とっさの判断とは恐ろしいものである。

 

撃ったと自覚したのは金髪イケメンの全身が薬によってだらりと弛緩してからだった。

もちろん命に別状はないし、むしろ苦痛を和らげる効果があったと言えよう。……言い訳だが。

 

 

 

それは謂、

 

 

 

後になって思えばそれは「関わらない」ための最善手だったのだろうが、その時の私には知る由もなく。

見捨てようとしていたこともあって無駄に罪悪感を募らせるだけの結果に終わった。

 

それ故に――というか、せめてもの罪滅ぼしに、

私は治療を終えると少し離れた場所から青年が意識を取り戻すまでを見守ることにした。

幸い、使用した麻酔銃は強力なものではなく(とはいえそれを差し引いても青年の目覚めは早かったようにも思う、)

ものの十五分程度で動き出したのでよしとしよう。その間誰も道を通らなかったし。

 

………ただ。たったひとつだけ。

 

目覚めた直後の青年の行動に―――なぜか、ひどく、引っかかりを覚えた。

周囲を見回すその姿にひとかけらの油断もなかった。ように思えたからだ。

素人らしくないような、警戒すべきだったような―――。

 

 

しかし直後、彼は散乱するゴミに足元をすくわれて見事にすっ転んでいたので、気のせいかもしれない。うーむ、わからん。

釈然としないものを心の隅に抱えながらもひとまず帰り、次の日。

 

いつもの店を訪れた私は、どことなく冷や汗をかいて私を迎えたマスターの言葉にそのすべてを忘れた。

 

 

 

「無理です。嫌です。御免被ります」

「……ま。そーだよなぁ」

「確かに昨日お断りしたはずですけど?」

「俺もそう伝えたさ。けどな、なんかえらく食い下がられたぞ? 報酬が気に入らないなら上げる用意は

あるとかなんとか。考えたくはないがお前、もしかして何かやらしたんじゃあ……」

「あははまさか。もう一度断っといてください」

「…………」

 

 

 

さらりと抑揚をつけずに一息で言い切ると、半眼でこちらをみやるマスターを無視して私はドリンクを口に運んだ。

 

まったく、冗談じゃない。何度考えたって接点がない。私の知らないファミリーであるという時点で最も忌避すべき事態は免れたはずだ。

ならば無駄に騒がない動かない調べない。それが己の身を守ることに繋がると信じている。

 

 

 

私が身を置く表裏どっちつかずの世界には、ある一定数の「マフィア嫌い」を公言する人間が存在していた。

何かあればすぐ銃をぶっ放すような連中――先入観に溢れる穿った感想なのは自覚している――と

極力関わりたくない、なんて、そちら側に足を踏み入れていなければ誰しも思うことだ。

 

マフィアの抗争に巻き込まれて家族が……なんてありふれた話も、探せば山のように見つかるだろう。

だから、私は目立たない。マフィアが嫌いだからとマフィアの依頼を断ったところで目をつけられるはずもない。

 

大概の依頼者は(私の能力ゆえの)低価格、(生まれ育った環境で培った)時間&約束厳守、

(マスターから紹介されて広がった)人脈という名の武器。そういったものにメリットを見いだして私を指名する。

 

けれどそれは業界唯一ではない。

私はただ、マスターというよくよく突き詰めれば正体不明の人物のコネを利用させて貰っているだけ。

そう、代わりはいくらでもいる――。だと、いうのに?

 

 

(二度断られて尚、なんて。三度目の正直じゃないんだから―――そのとき、は)

 

 

動くタイミングを間違ってはならない。マフィアに目を向ける行為自体、私には二の足を踏むことなのだから。

心配そうなマスターに大丈夫だと手を振って、マフィアの誘いからもう一度耳を塞ぐことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回の調べ物もそろそろ大詰めといったところか。あるターゲットの行動を云々、と言ったが、

実は依頼主はターゲットの妻であり……そう何のことはない、つまり、これは俗に言う浮気調査で、浮気相手の

素性その他を調べ上げてまとめて報告するのが私の仕事だった。

 

社長の妻、という立場から表立って動けないため、一般の探偵社などには持っていけなかったのだ。

事実、ライバル会社などにすっぱ抜かれでもしたら大事も大事。少なくとも私は信用してもらっている、と思っていいのだろう。

 

いいところのお嬢様の見本のような女性だったにもかかわらず、

私の容姿について……東洋系だなんだと貶めたりしなかった。珍しいことだ。

 

 

それ以前に浮気調査なんてまがりなりにも「情報屋」のすることじゃない?

