その女性の両親はマフィアだった。

彼女がハイスクールに通っていた頃、仲間の裏切りによって殺されたのだという。

まだ幼かった妹も―――事件に巻き込まれて命を落とした。

 

裏切った連中を恨み、そういう奴らをのさばらせたファミリーを恨み、ついにはマフィア全体を恨んでしまった。

 

 

 

それは謂、

 

 

 

「あっちこっちの弱小組織にちょっかいかけては、争うよう仕向けたりとかな」

「ああ……俗に言う、ハニートラップ、みたいなものですか」

「コ、コラ!ガキはんなこと知らなくていーんだよ!」

「…………」

 

 

 

金髪イケメンがかぁっと赤面して怒るのを白けた思いで眺めやる。

さっきマスターから教育的指導を受けるようなことを私に言ったのはどこの誰だ。意味合いは一緒だろう。

 

彼の羞恥心の線引きがどこにあるのかさっぱり分からない。

 

 

 

「と、とにかくだ。まあ正直、そいつの誘いに乗っかって下手打つ奴も悪いと思う。

てめえの欲望の為だけに動いて結局、組織を混乱に陥れる。……最悪な話だ」

「確かに結構綺麗な人でしたね。どこかミステリアスで、男心を擽るような――」

「ああうん俺が悪かったからまずそこから離れてくれ、な? いや、マジ謝るから」

 

 

 

私達――私と、金髪イケメンの二人――は、女性の隠れ家に向かって移動している。徒歩だった。

途中まで口ひげ黒服が車で送る、という話も出たのだが(もちろん警戒されないよう普通の車でだ)、

マフィアと狭い空間に閉じこめられると想像しただけで冷や汗が出たので辞退した。絶対無理。

 

そして二人――といったのも正確ではない。

 

つかず離れずの距離で、私の横を歩く青年の部下がわらわらとついてきている。

ただ、私の視界に入らないようにしてくれているのだ。……私が、怯えるから。

 

 

(って、マフィアに気を遣われてどうする……!)

 

 

これだけ情けない気分は久しぶりで、そのくせ間違いなく安堵している自分にはもう失笑するしかない。

と、青年の静かな声が私を現実に引き戻した。

 

 

 

「この業界も面子ってのが大事でさ。女に組織傾けられた、なんて言おうものならただ笑いものになるだけだろ?

だから、こういうことが表沙汰になることは滅多にない」

「―――でも、貴方達は動いている」

「そーだな。ただ、これは女が悪いっていうより……引っかかった男が、超マズイもんを貢いじまったもんだから

さあ大変、っつーか……」

 

 

 

金髪イケメンは一度そこで言葉を切り、語尾を濁した。私は特にそれを追求するようなことはしなかった。

浮気調査に関係のないマフィア側の事情なんて聞きたくもない。そういう私の空気を読みとってか、彼は口調を改めた。

 

 

「……社長は恐らく、脅迫されてる可能性が高い」

「―――え、でも」

「いや、知っての通りあいつはマフィアとは何の関係もねーよ。ただ、……俺が言うのもなんだが、あちこちから

目をつけられてるのは事実だ。その、引き抜きっつー意味で?」

 

 

 

罰の悪そうな顔をしているところを見ると、この人も一枚噛んでそうだな。引き抜きについて。

あと、女の目的がマフィアを引っかき回すことに終始しているなら――今回の浮気騒動もその一環と思っていいのだろうか。

 

真偽はどうあれ、この金髪イケメンはそう考えているらしい。

 

 

 

「そういえば、社長が貴方を見て逃げたのって、まさか……」

「……。ははっ!」

「――――」

 

 

 

そんな照れたように笑って誤魔化されても正直悪寒しか感じない。

 

ああ―――金髪イケメンがマフィアのボスじゃなかったら、おっそろしい部下共が大勢ついてきていなければ、

今この瞬間至近距離で麻酔銃ぶっ放して放置して逃げてやるのに!

 

……意識がある状態ならきっとろくに当たらないだろうことは考えないことにする。

年上への敬意も何もかもかなぐり捨てて半眼でねめつけると、彼は慌てたように話を先に進めた。

 

 

 

「つ、つまりな? 馬鹿な男が貢いだ“やばい”代物を取り返す為に、ある組織が動いてる。

……質の悪い連中だ、恐らくは力ずくで事に及ぶだろう。相手が女だろうと、な。

本来なら余所様の内輪もめに首を突っ込まないのは暗黙の了解なんだが―――」

 

 

 

言葉を紡ぐ毎に声が低く、静かに。一瞬でがらりと雰囲気が変わる。今度は私が慌てて表情を引き締める番だった。

ボス。十代目。単語だけでそれを実感したことなどなかったが、今。確かに。ここに。――彼は、立っている。

 

 

 

「――彼女の、殺された両親が所属してた組織は、キャバッローネの傘下だった」

「……だから、保護を?」

「みすみす俺のファミリーを死なせるわけにはいかねーだろ?」

「…………」

 

 

 

『家族』を見捨てるような人間にはなりたくない。そう語った彼のあまりの真剣な横顔に、

死ぬとかさらりと言わないで欲しいんですけど、なんて言葉は自然と喉の奥で消えた。

 

 

 

 

 

 

