はぁぁぁ、と気が抜けるような溜息を吐いたのは、どこかやつれた風のマスターだった。

 

 

「おっまえ、本っ気で信じらんねえ!あの“跳ね馬”を顎で使いやがったのか?!」

「違います。取引です。丁重にお願いして承諾して頂いたんです」

「…………」

「ロマーリオさんにもちゃんと事情を説明して、許可を貰ってから動きました。何か問題でも?」

「…………」

 

 

 

それは謂、

 

 

 

あの後――盗んだデータが正しく彼の求めるブツであったことを確認してもらい、それを引き渡すことで私は取引をした。

簡単に言えば、シナリオを作ってもらったのだ。

社長が「浮気はしていない」けれど「女と二人きりで逢っていた」理由を。

 

全てを詳らかにするのには当然あちら側が難色を示した。情報はどこでどうもれるかわからない。ましてまだ

どこの息も掛かっていない、けれどあちこちのマフィアから注目されている―――なんて企業、危なっかしくて

仕方がないのだろう。そしてわかりきったことだが、それを報告した情報屋もまた危険なことに変わりはないのだ。

 

シナリオを作って欲しいという要求は、依頼主だけでなく社長本人、ひいては私をも守るもの。

その為に、キャバッローネ十代目ボスには、……その中に登場する人物として役者をしてもらっただけのこと。

 

 

 

「向こうは好きに情報を規制できるし、良い条件だったと思いますよ。私への依頼は『浮気調査』なんですから。

――浮気をしていない、という真実さえ伝われば、それでいいじゃないですか」

「……はぁ。屁理屈だな」

「なんとでも」

 

 

 

依頼主への報告は先日終えた。今頃、だめ押しの一手―――あの女性が、十代目ボスと共に会社へ

訪れているだろう。そこに偽りがあろうとなかろうと、夫が裏切っていない、それだけは唯一無二の真実だ。

 

 

 

「なぁ、。いい奴だったろ?」

「――…。ええ、イケメンでしたね」

「顔の話はしてねぇよ!……ったくお前は」

「まあもう、逢うこともないでしょうし。マフィアから解放されていい気分です」

 

 

 

私にとって比較的穏やかな――とにかく無駄に心臓を働かせなくてもいい日々が漸く戻ってきた。そのことは単純に嬉しい。

彼と最後に会ったのは確か……作られた報告書を受け取りに、あの隠れ家に行った時だったか。

 

―――他に望むことはないか、と聞かれた。

結局は情報横流しになったと、報酬のお金を受け取らなかったからだろう。

私のつまらないプライド。意味もない。ただ、それを受け取るのは何か違う気がした、というだけの。

 

 

 

『なんかねーのか? おまえ情報屋なんだし……あ。じゃ、こないだのメモリーカードの内容とかどうだ?』

『―――っ!?』

『結構いい値つくぞー?最終的にデータ持ってたんだから、おまえには知る権利が』

『ないです、いやです、勘弁してくださいっ!』

 

 

 

そ、れ、が、嫌だから解読もせずに渡したんだろうが!私は心の中で絶叫した。

しかもマフィアの情報でいい値がつくってことは!それだけ、相応に危ない代物だってこと!

マフィア側にはノータッチで頑張る新米情報屋になんつー爆弾を渡そうとしているんだこの金髪イケメンは。

 

私は、こう、今まで耐えてきたものがそれはもう一気にがっと吹き出してくるのを感じていた。

 

 

 

『……あの、もしかして揶揄ってます?』

『は?揶揄う?……なんでだ?』

 

 

ん?と心底不思議そうな顔で軽く小首を傾げられ。

―――ぶつり、とこめかみの辺りで音がした。ふっと、笑みさえこぼれる。

 

 

『望み、……決まりました。たった今』

『え、いや、ちょ、何で怒って――』

『私の要求は!』

 

 

 

そのいち。

私は貴方に会わなかった。

そのに。

私は貴方の依頼など受けなかった。そもそも話を聞いてもいない。

 

 

そのさん。

私は貴方に、金輪際―――。

 

 

 

「………なぁ、

「なんですか。そんな辛気くさそうな顔して」

「俺、実は昨日の夜、あいつに会ったんだが―――その」

「…………?」

 

 

だからなんですか。続くはずだったその言葉は、全く何の前触れもなく開いた扉と、

 

 

「―――よう、!」

 

 

直後に耳に届いたどこまでも明るい声にかき消された。

私が常に被っていた数十匹ほどの猫がいずこかに消え、外面を取り繕うことを完っっっ全に忘れて―――

 

 

「っはぁぁああああああ?!」

 

 

ここら一帯に響き渡る奇声を上げてしまったのは、今も記憶から抹消したい思い出のひとつである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エピローグ

 

 

とまあ、そういうことがあってから彼はたまにマスターの店に現れるようになった。正しくは、私が居るだろう時間帯に、か。

今までも来ていたそうなのだが、マフィアを嫌う私の為にとマスターが色々調整していたらしい。……全然気付かなかった。

 

金髪イケメン――もとい、キャバッローネ十代目ボスであるディーノは、一体何が楽しいのか、今日も私を相手に酒を飲んでは。

 

 

 

「ちょっと前から弟子ができたんだが……それがもう、超がつくほど生意気でさー、

師匠に対する敬意が感じられないっつーの?」

「はぁ、そうですか。大変ですね」

「才能はぶっちゃけ俺よりあるっていうか、ほんと成長が楽しみなんだよな!」

 

 

 

こんな会話を交わしたりする。殆どディーノが喋る形なのだが、意外にも、……悪くない。

もちろんその会話に人名や、重要な固有名詞が出てきたりはしない。

マフィアとしての活動や、その情報を一切それと分かる形で漏らさないことで、私を安心させているのだ。

 

……今はもう、キャバッローネは麻薬御法度ファミリーだからいいか、なんて絆されかけている。

それでも、と言うべきか。私と彼の間には椅子数個分の距離が空いている。

 

未だにそれが縮まることはない……が、それは私の心の問題であって、今は、仕方のないことなのかもしれない。

 

 

 

「そういうタイプは力ずくでどうこうしても反発するだけでしょうし、……ディーノさんがひとつ格好良いところでも

見せたらあるいは、敬ってくれるんじゃないですか?」

「そ、そうか?」

「ええ。照れてるんですよきっと」

「……そっか!そーだよな!」

 

 

 

情報がない以上、当然本当のことなど分からない。けれど知りたいとも思わなかった。

なんとも無責任なことをさらりと言い放ちつつ、自然と笑みが浮かぶ。……不思議な気分だった。

 

 

 

『な、ど、どうしてここに! 私はもう二度と会わないって――』

『おまえが会わなくても、俺が会う。な、それでいいだろ?』

『なにがですかっ!』

 

 

 

あの頃の私にはもちろん、それから幾年も経た後に起こる人生最大の出会いなど知る由もない。

ただ、そこに彼の存在が大きく深く関わっていたことも間違いではないのだ。

 

 

だから。

そう。

それは所謂、

 

 

―――運命の、出会いだったのかもしれない。

 

 

 

 

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