私は、自分の未来のことになんて全く興味はなかった。
今を生きるだけで、精一杯だったから。
黒い羊は永久を謳う
どうしてこうなった。無視できない頭痛がして私は思わず眉間を押さえて目を閉じる。
ここは雲雀恭弥―――私の幼馴染であり、ボンゴレ・ファミリーの幹部で破壊屋などという物騒な立場にいる男―――の職場だった。
当然のことながら、情報部情報処理部門所属の一般構成員が気軽に立ち入れる場所ではない。とはいえ唯一救いだったのは、
ボンゴレが只今どこぞのファミリーと抗争真っ最中で、戦力のメインである恭弥の部下達ほぼ全てが前線に出ていてここにはいないということ。
しんとした部屋の中、私はとある資料片手にこの部屋の主が戻ってくるのをひとり大人しく待っている。
いや、待たされていると言うべきなのだろう。どうしてこうなったのか?
……事の始まりは、ほんの一時間前。私がぽろっと口を滑らせてしまったことにある。
私が情報部情報処理部門第九班に配属され、新たなる仲間が送り込まれてきてからそれなりの月日が経った。
すっかり五人での生活にも慣れ、彼らがたまにボスに報告しにいくのも黙認している。特に報告されて困るようなこともない、平和な日常。
―――を、送っているのは実は私達だけだと気付いてはいた。
本部に広がるぴりぴりとした空気や、たまにすれ違う別の部署の人間が忙しなく歩き回る様子、
不審に思って少し探りを入れれば出てくる『抗争』の二文字―――。
(珍しくもないことだし、“こっち”には関係ないし)
むしろ関わらないほうが身の為ではある。情報屋『Xi』としてではない私に出来るのは、中心で動かざるを得ない……
否、嬉々として動くだろう幼馴染に、頑張って、と遠くから生温い目で応援することくらいだった。
―――いったい誰が悪いのか。そう問われたなら、私は声高らかに雲雀恭弥であると叫ぼう。
全てはあの男の――ものぐさが故のデスクワーク嫌いが原因だ、と。
私が暇を見つけては、週に一、二回の頻度で恭弥に会いに行くのはだ。
ハルがボスに対してそうであるように、ただ単純に習慣になってしまっているからであって特に深い意味はない。
ただ、欠落していた時間が長すぎて、どこかまだ戸惑っているところもあるように思うのも事実だった。
それを埋めるように、だろうか。特にこれといった会話もないけれど、自然とお互い顔を合わせていた。
「あ、恭弥」
「……………?」
―――本日の邂逅は廊下だった。片方は帰宅途中、片方は見るからにくそ重い資料を持って。
ここ三週間弱、私は恭弥のところへ行っていないため久しぶりの顔合わせとなる。抗争のあれこれで忙しいだろうと
暫く遠慮しているからだ。だから今も、当然、『お仕事頑張ってね!』などとひとつ間違えば嫌味になりかねない激励を投げかけて
そのまま帰路につこうとした、の、だが。すれ違いざまに突然がしりと右肘を掴まれ、喉の奥で声にならない悲鳴が上がった。
「―――君、暇だよね」
「っ、いきなり、なに?!」
「うん。すごくいいところに来てくれてありがとう、助かるよ」
「ひっ?!ちょっ何言ってんの頭大丈――………。……恭、弥?」
強い力で引きとめられ動けず、おまけに普段なら到底言いそうにない言葉を投げかけられて思わず彼のほうを振り仰ぐ。
その視界に飛び込んできたのは―――珍しくも目の下に濃い隈を作った、どこか疲れた様子の幼馴染。
滅多に見ないその姿にちょっと怯んで、心配してしまったのがまあそもそもの間違いだった。
あれよあれよという間に彼の居城に連れ込まれ、静まり返ったそこに躊躇するも腕は解放されず、
そうして気付けば私はでんと置かれたくそ重い例の資料の前に座らされていた。
当の元凶はといえば、部屋の中にあるでかいソファの上に寝転がり、我関せずとばかりにもう目を閉じている。
(――――っどうしろと!)
いや、何をすればいいのかは理解していた。置かれた資料、ファイル、留め金具、どこをとっても「資料整理」としか考えられない。
ちまちました地味な作業は、我が幼馴染の嫌う『面倒くさいもの』。
本来なら誰か――確か長い付き合いの部下がいるとか――にやって貰うのだろうが、如何せん、抗争中で人手が足りない。
そもそも恭弥の部署は比較的新設で人数が少ないと聞いている。
そんなところにやってきた私という、それこそ口が堅くなければやっていけないような稼業をしている幼馴染。
ああはいはい、奴の思考の流れが手に取るように分かるわ。
(信用されてるっちゃあされてるんでしょうけど?手伝って下さい、くらい言えんのか!)
