私がこの家を見つけられたのは、たまたま以前の依頼主が訳ありの客を扱う不動産屋――ただしアニメオタク――で、

本当にたまたま、ターゲットがそこで部屋をひとつ購入したから、というまさに偶然に偶然が重なった結果のこと。

日本製アニメDVD全十巻をイタリア語に翻訳するという条件を出すと彼はあっさり守秘義務を放棄した。

 

正直、作業は思ったより辛かったのだが。

 

 

 

それは謂、

 

 

 

そういった苦労もあって、今日こそは必ずツーショットを激写してやる!という予定が完全に崩れてしまった私は

スケジュールの時間的にターゲットがもう女と会えないのを確かめてから、腹いせにその部屋に赴き、迷いなく忍び込んだ。

(犯罪である。真似しないように)

常に開いている窓があったのは調査済みだし、その当時の私の体格でなら通れることもわかっていた。

男からの行けないという連絡があったのかどうか、どこか不機嫌な顔のままどこかへ出かけていくのを遠くから確認して――。

 

何を盗ろう、と思っていたわけではない。

写真のひとつやふたつあればいいのになんて、そんな楽観的な妄想はするだけ無駄だ。

ただ完全な無駄足になるのが嫌だった。チャンスがあったから、なんとなく。

 

情報屋という職業柄、いや、マスターの手伝いをやり始めた頃からか、私は色々なタイプの人間を見てきている。

大雑把だが、性格の見分け方なども教わって多少見る目は備わったつもりだ。

……やっぱり、今回はどこか妙な違和感を覚える。

 

そもそもあの愛人と思しき女性は、奇妙なほどに存在感が薄かった。匂いのないひと。

ここはイタリアだというのに香水ひとつしない。浮気がばれないように、だろうか?よくわからない。

 

 

購入したばかりだからなのか、いやに生活感のない部屋だと思った。脱いだ靴を両手に持ちきょろきょろと周囲を見回す。

一通りの家具は揃えられている―――くせに、キッチンは使われた形跡がない。

目に付いたクローゼットを指紋がつかないよう開けると、中は空。

 

ワインレッドの小さなモバイルパソコンが存在を主張している。その傍にひっそりと置いてある、

 

 

(SDカード?)

 

 

なんだろう。大手メーカーの、何の変哲もない小さなそれに目が吸い寄せられた。

メモリー媒体、つまりは情報の宝庫。中身が気になるのは情報屋だから?

これだけ無防備に置いてあるもの、大した価値などないと頭では分かっているのに。

 

この部屋、何もなさ過ぎてぶっちゃけ私は苛々していた。

 

 

ま、なんでもいいか。まずいものだったら消して忘れよう。

そういう結論に至るのは早く、ウィルスの有無だけ確認して、中身もろくに見ず適当に吸い出して部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

次の日の朝、自前のパソコンを開いて昨日の成果を確かめる。

けれどコピーしたデータは、正直、私には何が何なのか全く理解できなかった。

英数字がある程度の規則にそって並んでいるのはわかったが、その羅列が何を意味しているかなどさっぱり見当もつかない。

それゆえにマスターに判断を仰ぐか否かも決められずにいた。情報とはそれだけで力になる。当然、己を殺す刃にも。

 

なんにしても私の依頼である「浮気調査」には全く関係のないことじゃないか?

男と女の仲である。まだまだ子供の私が判ずるべきことでもない。

かといってそのまま破棄するのもなんだか躊躇われて、懐に忍ばせたまま―――――

 

 

――――それから起こったことで、その存在をまたすっかり忘れてしまった。

 

 

マスターの店に顔を出すのは私の日課であり、今まで特別なことが起こったためしはない。

しかしその日だけは違っていた。大通りから少し離れた場所、人通りは少ない――はず、だ、が。

普段通り歩いていた私は、些か顔が強ばり、心臓がぎしりと嫌な音を立てるのを感じながら、

 

……………そのまま素通りすることを強いられた。

 

 

(っ、ちょ、なんか居る、っなんか居る!)

 

 

一匹いれば数十匹―――のアレのように、全身黒尽くめのスーツ共があっちの隅、こっちの陰、

とにかく、マスターの店を囲うように犇めいていた。びびる、どころの話じゃない。

だってあれはどこからどうみてもマフィアの連中じゃないか!怖い。怖すぎる。走り去らなかった自分を褒めてやりたい。

 

幸いなことに連中の意識は店に集中していた。

殺気の欠片もなかったことから察するに、多分店の中に誰か護衛対象がいるんじゃないかと思う。

小さい店だ、一緒に入ることを断られたのだろうか?

