴレファミリーの重要幹部。
相変わらず彼女の状況判断力は飛び抜けて凄い。此処に雲雀だけが居るという情報だけで、大半を理解してしまった。
一気に真剣な顔つきになった。雲雀はふと思い立って、彼女に向き直る。
そして、すっと手を、差し出した。過去も未来も全部ひっくるめた、万感の思いを込めて。
きょとんとこちらを見上げるに。はっきりと、・・・十年前みたいに、誤魔化し加減の小さい声ではなく。
今は正面切って、堂々と言える。
「おかえり、」
その言葉に反射的に目を瞠った彼女は――花が綻ぶように、笑った。それはもう嬉しそうに。
長年一緒に居る雲雀でさえ、はっとして見惚れる程綺麗な笑顔だった。
雲雀の差し出した手を何の躊躇いもなく取って、は立ち上がる。
「―――ただいま」
これが、幾多の辛い出来事を乗り越えてやっと手に入れた、新たな日常。
だが人生は長く、この先何が在るとも分からない。まだ様々な苦労を重ねなければならないのだろう。
でもこの仲間となら、・・・・となら、乗り越えていけるという揺るぎ無い自信があった。
幸せはこの手で必ず掴み取ってみせる。
―――目の前には無限の未来が広がっているのだから。