それが言えたら雲雀恭弥ではあるまい。分かりきったことをこれ以上追求する気も起こらず、
暇には違いなかったので、お優しい私は幼馴染に暫しの休息を与えてあげることにした。
資料には恐らく抗争相手だろうファミリーの情報が書かれていた。読まれても構わない、程度の重要度なのだろう。
じっくり読むつもりはなかったので手早く資料を組み替えていく。――大体の整理が終わって、不備が無いか確かめている時だった。
ふと、ある写真が目にとまった。あれ?この男、見覚えが、ある、ような……?
「んん?………あ、確かこの人、悪趣味な会員制クラブのオーナーやってる……?」
えええあの店マフィアが所有してたの、マジで?私は結構、かなり本気で驚いてそう口走った。
意外や意外、まさかの判明だった。そう、あれは私がまだボンゴレに関わる以前のことだ。
大小様々な依頼をこなしていくうち、否が応でもきな臭い世界に足を突っ込まなければならない時がある。
そこに住むのはマフィア崩れのような暴力組織であったり、……こいつのように、一般人に対して麻薬を売ったりしている下種であったり。
私は警察官ではないし正義感溢れるイイヒトでもないので、それらがどんなに唾棄すべきものだったとしても――見て見ぬふりをしてきた。
日々情報屋としての仕事をこなすだけ。依頼を除いては常に中立な立場にあることが、目立たず長生きできる方法だから。
(てか、この界隈で、マフィアと関わりがあって、麻薬って……)
自殺行為にもほどがあるだろう、と頭の中でそのクラブの場所を思い出す。あれは確か、うん、ボヴィーノ・ファミリーの近くだった。
ボンゴレと同盟関係にある以上そこも麻薬御法度のはず―――ああ、だからこそ今回こうして標的になっているのか?
同情の余地もないな。薬漬けにした女を侍らせて喜んでいるような男だ、遅かれ早かれ粛清されたに違いない。
私はかつて仕事で一度だけその店に入ったことがある。
依頼人との待ち合わせ場所に指定されていて、そうだ、やれドレスを来てこいだ着飾れだ色々注文を受けたんだっけ。
文句を言える立場じゃないから従いはしたけれども。酒と煙草と、麻薬特有の甘いような臭いような何ともいえない匂いが充満する空間。
普段着で行けばまず確実に浮いてしまっただろう、そここそが別次元のよう。―――正直、二度と行きたくないと思った記憶がある。
「何より、麻薬の押し売りはないわ……」
「――――麻薬?」
「そう。会員じゃないただの客とみればもう、ふっつーに飲み物に入れてきたりするし」
会員である依頼主は恐らくそのことを知っていて、私をそこへ呼び寄せたのだと後になって思う。やけに酒を勧めてくると思っていた。
一口なめた時点で嫌な予感がしたので、あえて空気を読まずさっさと仕事を終わらせて帰ったのだが―――本当、悪趣味極まりない。
混入された代物が常習性の高いブツであればその末路は明らかで、思い出しただけで虫唾が走る。
「……って、あれ。起きたの恭弥」
人の回想にナチュラルに入ってくるから一瞬気付かなかった。
声のした方へ視線を向けると、いつの間にかソファから身を起こした彼が不穏に目を眇めてこちらを見ていた。
……うん?そりゃちょっと予期せぬ情報に驚いて声を上げたけど別に安眠を妨害するほどではなかった、よね……。
何よりわざわざ資料整理を代わってあげたというのにその不機嫌さは何だ。寝起きだから?
まあ疲れているのは事実だろうし、と私は寛大にも流してあげて手元の資料を差し出した。
「はいどうぞ。わかってるだろうけどこれはひとつ貸しだからね、今度きっちり」
「―――今、麻薬って言った?」
「無視か!っ、ああはいそう言ったしこの写真の男は麻薬売人ですけどなに!」
口を、滑らせたのだと、思う。せっかく纏めた資料を受け取りもせず目を見開く恭弥に、その貴重さにか、
あれもしかしてなにかまずいこと口走ったかななどと戸惑うも時既に遅し。
彼はすっと表情を引き締めたかと思うと立ち上がり、ここにいるよう私に告げるとそのまま走り出す。
何の説明もなく。呆然としたままの私を残して。
「ちなみに、逃げたら絶対咬み殺すよ」
「えっなんで?!」
――――叫びも空しく、無情にも扉は閉ざされた。