マスターの泣き落としに加えこれに乗じて色々条件を付けて、漸く、しぶしぶ、嫌々ながら彼の店へ舞い戻った私が
その扉を開けて―――すぐ、受けたこれ以上ない衝撃を、もう大体は予想できると思う。
「………―――、」(き、)
「お、あんたが『Xi』―――…なの、か?」
(っ、金髪のイケメン再びっ?!)
それは所謂、
「おいマスター、」
「俺はひとっっことも、男だ、なんて言ってないからな」
目の前で交わされる会話をどこか遠くに聞きながら、私はぼんやりとその男達を見やる。
金髪の爽やかイケメンがそうであるだろうことは、昔マスターの話していた“跳ね馬”の外見情報からすぐに理解した。
理解はしたが到底受け入れられない。だってあの人、路地裏にぶっ倒れてたよ?一人きりで、間抜けにも気絶してたよ?
それが馬鹿でかい組織を率いるマフィアのボスとか、そんなの、
「ちょ、いや、だって!こないだ入った情報じゃ、少年がどうとか……」
「あー……、ほら、この歳だと間違われることもあるだろ、色々」
ああうん確か少し前の依頼の時、変装の一種として髪の毛全部帽子につっこんだ記憶はある。
ただそれでも別に少年顔というほどのものでもなかったはずだが。……まさか胸か。胸なのかっ!成長期はまだ続くっつの!
―――などという現実逃避を、はりつけた笑みの下で静かに行う。
端から見ればできるだけ困ったような様子に思ってくれればいいのだが。私はそれとなく視線を逸らした。
いや、ぶっちゃけ怖いんです。私が散々マスターに文句を言ったせいか、あれだけうじゃうじゃいた黒服はすっかり消えてしまった。
けれど、やはり、そんな大物を一人で怪しい情報屋などに会わせるわけにはいかないのだろう。
ひとり……そう、金髪の斜め後ろにひとり、不動明王の如く佇んでいるおっさ……お、おじさん。
(なにこのひと、こ、強面すぎる…!)
きらりと光る黒縁のメガネと口ひげがもう、なんていうんだろう、
『てめぇ、なめたマネすっとぶち殺したるぞコルァ!』
みたいなオーラをびしばしぶつけてくるような気がするのだ。これはまずい。やばい。こわい。
治療したからといって顔を見られない為に麻酔銃ぶちかましたことは絶対に口にしちゃ駄目だ。これは、ガチで消される……!
「………かえりたい……」
口の中だけで呟いた言葉は、言い争う二人にかき消され、誰の耳に届くことなく消えていった。
ごほん。と、マスターのわざとらしい咳払いが何度か響いた。そんなに急かされなくても大丈夫なのに。
どうも個室に入る気には全然なれなかったので、カウンター、しかも間に五つほど席を空けて私は「彼ら」と相対している。
「………情報屋『Xi』です。はじめまして」
「ディーノだ。で、こっちはロマーリオ。こえー顔してっけど、噛みついたりはしねぇよ」
「どうも、お嬢さん」
「……………」
そんなことは武装解除してから言えよ。と、笑顔を絶やさない金髪イケメンと油断も隙もない黒服のおっさんを交互に見た。
どう好意的に見たって後者は間違いなくマフィアだ。そして一見そうは見えない優男―――いや、色男というべきか? は、
かの有名な“跳ね馬”だという。まったくもって不可解な話だった。
マフィアとは一切の関係を断ち切っているはずの一介の情報屋に一体何の用だろう。
「あー、その、なんだ。話聞くぐらいならいいだろ?な?」
借りがあるだのなんだのと、とにかく私を売りやがっただろうマスターを私はじろりと睨みつける。
あいつは“違う”、と何度聞いただろう。マスターの人を見る目を疑う訳じゃないが、すっきりしない気分だった。
そんなこと、……どうせ私には分からない。
「聞いたからにはやれとか、いかにも言いそうじゃないですか!」
「ず、随分な言いようだなオイ……いや、お前には無理を強いてるとは思ってる」
「少しでも悪いと思ってるなら帰してください」
「すまん無理だ」
「………」
ひそひそと話しているつもりだが、この距離だ。聞こえてしまったのだろう。
金髪イケメンとそのお供はどこか困ったようにこちらを見ている。……分かっている。これは私の問題だった。
このカウンターに落ち着くまで、イケメンや口ひげが動く度にびくりと手が震えた――隠しきれないそれに
マスターが苦く笑ったことも知っていた。でもどうしようもないのだ。マフィアは、……怖い。
向こうが口火を切らないのは私を慮ってのことだろう。なるべく早く終わらせたい私は、勇気を振り絞って自分から口を開いた。
「あの、それで、依頼というのは――具体的にどんなものですか」
