「え、断られたのか?」
山積みになった書類を片手間に処理しつつ、キャバッローネの十代目ボス、ディーノは部下の報告を聞いていた。
それは所謂、
いくら大きい組織といえど、それ故に手が届かない場所――マフィアが立ち入れない枠組みがイタリアには各所に存在している。
今回の件に関して言えばマフィアとして自分達が動いても良かったのだが、無駄に警戒させて身を隠されたら面倒なことになる。
そういう判断で「外」へ依頼することにした。というのも、信頼できる筋から、丁度その情報を持っているという
情報屋を偶然にも知ることができたからだ。なるべく手間は掛からないほうがいい。
情報を売買するのが彼らの仕事、こちらとしても報酬をけちるような真似をするつもりもなく―――。
しかし、すんなりいくだろうと思っていたそれとは真逆の答えを示され、ディーノは思わず手を止めた。
書類から顔を上げると、こちらも微妙な顔をしているロマーリオと目が合う。
「は。どうもマフィア嫌いという話は本当らしく、取り付く島もなかったとか。……どうする、ボス?」
「―――。『俺達』の名を出したんだよな?」
「迅速にということなので、やむなく」
「………」
くるくる、手の中の万年筆を回す。
マスターから漏れ聞いた話だと、その情報屋『Xi』とやらはまだ十代半ばくらいのガキのはずだ。
知りたいことは自分で調べろと突き放されそれ以上詳しいことは分からないままだ。
とはいえ曲がりなりにもイタリアで情報屋を名乗る以上は、ディーノのファミリーを知らない筈がない―――。
その名が持つ意味も。
(マスターが目をかけてるっつってたな。説得がてら行ってみるか?つか、書類も飽きたし)
依頼も何も、マフィアのマの字が出た時点で話が打ち切られていたのだが。
そんな裏事情を知らない哀れなボスは、一瞬だけ、口元に何とも言えず性質の悪い笑みを浮かべた。
と、まあ、意気込んで部下を撒いて飛び出してきたはいいものの。
道中、何が悪かったのか滑って転んで頭を打って気絶していた。……らしい。その間の記憶がない。
見慣れた道とはいえ廃材の中ぶっ倒れていたなどとロマーリオが知れば何と言うか。しかも、そう、しかもだ。
―――治療、されている。
その事実にはもちろんのこと、そうされたことに全く気づかなかった自分が本当に信じられない。
(よく殺されなかったもんだぜ……)
殺気のひとつでもあれば飛び起きたのだろう、と思いたかった。流石にショックだ。打ち所が悪かったのか?
これはもうなかったことにするしかないだろう。さもなくば、今となってはもう、普段はちょっと……いやかなり
頼りない、けれど身の奥深くに底知れないものを秘める弟弟子にかかりっきりの、あの凄腕家庭教師に地獄の
特訓を受けさせられることになってしまう。
「しっかし、一体どこの誰が―――」
丁寧に巻かれた包帯。害意のない、人物。ディーノを知って近づいたのなら気付くまでそばに居て恩を売るだろう。
この界隈には珍しい底抜けのお人好しでもいたのかもしれない。ボスとしての勘か、特に深く調べなくてもいいような気がした。
―――閑話休題。
すっかり暗くなってから本部に何食わぬ顔で戻ったつもりが、ロマーリオに会うなりものの数秒で
怪我を見抜かれて説教フルコース直行となった。血が止まっていたので目立つ包帯は取ったのだが
消毒液の匂いまでは隠せない、か。それとも右腕としての力量かもしれない―――久々の説教は少々堪えた。
抜け出したことで散々心配をかけたのは悪かったと素直に思うが、全て正直に話すと朝まで掛かりかねなかったので、
……通りすがりの親切な医者に治療してもらったとそこは誤魔化しておいた。
そしてまた夜は更ける。逃げた分明らかに増えた書類と格闘しつつ、漸く眠りについたのが午前三時。
朝になっていつになくぱかっと目が覚めたのは、やはり気になることがあるからか。
支度をして再び書類の山に手を伸ばしながらその時を待つ。午前十時。予想はできていた。
だから、一度目ほどの衝撃はない。―――むしろ、じわじわと笑みが浮かんでくるほど。
「つまり、もっかい断られたんだな?」
「以前にも増しての即答だった、とかなんとか……」
「ああ、そりゃ困った困った。俺達も忙しい身だ、情報があるところから引っ張るのは当然だよなぁ、ロマーリオ?」
「―――ボス、」
目をそらされるが気にしない。これみよがしに眉間を押さえても駄目だ。二度目の依頼も断られた、
膨大な構成員を抱えるマフィアとしての面目もあったもんじゃない……なんて、建前。
これで堂々と外に出る大義名分を手に入れたのだから嬉しくもなるというもの。
「情報屋『Xi』に、直接話をつけにいく。いいな」
「いや、しかし、ボス自ら出なくても――」
「マフィア嫌いの相手に、お前らみたいな強面が行って話が纏まると思うのか?
