たとえばの話。
もし、人通りの少ない路地裏……正確に言ってしまえばゴミの散らばるただの薄汚い道に、
えらく見目麗しいイケメン、もとい青年が意識を失って倒れていたらどうするか?
もちろん人の美醜どうこうを問題にしているわけではない、がしかし。第一印象における外見とは非常に重要な意味を持つものである。
金色に輝く髪、伏せられた睫が嫌味なまでに長い。
ぐったりと上半身を廃材に寄りかからせるようにして眠っているその情景がまるで一枚の絵画のよう―――……とは言いすぎか。
ともかく幸いにしてその青年はイケメンであった。
それもただのイケメンではない、もの凄く綺麗系の、爽やかなイケメンだったのだ。俗に言う「母性本能とやらをくすぐる」タイプ。
つまりこんな怪しげなシチュエーションにおいてさえ周囲に警戒心を抱かせないような、むしろどこの少女漫画だと言いたくなるような、
……そんな状態で男は私の前に現れたのだった。
それは所謂、
情報屋『Xi』と看板を掲げてから早一年と少し。当初こそ鳴かず飛ばずの事業展開だったが、どうもその頃の業界内で私のような
「日本人」らしい律儀さは珍しかったらしく、今となってはそれなりに居場所を確保することができた。
もっとも、そういう律儀さなどというものは決して利益につながるわけではない。
足元見られるわ儲けは少ないわで、今でもジリ貧生活を余儀なくされている。
陰では一部の周囲にいいカモだと嘲笑われていることも知っていた。
まあ、自力で生きていけるだけで重畳、か。文句は言うまい。
オリーブオイルまみれの食生活を何とか抜け出したい胃の悲鳴を無視して、私は毎日そう自分に言い聞かせる。
そこを何とかしようにも、如何せん、先立つものがない。輸入品は総じて高いから。あぁ、わびしい。懐が寒い。
……だからといって、だ。
「―――結構な報酬だが、どうするよ?」
「無理です。嫌です。お断りします」
相場のなんとびっくり!軽く十倍はこえる金額を提示されたからといって、マフィアからの依頼は受けない。
釣られない。関わらない。生きていくために、そう決めた。
……桁からして違うという報酬に心揺らいだりとかしてないから。いや、本当に。
視線はあらぬ方向を向いていたにしろちゃんと即座に断った私を、マスターはどこか生温い、けれど悟りきった目で見つめてくる。
情報屋を生業にすると彼の手伝いをやり始めた時から、大前提として散々言い続けてきたことだ。答えはわかっていたのだろう。
(だいたい、“よくある風に”マフィア嫌いをきちんと公言している私に、わざわざマフィアが話を持ってくること自体―――)
調査不足か?あるいは誰でも片っ端から声をかけてでもいるのか。怠慢だな。
どちらにせよ返答は同じなんだから、マスターの方で適当に断っておいてくれればいいのにと自分勝手なことを思いつつ。
マフィアのマの字が出た瞬間に話を聞く気がなくなったので詳しいことは聞いていない。
どこのファミリーだったか、キャベツがどうの、とか………。なんだったかな。
とにもかくにも、一応現在進行形で抱えている仕事があるため、私はさっさと忘れてそれに集中することにした。
のが、
かれこれ、五時間ほど前のことである。
今回の仕事は少しばかり毛色の変わった話だった。もちろんマフィアとは関係がない。
報酬につられ……たのはどうでもいいとして、内容は、――さるターゲットの行動をつきとめること。
自宅、職場、行きつけの店、そして家族にすら知らせていないもうひとつの家。
正直、この辺りで微妙に嫌な感じはしていたのだが。
(まがりなりにも社長だから、移動が多いのなんのって)
ついていくだけで一苦労だ。撒くのは得意だが尾行はそこまでうまくない。
それでもなんとか全体像を掴んだ私は、地下に潜ってひとまず休憩しようと適当に目に付いた道を曲がった。
いや、曲がりきろうとしたところで、ぎくりと肩が跳ねる。……足が、止まった。
視界に飛び込んできた、金色―――建物の隙間から洩れる僅かな光を反射して、それは鮮やかなきらめきをみせる。
こめかみから流れる一筋の赤。ゆえに、人形などではなくヒトであることはすぐにわかった。一目で上質だとわかる服。
そして何よりも視線を奪ったのは、なんというか口に出すのも恥ずかしいのだが、その王子様然とした容姿だった。
格好良い。素直にそんな感想が出てしまうほどの綺麗なイケメン。
それが眠り姫よろしくいっそ優雅な姿で壁に半分身を寄りかからせている。
どうすればいい。巡る思考は数秒も経たずにある結論を導き出した。
「…………………ふっ」
―――失笑。
柄にもなく、立ち止まったのがそもそもの間違いだった。私が、どうすべきか、だって?何をそんな血迷ったことを。
(しばらくこの道は通らないようにしなきゃ、ね。凍死体になんて遭遇したくないし)
いくらイケメンで、結構好みかも知れない顔だったからといって、だ。
誰とも知れない怪しすぎる男を助けて、そのせいで何か面倒ごとに巻き込まれたらどうする?
目立たないことを信条にしている私にとって厄介事は忌むべきものだ。
道徳心なんてそんなもの、どこか遠くに置き忘れてきてしまった。
……忘れよう。わき起こる感情すべてに蓋をして、踵を返した私の耳に。
ばきり。ごん。べしゃっ。
最初の音で条件反射的にばっと振り向いた私は。
気絶しているにもかかわらずなぜか男が身体を滑らせ、近くに散乱しているむき出しのコンクリートブロックに
勢いのまま激突し間抜けにも崩れ落ちるその一部始終を完全に目撃してしまった。
かなり痛そうな音だったことを裏付けるように、時間を置いてじわり、地面に広がる赤。
に、なにか、嫌な、記憶、が―――
(っ、あぁ、もう!)
手当だけ!それだけ!それが終わったらダッシュで逃げる!あとは餓死しても知るかっ!
人気の全くない路地裏。誰が聞いているわけでもないのに小さくそう言い訳して、私はその煌びやかなイケメンに近づいた。
手持ちのもので止血しよう、と懐を探り、患部に手を伸ばしたその瞬間。
痛みがあったのか、少し呻いて意識を取り戻しかけた青年に、それはもう大慌てで麻酔銃をぶっ放し
昏倒させたことは―――彼と彼の「家族」と繋がりが出来てからも、黙して語ることはない事実である。
……報復、怖いです。