「あ、ああ。俺達は今、ある女性を保護したいと思ってる。ただ居場所がなかなか掴めない。そこで、あんたの情報が欲しい」
「……既に私が持っている、と?」
「――“―――”」
金髪が何の迷いもなく告げた名前。まさに今、私がその名の女性に関する報告書を作っていると知っていての
発言、なのだろう。これ以上調べる必要がないただ言えばいいだけ―――だからこそ、癪に障った。
「失礼ですが、話す相手を間違えていらっしゃるのでは?」
「……なに?」
「“それ”は、私の抱える依頼に関するものです。ならば、その情報は全て私の依頼主のもの。
私が勝手にどうこうする権利はありません」
そういう依頼ならどうぞそちらに。だから帰れ今すぐ。そんな怨念を込めて、拒絶の言葉を紡いだ。
私の考える情報屋とはそういうものだ。情報をあっちこっちに流すのも場合によってはありだろう。
けれど今回は違う。依頼の途中で得たものを依頼主に渡す前に横流しってどうなんだ。
しかも目的が、女の保護?ますます意味が分からない。
怒るだろうか。怒って、実力行使に出られたら。懸念は一秒ごとに肥大する。
すると金髪イケメンは―――場違いなほどににっかりと、それこそ太陽のように朗らかに笑った。
「そこをなんとか!」
「……っ、いや、ですから、」
くっ、なんだろうこの無力感。眩しい笑顔に私はがくりと脱力してしまう。突き放すように冷たく言ったつもりが、
全て包み込まれた挙げ句なかったことにされている気がする。たった一言で向こうのペースに引きずり込まれそうになった。
「そ、それに、そもそも大きな組織なんですし、女性のひとりくらい見つけるのは簡単なんじゃ――」
「相手はマフィアを警戒してる、下手に動いても見透かされるだけだ。
慎重にやろうとすりゃ時間が掛かりすぎる。……それじゃもう遅い」
金髪イケメンが、すっと、笑みを消した。後ろの口ひげが目を伏せる。
怖いかって?もちろん。今でも逃げ出したいのは変わらない。ただ――金髪が、“跳ね馬”が、
キャ……なんとかファミリーの十代目ボスが。
「頼む。俺は、あいつを救ってやりたい」
頭を下げたりする、から―――。
卑怯だ。違う、私が押しに弱いだけ。絆されるほど気を緩めたわけじゃない、ただ、足が縫い止められた様に動かない。
気圧されていたと言えばいいのだろう、逃げ場がなかった。もう一度突っぱねる気力もないくらいに。
私達は向き合い、そして、交渉は続いていた。
「あんたへの依頼は夫の浮気調査、だったよな」
「…………」
「ああ、答える必要はねーよ。昔の貸しを引っ張りだして俺がマスターから無理矢理聞き出したんだ、
あんたが洩らしたことにはならない」
私はまだ半人前だ。だから調査結果は別として、後ろ盾であるマスターにはどんな依頼を受けたのかが知らされている。
そういったフォローのつもりだろうか、けれど私にとって、自分の中に土足で踏み入られたような感覚は消えない。
私がどう反応していいかわからずにいると、金髪イケメンは真剣な顔つきのまま、どこか宥めるような口調で言った。
「とりあえずこれだけ聞かせてくれ。あんたはその調査の上で、あの社長が浮気していると―――本当に思ったのか?」
ぎくり。その時の私の心情を表すならば、それが最も適当だと思えた。
ひた隠しにしていたものを暴かれたような、図星のど真ん中を貫かれたような。
「それ、は―――……」
断定できない。というのが、今のところの結論だった。……口惜しいことに。
調べても調べてもこれといっためぼしい証拠は出てこない。一度間近で二人を見るチャンスが一度だけあった。
女の方は相手に腕を絡ませ妖艶に微笑んでいたが、男の目は明らかに冷めていた。
まるで言い寄る女に拒絶する男のよう―――けれどこれは浮気調査で、そう、だからこそ現在進行形で
その証拠を探しているのであって!子供のように反論しそうになって、私は口元を引き結んだ。
このイケメンの雰囲気が、私の平静を崩してくる。なんとか深呼吸して、醒めた口調を装う。
「……二人きりで逢っているのは、事実です」
「確かにな。しっかし、レディにこういう事を言うのはなんだが……、あの男に、浮気は無理だと思うぞ?」
「……? なぜ、ですか」
「生真面目が過ぎるっつーか、頑固すぎて融通が利かないっつーか。堅物にも限度があるっつーか。
……ここだけの話、あいつな、多分奥さん以外じゃ勃―――」
「っ、教育的指導ぉっ!!」
「のわっー?!」
ぼそりと内緒話するように低められた声。何を言うかと思えば、……ただの下ネタかっ!
