有り得ないと切り捨てたもの。
耐えられないと選ばなかったもの。
――――それは、世界からすればほんの些細な相違だった。
極彩色の夢
古く錆びた臭いが周囲を漂う。脱力した身体に降り注ぐのは、黄ばんだ蛍光灯の光。
生暖かい空気が気持ち悪くて、頬に触れている硬い床の冷たさだけが酷く心地良い。
(…………床?)
床ってなんだ。その感覚が夢ではないと確信した直後、私は速攻で飛び起きて周囲を伺った。
部屋、というよりは倉庫なのだろう、ガラクタが乱雑に置かれているこの空間はやはり見慣れないもの。
何者かに襲われ意識のない内に運ばれたのか?それにしては妙だ、と己の状態と所持品を確認して内心首を傾げた。
コートの内側に並べたナイフは一本も減っておらず、また、拳銃も弾と共に在る。おまけに一切拘束されていない、
その痕跡さえもないとなると、本当に拉致―――現時点で想定するとすればだ―――されたのかどうかが疑問に思える。
しかし何よりもまず私は、今自分が置かれているこの状況を正確に把握しなければならなかった。
もし万が一、些か考えたくないことではあるがその、………人質になっているのなら、一秒でも早く脱出するべきだった。
誰かには爆笑され、誰かには哀れみの目で見られる未来が手に取るように想像できる……ああ、忌々しい忌々しい。
「あー、……あいうえ、お」
発声と共に軽く頭を振ってみても特に目眩がすることもなく、薬物を使用されたとしても影響が残るような代物ではなかったようだ。
幻覚なら幻覚で頭が痛くなる為、その心配もない。となると、さっさとこの身ひとつで逃げ――――。
「……え、」
がさり。がさがさ。突然、何の前触れもなくがらくたの山が動いた。怪奇現象……なんて戯けている場合ではない、
箱や用途不明な道具の数々に埋もれた気配は、今の今まで気付かなかったのが不思議なくらい身近な、身近すぎる彼女のものだった。
「えぇ?!ハル!」
「………っ……」
私は近年になく大慌てでガラクタの山に駆け寄り、細心の注意を払いながらしかし迅速に己の上司を救出した。
幸いにも軽い荷物が多く、押し潰されたり窒息するなどという惨事は起こらなかったようだ。
何故埋もれていたのか尋ねたい気持ちは強いものの、まずは起こすのが先決だろう。
「ハル、……ねえ、起きて」
「………うぅ、さん、―――そっそれは雲雀さんのぱ」
「っ今直ぐ起きろ!!」
このまま聞いていると何だか物凄く疲れる予感がしたので、寝言を遮りつつ軽く一撃を食らわせる。
ハルが見る夢は大抵ろくなものがない。まあ主に私の精神に対するダメージ的な意味で。
「いた!はひ、痛いです!……って、さん?」
「おはよう。気分はどう?どこか異常はない?」
「いえ、特にどこも……」
あちこち身体を動かしているのを見るに、お互い怪我はないのだと安堵した。乱暴に扱われてはいないようだ。
ただその気持ちは長く続かず、周囲を見渡したハルが数分前の自分と同じような表情を浮かべたことにやはり、全く訳が分からないと私は嘆息する。
「さんも、気付いたらここに居たんですよね」
「そう。で、ハルが埋まってたと」
「……うう。本当に心当たりないんですけど……」
「どういう状況でもここに誰が来る気配もないし、適当にこの部屋調べて出ましょう。幸い、拘束もないみたいだから」
「…………あの、、さん」
「ん?」
「……………」
「…………?」
私は無言で差し出されたそれを見やる。ハルの手に握られたものは、一見普通の麻縄だった。
……所々に血液と思われる汚れがついていなければ。…………。もしかすると予想していたよりも状況は悪いのでは……。
血痕はまだ比較的新しく、僅かに鉄錆の臭いも感じられた。私達以外に、それもつい最近にだ、ここに捕らえられていた人間が居る―――?
私達はすぐさま立ち上がると、この怪しくも古めかしい倉庫の扉へと走った。
扉には当然のことながら鍵が掛かっていた。足癖の悪い私にとって、普段なら適当に蹴り開ける程度のやわい造りをしていたが、
その音が響くのを嫌って至極真っ当に鍵開け専用道具で開けた。特に警報などもついていない……誘っているのだろうか?
軽く周囲を探ってみると、そう遠くない所に数人の気配が存在している。隠しているような様子もなく、また、手練であるような予感もしない。
「………五人?」
間違いなく私でも勝てる。自惚れではなく。情報部主任とその腹心である自分達にこの扱い。
随分と舐められたものだ、と、知らない内に拉致されていただろうことには目を瞑って弱小マフィアレベルの連中を笑う。
「えぇと、……どうしましょう?」
「とりあえず、―――シメる」
「お話聞くってことですよね。わかりました!」
物騒な台詞を簡単にスルーして、ハルはにこにこと笑みを浮かべ歩き出す。
どんな相手だったにしろ、ちょっとした暴力、もとい脅迫で何がしかを聞き出せれば御の字、といったところか。
一見弱小マフィアだと思われる連中の背後にもし黒幕がいるとしても、その危険性を敢えて甘受するほどに状況が分かっていない。
今後の身の振り方を決めるなら、まずは。
颯爽と歩く彼女の一歩後ろを付いていきながら、ややこしいことにならなければいいのに、と久々に私は願った。
ハルが密かに構えていた麻酔銃を使うまでもなく、連中はあっさりと、私が口元を引き攣らせるほどにあっさりと地に倒れ伏した。
彼らの助けを求める視線は一人の人間、つまりリーダーにのみ向けられており、私はそいつ以外の人間を速攻で黙らせる。
(どうしよう、……弱い)
本気で不味いしヤバイ。万が一これで黒幕が居なかったら、私達はとんでもない大ポカをやらかしたことになる。
嫌な予感と共に、私はリーダーとおぼしき男の首根っこを渾身の力で掴みあげた。
「所属、場所、目的。さあ吐け」
「………っひ、」
ぎりぎりと歯軋りしたくなるのを堪えつつ、怯える男性に迫る。気絶させないようきちんと注意も払うことも忘れない。
とにかく皆に連絡します、という上司の声を遠くに聞きながら、更に力を込めてやる。
「がっ…!……こ、…」
すると震える唇が音もなく言葉を落とした。殆ど吐息だけで呟かれたそれに、私は一瞬息を止めた。
―――『こんなに強いなんて』―――。確かにそう言ったのだ、この男は。
連中の背後に誰が居ても、居なくても、とにかくこいつらは私達がここに連れてこられたことに関わっている。ああ、……なんてこと。
(人質?私達が?―――まさか、本当に?)
数時間の説教確定、いやそれだけで済む訳がない、更には減給だってあり得る。
連中とボンゴレとの間で話はどこまで進んでいるか、それが問題だ。連絡が取れさえすればまだ間に合うかもしれない。
「さん、ここ、圏外です!」
地下でもないここでか。あるいは妨害か。圏外という事実に思わず舌打ちをもらした、まさにその瞬間だった。
「全員動くな!!」
―――凛々しい叫びと共に、『彼ら』はやって来た。