―――私達に、この世界は必要ない。
極彩色の夢
男連中がその、リボーンの気持ち悪い姿に気を取られている間に、私達は頭をつき合わせて小声で話し合う。
「もしアレが……そう、だとして、私達はどうすればいいんでしょう?」
「ステッキ、なんだから振ればいいんじゃないの?」
「じゅ、呪文とかいらないんですかね………」
「やめて。色々想像するからやめて」
状況を整理してみよう。“私達”は浚われてこの倉庫に放り込まれた。恐らく、麻縄で拘束されていたに違いない。
目が覚めると無理矢理自力で縄を解き、逃げようとした途中でハルが転んだか何かで―――この段ボールの山が降ってきた、とする。
私が目覚めたとき彼女が箱とがらくたの山に「埋もれていた」ことを考えると、それが一番自然だろう。
わざわざ誘拐犯が彼女だけに被せていった訳ではあるまい。どんな嫌がらせだ。意味がない。
とにかく、その中にこの物体Xが紛れ込んでいたとして、位置的に……「ステッキを振られた」側になるのだろうか?私達は。
あるいは単純に、私達にステッキの頭の部分を向けた状態で落としてみる、とか―――そもそもそれで本当に何か起きるのか?
「じゃあ恭弥。お話中のところ悪いけど、とりあえずそれ、私達に振ってみてくれない?」
「………そこで何で僕にふるのさ」
「そんなの、絵面が面白いからに決まっ――――」
「リボーンちゃん、お願いします!ね!」
「待て。お前ら、これが何だか分かってるのか?」
「それのせいで私達がここに来た、と言ったらどうします?」
「――――――」
リボーンは、アルコバレーノだ。だから世界を渡る術に関して、何も知らない、ということはないだろう。
暗にそういった事を含めた言葉に、彼は一度目を見開いて、その瞳に何かを悟ったように鋭い光を宿した。
私達は多くを語らない。だからその代わりに、そちらも多くを語らなくていいのだ。
そのステッキが何なのか。どんな力を持っているのか。それはその物体Xが存在するこの世界でのみ有効な情報で、
持ち帰ることに意味があるとは思わない。――――世界を渡るのは、まさしく禁忌なのだから。
「ですから、試しに振って貰えま……っ!…」
「……お、お願いします…!」
そこで、ぐふっと、堪えきれなかった呼吸音が口元から漏れた。無理だ。もう限界だった。肩が震えるのを止められない。
一度は意識を逸らせたものの、やっぱりリボーンとステッキは似合わない。振る動作を想像してしまっただけで全てが決壊した。
「――――お前らっ!」
「あ」
「あ」
「……っ!」
ゆっくりとスローモーションのようにリボーンの手から滑り落ちたそれは、重力に従って落ちていく。私達の方へ頭を向けた状態で。
―――予感だった。これで終わる。このふざけた世界から、……いや、かつて一度は思い浮かべた世界から、出ていくことが出来る、と。
「え、ええと!ツナさん!」
「ハル―――」
「あの、もうちょっとセキュリティ面強化した方がいいと思います!防護壁に欠陥ありますし!」
「え、…っえええ?!ちょ、それ何の話―――」
たとえば、この世界には私がかつて手放したものがいくつも存在していて、それは確かに「幸福」であったのかもしれない。
今の私よりは遙かに真っ当に生きている“私”は、けれど、出会うのだ。ここで。――――『雲雀恭弥』に。
これから二人がどんな関係を築くのか、あるいはこの場限りで終わったとしても、それはまたひとつの結果である。
少なくともそこに後悔はない。……私はハルと違って“彼”に掛ける言葉を持たなかった。
ただ一度だけ真っ直ぐ目を見て、感情の赴くまま少し笑う。恭弥は、どうだったろう。………よく分からない。
「お邪魔しました。では」
「―――さようなら!」
ぽんっ!と間抜けな音を聞いた、ような、気がした。
「……………え?」
呆然とした呟きが己の声であることに気づいて、私はびくりと身体を揺らした。目の前に広がる白い廊下、片手に分厚い書類。
ああ、そうだった。私はハルに頼まれて、恭弥率いる風紀財団に書類を持っていく途中だったんだっけ。
廊下のど真ん中で突っ立っているとか、最近の激務のせいか流石に疲れて―――。いや待て。
頭に強く刻まれた記憶が私を逃避から引き戻す。いや、……え?どういう?
(白昼夢、……だった?)
そんな馬鹿な、と思うものの、あれが現実だったということを証明する証拠は何一つ持っていない。
あちらではナイフ一本、銃弾一発も使わなかった。何かを持って帰ることもなく、そして逃げ回った戦闘では傷一つ負っていない。
それでも脳裏に浮かぶ映像はあまりに鮮やかで、夢だったのだと確信することが出来ない。―――恭弥の、とある感情が消えたあの瞳も。
(何、だったの……)
ありえないもの、と考えると真っ先に骸の幻覚が思い浮かぶが、私が全くの健康体である以上、あり得ない。
そもそも彼はここまで手の込んだ幻術を私に掛けてくることはない。下手をすれば命に関わると充分知っているからだ。
ふと気付くと、目の前に破壊屋の扉があった。通い慣れた道だ。私は思考の止まった頭で、いつも通りインターホンを押した。
草壁を含め、見知った顔がいくつかこちらに挨拶をしてくれる。その奥には不遜な顔で雲雀恭弥が座っていた。
当然のように私へ手を伸ばし、資料を要求する。………。何も変わらない普段の情景だ。違和感などどこにもない。
「………なに」
「――――」
「?」
けれども、と私は漠然とした不安に襲われた。恭弥が呼ぶ私の名前と、私を見つめるその穏やかな瞳。
思考が止まっていたのだ―――後になってそう思う。あれが夢かどうかすら、今が本当に現実なのかすら、分かっていなかったから。
「恭弥、」
「ん?」
「……私達、……付き合ってた、よね?」
ぴしり。と、音を立てて、その部屋の空気が、凍った。…どころか、氷点下にまで落ちた。
さん、何を?!という草壁の悲鳴が遠くに聞こえる。いや、だって。でもあれは。本当に、……本当に?
言い訳めいた言葉がぐるぐる巡っている私の脳を―――次の瞬間、強い衝撃が襲った。同時に背中に痛みを覚える。
視界がぐるりと回ったかと思うと、そのまま首に冷たい手を掛けられ息が詰まる。そこまできて漸く私は我に返った。
「……………あ、」
“そういう”意味じゃなくて!という反論は、絶対零度の瞳に射抜かれて喉の奥に絡まった。
がたがたと大きな音を立てて、たくさんの人間が移動していくのが分かった。執務室破壊の再来だ、誰かボスを呼べ!
いや呼ぶな!殺される!―――巻き込まれるぞ、急げ!失礼なざわめきを伴って、気配が遠く遠くに離れていく。
その素早さといったら、お前ら避難訓練でもしてたんじゃないだろうなと邪推したくなるくらいだった。
そしておそらくは最後まで何とか残ろうとしていたのだろう、草壁の戸惑ったような気配が扉の向こうに消えたところで……
私を誰かの机の上に引き倒した恭弥は、ゆっくりと口を開いた。その顔に、笑みは、ない。
「――――それは、分からせて欲しいってこと?」
違いますすみませんごめんなさい、という絶叫は、結局、音になることはなかった。
同じ頃、執務室で似たようなことが起こっていた、なんて事実を――――私が知るのはもう少し後のことである。
FIN.