 

何度も何度も、大の大人達が閉じられた扉の向こうを見ようとのぞき込む姿はいっそ滑稽ですらあった。

いや、全然笑えないけども。

 

 

(くっ、折角のタダ飯が……)

 

 

現実逃避に毎日強奪させてもらっている軽食のことを考える。

半人前な内は毎日顔を見せろ、なんて、体の良い言い訳を作ってくれるマスター。

……よもや、ピンチ……なんてこと、ないよね?だってマスターだし。

 

マフィア嫌いを叫ぶ私を慮ってかそうそう口には出さないが、マフィアとある程度繋がりがあるようだった。

……うん。大丈夫。うん。

あれだけ護衛ひきつれて来るってことは、訪問者は大物に違いない。そしてあの雰囲気で血腥いことが起こるわけもないだろう。

 

私がしゃしゃりでたところで手助けになるどころか足手まといになるのは必至。

また夜にでも行って、黒服がいないのを見計らってから入ればいい。それが最善。それが、正解。

 

(――――……)

 

一歩一歩少しでも遠くへ。思いはすれど、しかし歩くスピードが知らず緩んでいく。ついには足が止まった。

……違う、見捨ててなんかない、状況をきっちり分析して導き出した結論だ。おそらく間違ってはいない。

私は勘がいい方なんだ。あの連中はなんらマスターに危害を加えはしないだろう。けど。

 

(けど?)

 

悩む。今すぐUターンして店に戻れるか?いいや、きっと私は、あの黒服を見て足を竦ませまた逃げ帰るに違いないのだ。

それほどあの事件が―――私から命以外の全てを奪っていった「マフィア」が、途方もなく、……怖い。

 

いつ見つかる。いつ捕まる。私の資料ごと全てを破壊し尽くしたというのに消えない疑念。

まるで世界中が己の敵になったかのような錯覚。

私は、だから、マフィアが怖い。たとえ今回のように、私に一切注意を払わない連中だったとしても。だから?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おはようございます、マスター」

 

 

場所は駅前。人混みの中、私は右手に携帯を持つ。

これが最大限の、精一杯の譲歩だった。真っ向から相対すれば私の足が無様に震えるかもしれない。

それをどこともしれないマフィア連中に勘ぐられたくもない。だからせめて彼の無事だけは確かめようと、電話することにしたのだ。

 

すると予想外、と驚くべきか。それとも案の定と安心すべきか。

すぐ電話に出たマスターは、通話相手が私だとわかると明らかに狼狽えだした。

 

 

 

『っ、ああ………いや。なにも言うな。お前の言いたいことはわかる』

「―――。……はい?」

『大方入り口が塞がってたんだろう? あいつの部下は心配性だからな、こんな所にまでぞろぞろと。っとに迷惑な話だ』

 

 

 

ただでさえ少ない客が寄りつかなくなる、などとぶちぶち愚痴をこぼす。どことなく焦りが感じられる声音。ただ。

 

……その中に、それなりの気安さを読みとって、私は少し肩の力を抜いた。どうやら最悪な事態に陥っているわけではなさそうだ。

「あいつ」。確かにマスターはそう言った。裏社会の大物だろう人間をあいつ呼ばわりできるなんて。

 

 

 

「お友達、……ですか」

『ばか、冗談言うな。それにそもそもあいつは俺の客じゃねぇ』

「…………」

『…………』

「…………」

 

 

 

ふと。なんだか。

理解、してしまった。してしまったことを後悔した。

 

どこからどうみてもマフィアな連中を従える誰か、しかもマスターの知り合いが、わざわざマスターの店に訪れ

しかしマスターの客ではないという。誰か他の客とそこで待ち合わせしているとどうして最初に考えられなかったのだろう。

これも無駄に鋭い勘のせいか。それとも、あまりに申し訳なさそうなマスターの態度のせいか。

 

確かに一昨日と昨日。私はマフィアという単語を耳にしていた――。

 

 

 

「……逃げて良いですか?」

 

 

 

緊急性は、ない。何もかも投げ捨てて隠れなければならない状況じゃない。彼が何も言わないのは、そういうことだ。

マフィア嫌いに依頼を持ってきた空気読めない誰かが、直接出向いてきた、と?……馬鹿馬鹿しい。

 

いったいどこの悪趣味なマフィアだ、そんなものに用はない。

 

 

 

『お前な、俺の話ほんっとに聞いてなかったんだな……』

「受けない依頼なんて聞くだけ時間の無駄で―――」

『“跳ね馬”だ。それでわかれ』

「    」

 

 

 

あははまさか。もう一度そう言えたらどんなに良かったことだろう。マフィアに関わりたくないからと、あの事件に

関係のある連中以外には一切興味を持つまいと自分を律していた私でさえ、覚えのある名前だった。

マフィアが怖くて怖くて仕方がないと怯え続ける私に、そう、いつかマスターが『マシなマフィア』の一例として語っていた。

 

彼の統べるファミリーは五千をゆうに超えるという。キャ……なんとか。ファミリーの名前は正直覚えていないのだが。

それを相手にして逃げる?人海戦術に訴えられて逃げる自信は――どう、だろう。やってやれないことは、ないかもしれないけど。

 

(そんなことすれば、目立つに決まってる……!)

 

イタリアから出られない私が、イタリアに住めなくなる。考えただけで寒気がした。

 

 

 

「お、お引き取り願うというのは……?ほら、他にいい情報屋とか紹介して、」

『目当ては既にお前が持っているモノ、らしい。他じゃ駄目なんだとさ』

「それ、は――」

『わかってると思うが、これ、筒抜けだからな。昔のよしみだ、観念してくれ』

 

 

 

この時点で、邂逅は避けられない。今日を凌いだところで結果は同じ。

果たして――――電話の先に、いったいどんな人物が待ち受けているのだろう?

 

 

 

 

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