未成年のガキに変なこと吹き込むな、などとイケメンがマスターに怒られているのを放置しつつ、私は、
僅かに揺らぐ心を感じていた。メールのやりとりはあまりにも事務的。浮気調査なんて初めてじゃない。
以前のケースとは明らかに違うことは……認めよう。女の方がおかしいのは事実なのだ。
(情報屋は、正確な情報を扱ってこそ情報屋)
あの女とターゲットとの間に色めいたモノがない可能性はある。そのことを調べもせず否定することはできない。
だというのに、私が頭のどこかでそれを否定したがっていたことに今更ながら気付いた。
浮気調査だからと本質を見逃していたのではないか。
浮気の証拠ばかり探して目を背けている間に、浮気でない証明の方ならきちんとできたのではないか―――。
視野が狭い。柔軟な思考を持たない。いくら時間や約束を守っても、そんな情報屋に価値なぞあるものか。
(って、いやいや、いやいやいや!)
毒されてる。洗脳されてる!私の根本的な姿勢が間違っていたのはいい。まだ報告の段階ではないのだから修正はきく。
けれど浮気じゃないかどうか?違うというその証拠だって今はないはずなんだ。
この金髪イケメンはマフィア、それもかなり若いのにボスなんて地位に就いている異常な人間。
そいつが語るものが、ただ彼らにとってだけ都合のいい話だと―――……ああ、一概に思えない自分の
今までの調査が恨めしい。いやだから待て。
それでもじゃあ「何故」、妻に疑念を抱かせるように二人きりで逢わなければならなかったのか、が問題だ。
……という、私の思考回路を読んだように。
「あんたの情報と引き替えに、こっちもそれなりの情報を差し出す用意はあるぜ」
「――――情報、」
「ここらでお互い、情報交換しねぇか?」
お互いの仕事のために。そんな言葉が聞こえてくるような声音だった。
結局情報を横流しすることには変わらない、けれど――。………。
((だぁから、そいつは“違う”んだって))
マスターは無責任にも何事か頷いている。そんなの、だって、……そんな。
街と部下をこの上なく大事にしているマフィア? そんなもの、現実を見れば夢物語だとしか思えないのに。
私は深く、それはもう深く深くふかーく溜息を吐いて、金髪イケメンを真正面から見据えた。
「……やっぱり、依頼主以外に情報を漏らすのは信条に反します。それ以前にマフィアとかぶっちゃけ無理ですから!」
「おい、」
咎める響きを持つマスターの声は完全に無視をしてやる。いい気味だ。
「でも。……浮気でない可能性がある以上、もう一度詳しく調べる必要があると思うので、
今からその女性の家に行ってみようかと思います」
「―――え?」
「なんだか今日は朝から疲れたので、……その、ちょっと、注意力が散漫になるかもしれないですけどね!」
金髪イケメンの、綺麗な鳶色の瞳がまるく見開かれるのを見ていられなくて、ふいと顔を逸らす。
すると先程とは打って変わってにやにやしたマスターと目が合い、私は手元にあるドリンクをやけくそで飲み干した。
「なるほどな。尾行にも気づかないってか?」
「知りません。あ、マスター、お腹空きました」
「へいへい、……ったく、素直じゃねぇなぁ……」
「 な に か ?」
「イエ……」