目的地はひどく閑静な街外れの一角。―――だった、と言うべきなのだろう。

気配に敏感などと他人に噂されているだけあって、恐らく最初に気付いたのは私であったように思う。

辺りに漂う空気が変質していた。異変に身構えた私の変化を目敏く悟った金髪イケメンは、表情を硬化させ、

 

……いきなり私の手をひっつかんで走り出した。

 

 

 

「っ、ちょ?!」

「急ぐぞ、野郎共!!」

 

 

 

その声を合図に、物陰からわらわらと黒服が溢れだしてくる。やっぱりまるでゴキ、……いやなんでもない。

できれば私は置いていって欲しかったと内心切実に叫びながら、けれどマフィア軍団の中で声を上げる勇気もなく―――

数分もしないうちに、女の住む部屋がある建物にたどりついた。もともと静かな場所だ、音はかなり響く。

周囲の住人は巻き込まれることを畏れて外には出てこないだろう、……襲撃者には好都合なことに。

 

殴打の音。女性の悲鳴。怒号。何かが壊れる、耳障りな音――。

 

ここか、と目で問われて、私は頷いた。もう、情報漏洩がどうとか言ってる場合じゃない。

金髪イケメンを筆頭に男達がそこに乗り込んでいくのを、私はただ、見送った。

 

 

どうしてか、私の手はもう震えていなかった―――。

 

 

 

 

金髪イケメンご一行が中に入って暫し。あれだけの喧噪が突然ぴたりと止むと、元々は宿泊施設だったそこの

かなり広い共同玄関に彼らが出てくるのが見えた。帰るタイミングを完全に逃した私は外からその様子を眺める。

口ひげ黒服の隣に、ワインレッドのドレスを着た女性がぺたりと座り込んでいた。殴られた痕が痛々しい。

 

しかし……この距離でさえ、彼女が瞳に湛える憤怒の色が見て取れる。

 

 

 

「何よ!誰よあんたたち!」

 

 

 

声にも怯えた色はなく、むしろ生気に満ち溢れた様子で逆に感心する。バイタリティ溢れるご婦人だ。

これがもし私だったら?あんなたくさんの黒服に囲まれて正気でいられる自信はない。

今でも多少喉がひきつり、足が竦んでいるというのに。

 

 

 

「またマフィア?はっ、ばかみたい!マフィアなんてほんっと、くだらないったら!」

 

 

 

沈黙の掟(オメルタ)が聞いてあきれるわ!女はそう鋭い調子で叫ぶ。

憤怒の表情――それでも美しいと素直に思った。……羨ましい、ほどに。

 

 

(羨ましい?……なにが?)

 

 

胸の奥がずきりと痛む。それをこんな近くにマフィアが大勢居るからだ、と勝手に言い訳して私はそっとその場を離れた。

―――くだらない感傷に浸る時間は、とうの昔に終わった筈だから。

 

 

 

 

静寂を取り戻したこの地区でひとりゆったり頭を落ち着かせ冷静になると、挨拶もなしに帰ったら例のあの人に

『礼儀も知らんのかこのガキぃ!』などとヤキを入れられるかもしれないことに、私ははっと思い至った。

 

 

(………う。戻る、か……)

 

 

様子を見て、話が終わっているようなら誰でも捕まえて帰る旨を言おう。

どうも見た目よりは……その、親切なところもあるというか……。それでも根本的なトラウマは消えない。

なんとなく重い足取りで隠れ家に戻ると、玄関の外で金髪イケメンが難しい顔をして立っていた。

 

その姿、まさにイケメンである。このイケメンめ。

 

八つ当たりに近い気持ちで内心ぶつぶつけなしていると、こちらに気付いて顔を上げた彼にこいこいと手招きされた。

 

 

 

「待ちくたびれて帰っちまったかと思ったぜ。待っててくれたんだな、サンキュ!」

「……っ!一声、掛けてからと思いまして」

 

 

 

後が怖いから。なんて、爽やかすぎる笑顔を前にしては思うだけで罪悪感がつのる。

こちらも営業スマイルを返しつつその衝動を誤魔化していると、ふと、彼が右手で弄んでいる黒い何かが目に留まった。

 

とても小さい。何かの……破片?Sとか、Dとか、……うんきっと見間違いだろう。

そうに違いない。見たことがあるなんて思うわけがない。

 

 

 

「ああ、これか?例の貢がれた“やばい”データが入ってたメモリーカード――の、残骸ってとこか。

できればこれも回収したかったんだがなぁ……」

 

 

 

至極残念そうに、憂いすら浮かべて金髪イケメンは首を振った。近くの椅子にはこれまた見覚えのある

モバイルが、真っ二つなうえ、ずぶ濡れの状態で置いてある。……嗚呼。もう、本当に。

余計な欲などかくべきではないと身に沁みてわかった。涙が出そうだ。

 

自分の愛用パソコンの中に、マフィアホイホイの餌が入っているなんてぞっとする。黒服が群がる光景なんて想像したくもない。

そして本来なら――今までなら。

私はこの場をやり過ごして家に帰り、パソコンから問題のデータを消去し己の記憶からも抹殺しただろう。

見ざる、言わざる、聞かざるとはよく言ったものだ。………それでも。

 

 

 

「データのコピーなら持ってますよ」

「えっ」

「…………」

「…………」

「…………」

「………え?」

 

 

 

それでも、そうしなかったのは―――。

 

 

 

 

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