その瞬間、世界から全ての音が消え失せた。
斯くして 嘘吐きな恋人達は
最後にハルの投げた椅子が壁に当たって床に落ちたところで―――その部屋は静寂を取り戻した。
目の前には倒れ伏した男共。微かな血の臭い。私の直ぐ傍にはハルが息を切らせて立っている。
握り締めた拳が痛かった。手加減して殴る、ということすら忘れていた。
爪が食い込んで掌に血が滲んでいるのも分かっているのに、指一本動かすことが出来なかった。
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・、・・・さん」
――――あの瞬間、胸に湧き上がった強い衝動は、ただただ純粋な怒りだった。
目の前が赤く染まり、気が付けば私は彼らとの間に置かれたテーブルを乗り越え、正面の男に殴りかかっていた。
武器を出してはいけないという一握りの理性だけは残っていたのだろう。しかし・・・・・
「あ―・・・っと。ハル、・・・どうする?」
「ど、どうとか言われましても・・・その、・・・・どうにも出来ないんじゃないでしょうか・・・」
「参ったわね・・・ああもう、本当に参った」
無様に転がる男達は今回の商談相手である。ボンゴレ情報部主任、三浦ハル自らが赴いた大切な取引。
だからこそ、そう、だからこそ私達は十代目ボスである沢田綱吉から厳命を受けていた。
“今回の仕事は、必ず『平和裏に』『話し合いで』『暴力に訴えることなく』成功させるように”、と。
「いつもの罰金程度じゃ済まないわよね、これ。つかマジで怒られる。マズイわ」
「ああっすみませんさん!私が止められないばっかりに・・・!」
「いやハル。途中から嬉々として椅子投げ始めたのは誰よ?」
「は、はひ?えぇと、誰でしたっけ?」
わざとらしく惚ける上司を横目で睨みながら、改めて私はこの部屋の惨状を見やった。
相手は八名。内六名が急所に拳を綺麗に決められノックアウト。残り二名は椅子が後頭部に直撃し気絶。
商談だからと相手側から出された高価なティーカップ等も、見るも無残な姿になって布張りの床を彩っている。
恭弥の影響もあって、暴れた後にはそれなりの爽快感が得られる筈なのに。今はとても気分が悪い。
(そもそも、どうしてこんなに怒りを覚えたのか自分でも分からない)
脳裏に鬼の形相で叫ぶ獄寺隼人の姿を思い浮かべながら――――私達はしばし、途方に暮れた。
何を今更、と。私は自分に問うていた。
『女だから』『女の癖に』『女の分際で』・・・・今まで私は、そんな言葉を十五年近く受け続けてきた。
それはハルであっても同じこと。マフィアは実力社会―――とは言えど、所詮根本は男性社会である。
実力を見せたところで納得しない馬鹿も多い。ボス達が与り知らぬ所でそういった陰口は続いていた。
それなのに何故、今更、そういった言葉に私は憤りを覚えたのだろう。衝動のままに相手を黙らせようとしたのだろう。
(・・・・分からない。女である事を侮辱されて、今更傷つく訳もないのに)
そんな事で我を忘れるほど、・・・任務を忘れるほど、愚かな女に成り下がったのだろうか。・・・私、が?
「あっでも不幸中の幸いでしたね!サインはもう貰っていますし、契約自体は履行されますよ」
「それより隼人の説教の方が嫌なんだけど」
「うっ」
そう。順調に進んだかに見えた商談は、相手側からの侮辱の所為で最後の最後でぶち壊しになってしまった。
女二人で向かった為、多少色目を使われるのは仕事上仕方ないと我慢はしていた。我慢、していたのだ。
(んの、狸ジジィ共が・・・!)
心の中でそう叫んだ瞬間、私ははっと我に返った。またもや怒りに自分を見失いそうになっていた。
普段なら私の暴力行為を泣きそうになりながらも必死で止めるハルもまた、今は平常心ではいられないらしい。
少し、疲れているのかもしれない―――そう思って、私はさっさと審判の裁きを受けようと自分の携帯に手を伸ばす。
「取り敢えず私、ボスに連絡入れるわ。ハルは外の皆に報告入れといてくれる?」
「え、ちょっと待ってください!さんじゃなくて私が」
「まあまあ、いいからいいから。私に任せて」
元はといえば、感情を制御出来ず私が殴りかかったのが悪い。謗りを受けるべきなのは私だけだ。
尚も“私が上司なのに・・・”等とぶつぶつ不満気に呟くハルを追いやって、ボスの執務室へと電話を掛けた。
そしてその夜、執務室。
ボス、隼人、山本の三名に囲まれた報告と言う名の査問会にて。
「暴言その他理由はありますが、あの無理矢理ハゲを隠そうと無駄な努力をする狸に、何故か殺意を覚えました」
しれっと悪びれもせずそう言い放った私に、彼らは痛いほどの不気味な沈黙で応えてくれた。視線が刺さる。
あの後、どうしようもなくてボスと連絡を取った私達は、『状況が知りたい』という彼の言葉に従って執務室へ来た。
待っていたのはその三名。その他は自分の仕事が手放せないらしく、そのまま状況報告へと流れたのだ。
勿論、任務を失敗したことへの謝罪の気持ちはあった。だが、あのジジィ共に対してのそれは皆無だ。
だからといって彼らに投げつけられた侮辱の言葉について語る気はない。そんな恥は晒したくない。
口調こそあっさりしているものの、一応反省しています、なオーラと神妙な顔だけは保ったままで私は待つ。
しかしボス以下、直ぐに噛みついてくる筈の隼人でさえ全く動かなかったので、私はもう一度深く頭を下げた。
何であれ処罰は受け入れるつもりだったが、巻き込んだ形になるハルにだけは影響が出ないようにと言葉を重ねる。
「処分は何なりと。降格でも構いません。全ての責は私にありますので―――」
「あ、あのツナさん!私も椅子を、椅子を何個も投げました!!」
「ハルは素手で暴れた私に武器を向けた彼らを牽制しただけです。関係ありません」
「でも私、二人はやっつけちゃいましたよ!頭に当たって痛そうでした!」
「ボス、マフィアたる者あの程度は避けられない方が悪いんです。関係ありません」
「っさん・・・・!!」
何とか自分も悪いのだという方向に持っていきたいハルと、そうはさせじと悉く遮る私。
どちらが有利かは普段の生活から見ても明らかだった。そう、所謂『日頃の行い』というやつである。
私達に流水の如く捲くし立てられ、口も挟めず唖然としていたボスに―――はっきりと、告げた。
「考えてもみて下さい、ボス。暴れる私を・・・上司とはいえ、彼女が止められるとお思いですか?」
間。
「え、うん。まず無理だろうね」
「確かに無理だな」
「あ―・・・」
「そういう訳ですので、彼女の酌量の程、宜しくお願いしますね」
結局、今回は度を越した私の暴走ということで話がついた。日頃から暴れているのがいい証拠、らしい。
余り追及されなかったのも、査問会もどきにリボーンや恭弥が居なかったことが幸いしたのだろう。
そして私は見事、三ヶ月間給料50%カットの刑に処された。
結構痛かった。