それにあのマスターが目をかけてるってんだ。丁重に扱えって話だったし、ちゃんと筋は通さないとな」
「……………」
そりゃ単なる嫌がらせじゃねーか。
思わずといった感じで零れたロマーリオの突っ込みに手を振って、ディーノは意気揚々と立ち上がった。
目的を決めてしまえば、話は早い。そもそも情報屋『Xi』は気配に敏感なのか尾行がし辛いという評判が立っている。
(これはもちろん、情報屋に詳しい情報屋に聞いたものだ)
ならば捉えにくい本人を直接追うより、『Xi』のターゲットそのものを張った方が簡単だ。
社長などという肩書きを持つ人間は補足しやすい。そして『Xi』は、その男をまさに今、現在進行形で追っているのだから。
この時間からなら丁度昼食の時間にぶち当たった。社長がどこでランチを食べているかは会社で周知の事実だったので
居場所を見つけるのはたやすかった。なんの変哲もないリストランテ。
少し離れたところから観察してみるが、どうにも男の周囲に情報屋らしき影はない。
そういう職種は一様にして独特の空気を持っているはずなのだが―――。
(どうすっか、な―――……)
ちらりとある作戦が頭をよぎる。単純な、それこそ悪戯の域をでないそれ。
情報屋なんて頭でしかものを考えない連中にはそういった単純なものに引っかかりやすいのだ。
特に、そう、こちら側じゃない、比較的平穏なところにいる情報屋は。
部下に周囲を見張っているよう言い渡して、客として店に入る。食事に集中している男はこちらを見もしない。
いい感じに席が空いたのでそこへ座り、やってきた店員にピザを注文した。
彼の社長とは実は面識がある。といっても数回、企業主催のパーティーで二言三言挨拶するだけの仲だ。
個人的には彼の生真面目な性格は仕事上好ましいものにうつったし、会社の業績からしてもできればこちらの
“表側”の企業と是非取引したいものだと今目をつけている。行く行くはその先も……。
もちろん話が纏まっていないそれをあからさまに表明するなどもっての外だ。はっきりと声を掛けたことはない。
けれど、とディーノは内心策を巡らせる。表の人間といえども、イタリアにあれだけ大きな会社を持っているなら
マフィアの動向に目を光らせるのは当然のこと。そして彼はその気質故にマフィアを厭っている。
こちらが水面下で仕掛けているアプローチを悉くかわし続けている今の状況で、自分を見かけたらどうするか。
間違っても、この顔を見忘れたなどとは言わせない―――。
ディーノはおもむろに氷水の入ったコップを手に取ると、口元へ持っていくこともなく、
そのまま地面に落とした。
音に反応して男がこちらを見たその後の展開、なんて簡単に想像がつく。
案の定、予想を裏切ることなく社長は慌ててその場を去った。
すっとんで来た店員に割れたガラスを片付けて貰う間に騒がせたことを周囲に謝りつつさりげなく見回すが
小さくなっていく男の背中を追う人間はいつまで経っても出てこなかった。
周囲に配備させた部下たちからも特に報告は入っていない。……そう、情報屋『Xi』のことである。
そもそも来ていないかもしれない?心配無用。
ここに来る前にきちんとマスターに電話しカマをかけ、社長についていることは知っていた。
「………存外、」
社長の行動は当たっても「こっち」の予想は外れたらしい。どうして、どうして。存外頭の切れる奴かもしれないな。
愚直に慌てて後を追うと判じたのが間違いだったか。
男が去ったからか、ロマーリオが痺れを切らしたようにテーブルの向かい側へとやってきた。ディーノはただ、笑う。
「なあロマーリオ。ちょい反則っぽいけどさ、明日、直接マスターんとこ行くわ」
「……よろしいので?」
「ん。なんつーか、俄然興味出てきた」
そうして運ばれてきたピザを二人で食べて、本部に戻った。そう、全ては明日―――