いやいや、こういうどうでもよさそうな依頼が私の日銭を稼ぐ手段である。なにせまだ成人してさえいないのだから当然だろう。

 

……依頼を受けて話を聞きにいってみれば、ただの買い物を申しつけられたこともある。

延々と愚痴を聞かされ相槌だけを求められたこともある。失せもの探し、ペットの捕獲、配達などなど言い出したらきりがない。

まったくもって、馬鹿馬鹿しい―――とは、蓋を開けてみると案外言い切れなかった。

 

そう、何の力も持たない全くの一般人は私のことなど知る術もないのだから、ふざけた依頼をしてくるのが

ある程度道を踏み外していたり、娯楽として楽しむ余裕のある上層社会に属する連中であって、結果そこに繋がりが生まれる。

 

そして思いもよらぬところでその絆が役に立ったりする。と、……いつも全てが終わってから、思う。

 

 

(……甘、)

 

 

クリームが山ほど盛られたキャラメルコーヒーを口に含む。地道な調査と、一種の運で、私は女の居所を突き止めた。

事実、二人きりで会っているようだし、あとは依頼主に提出できるだけの強力な材料をもう少し集めればいい段階にきている。

 

しかしやりとりされたメールのバックアップは手元にあるけれど、男のほうがくそ真面目なせいかどうも事務的で

浮気と断定するには至らない。下品な話、やったやってないが焦点なのだ。

仲睦まじそうなツーショットの写真とかがあれば心強いのだが……。

 

……あともう少しだ。今日こそはと気合いを入れて、わかりきったスケジュールに従って動くことしばし。

これから愛人に会いに行くだろう男を尾行するため、いつも通りいきつけの店のオープンテラスで昼食をとるその姿を

向かいの喫茶店(もちろんこちらもオープンテラスだ、)からこっそり眺めやる。

悲しいことだが、至近距離で堂々と監視できるような技量を持ち合わせてはいなかった。

 

 

男が食べ終わるまでの時間はきっかり十五分。几帳面な性格なのだろう、曜日ごとに頼むメニューが決まっている。

仕事ぶりはいたって真面目、会社の経営状況も悪くない。依頼主はちょっとびっくりするくらいの美人だ。

男の欠点といえば、酒癖の悪さ――よく記憶がなくなるまで飲んでしまうこと、だろうか?

 

 

(しっかし、浮気、ねぇ……)

 

 

順風満帆な生活のどこが不満なんだか。奥さんに離婚する気はないようだし、まあ、その後どうなるかなんて私には関係ない。

カモフラージュに広げた手帳を見る振りをしながらそんなことをつらつら考えていると。

 

 

突然、ざわ、と空気が蠢いた気がして、

ぞくり―――肌が粟立った。

 

 

なに、なにごと?私がその原因を知るより前に、

ぱりん。

響く、音。水。広がる驚きの気配。昼下がり、気持ちのいい静けさを切り裂いた。

 

 

私のターゲットからちょうどテーブルみっつ分離れた席で、ひとりの青年が水の入ったコップを落として割ってしまったようだった。

その一瞬、道行く歩行者でさえ音の鳴った場所に注目したのがわかる。それはいい。

 

だが、それら視線がなかなか外れないのは―――

 

 

(き、金髪のイケメン……!)

 

 

間違いない。昨日の行き倒れ青年だ。

全く予想していなかった姿を見つけ、私はあんぐりと口を開けそうになってなんとか踏みとどまった。

秀麗さゆえに主に女性からの視線を集めている彼は、店員に申し訳なさそうな顔をしながら謝っている。

 

問題のターゲット、は。

 

片目の視界で知れることは僅かだったが、男はちょうど金髪の向こうに座っていたため、周囲に合わせるふりをすることで

ぎりぎり観察は可能だった。彼は音につられるように顔を上げ、原因を視界に入れると、――――なぜか。目を、見開いた。

 

彼の中でどんな思考が巡ったかはわからない。けれど、やばい、だとか、まずい、だとか。

そういった種類の感情を顔一杯に浮かべて、硬直すること十数秒。

 

次の瞬間、男は食事もそこそこに席を立ち、そそくさとどこかへ移動してしまったのだった。

 

 

(…………えっ?)

 

 

その様子を呆然と見守ってしまったのは致命的なミスと言えるだろう。

毎日きっかり十五分のところを八分かそこらで終えられてしまう……そういうアクシデントを端から想定していなかった私が悪い。

 

丁度十五分程度で飲み終わるようにと計算していた、目の前に鎮座している飲みかけのコーヒーを見やる。

一気に飲み干すこと自体は不可能じゃない。しかし、衆目――こちら側の客だけでなく店員すらもイケメンに注目している今、

追って席を立つのは難しかった。ターゲットが去った瞬間まではよかったのだ。けれど周囲は既に静けさを取り戻してしまっている。

 

 

 

――――逃げられた。それは、紛れもない事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

「尾行失敗」という文字がずしりと私の頭に圧し掛かる。

結局その日、女と会うはずだった男は待ち合わせ場所に現れず、未練がましくじっと張り込んでいた私は

ツーショット写真など手に入れられるわけもなかった。……金髪のイケメン?さあ。

 

あの後無駄にきらきらした笑顔をまわりに振りまいていたが、殴りたくなったので意識から外した。

 

 

ああ、――くそ。忌々しい。

 

 

 

 

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