私達は最後まで侮辱の件には触れなかった。
相手側も、畏れているのか何かを言ってくることはなかった。
それでも――――あの日生まれた強い憤りは、数日経っても消えずに。
斯くして 嘘吐きな恋人達は
ふと、手元で微かに鈍い音がした。軽い衝撃。
視線を落とすと、右手に握った万年筆の先が思いっ切り変形し曲がっている。
「・・・・・・・・・・まあ、不良品かしら」
「そうやって誤魔化さないで下さい。今さんが潰したんじゃないですか」
「人聞きが悪いわね、ハル。ちょっと力が入っちゃっただけじゃないの」
「・・・認めるんですね・・・」
情報部中枢、コントロール室。その一角にある主任専用の部屋に私達は居た。
本来なら今の時間も情報部の仲間と共に働いている筈なのだが、ボスの命令によりそれが出来ない。
先日の任務失敗はほぼ私に要因があるということで話が付き、私のみ給料カットという結果になった。
それでも立場上その上司も責を負わねばならず、取り敢えずといった形で二人共一週間の謹慎を言い渡されたのだ。
とはいえ情報部主任が抜けては通常の業務に支障が出るので、その点を考慮し、
謹慎期間中は就業終了時間きっちりに仕事を終え、充分に休養することを義務付けられていた。
(勿論後で散々隼人に説教食らったんだけど・・・ね)
そして今。
あのしつこい説教の後、更に課された反省文を人の居ない所でせせこましく書いていたところ――――で。
「とにかく!さん、それ支給品とはいえタダじゃないんですからもっと大事に使ってください。
・・・・・というか、一昨日から何本目か覚えてます・・・・・?」
「えーと。五本目位?」
「っ十一本目ですよ十一本目!・・・怒るのは分かりますけど、物に当たらなくてもいいじゃないですか」
「だって人に当たろうにも、恭弥出張なのよねぇ」
「―――い、いえいいですそれで!ずっと万年筆に当たっててください!」
恭弥さんまで暴れたら修理費が馬鹿にならないです、と呟くハルの声を聞き流しつつ、私は新たなそれを手に取る。
反省、しているか? 一応。後悔は? してない。次同じ事が起こったら? ・・・・わからない。
彼らは取引を終えた後、さも当然のように“そういう”誘いをかけて来た。取引してやったのだから、と。
いつもしているのだろう、でなければその歳でその地位は難しい、どうやってボスに取り入った、
どうせ身体でも使って誑し込んで――――――
実際そうやって力をつけていく女もいる。それもひとつの生き方だし、全く否定するつもりなどない。
だが押し付けられるのは真っ平だった。好奇の目はハルだけではなく私にも向けられていた。
その事実をはっきりと認識した瞬間、頭に血が上って思わず手と足が出まくってしまったのだ。
「・・・でも、・・・・私、何で怒ったのかしら」
「え?」
「確かに最近言われることは少なくなってたけど、これって別に珍しくもない事じゃない?」
「それは・・・・そうですけど。あんなこと言われたら誰だって・・・・」
「こんな大事な商談中に?・・・今までだったら笑顔で流して、後日闇討ちするのに」
「や、闇討ちも問題だと思います・・・」
感情にブレーキが効かなかった、のは。あの時と昔とで、一体何が違ったというのだろう。
数日たった今でも胸の奥がむかむかする。どうせなら半殺しにでもしてやれば良かったのかも知れない。
―――その時、ふと思い立って、私と同じく反省文を書いているハルへと視線をやった。
彼女は今どういう気持ちで居るのだろう。今まで散々そういう言葉を投げつけられてきたであろう彼女は。
「ハルは・・・どうなの?随分、冷静に見えるけど。もう怒ってない?」
「はひ、わ、私ですか?」
問いをぶつけると、きょとんとした顔でこちらを見返してきた。少し思案顔になり、そして困ったように笑う。
あの時は確かに顔を真っ赤にして怒っていたけれど―――今イラついているのは私だけなんじゃないだろうか。
「そりゃもう、全員ボコボコのけちょんけちょんにしたい!って思いましたけど。・・・・なんだか、さんが
暴れてくれたから・・・・どうでも良くなっちゃいました」
「・・・・・そう?」
「はい。・・・ツナさんには、知られたくないなって、思いますけど」
「―――――――――」
その言葉を聞いて、私は一瞬息を呑んだ。恭弥―――確かに、私も恭弥には知られたくないように思う。
ハルがボスと付き合いだすようになってから暫くして、私は恭弥と付き合い始めた。
本当に長い道のりだった。すれ違って、背を向けて、幼馴染という関係に満足した振りをして。
悩んで、迷って、苦しんで、逃げて・・・それでも離れられなくて。いつまでも認めることを怖がって。
気付いたのはどちらが早かったのか。でも、覚悟を決めたのはきっと向こうが先。
(だから結局、観念せざるを得なかった)
――――それこそが私の、本当の望みだったから。
午後七時。
あれから新たに万年筆二本の犠牲を出して、私は隼人へ提出する反省文を完成させた。
「・・・・よし。ま、こんなものでしょ」
「あぁっもう終わったんですか!?ちょっと待って下さい私あと五行くらい残ってるんです!」
「謹慎期間中に提出すればいいんだから焦らない焦らない」
「嫌ですよー今日はさんと飲みに行くのに。こんなもの残しておくなんて」
慣れているとはいえああいう暴言は地味に精神力を削る。だから飲んで忘れてしまおうという計画を立てていた。
謹慎開始当日やその次の日にするのは少々外聞が悪いので、今日になってしまったけれども。
それにしても隼人の説教は凄かった・・・・ガミガミガミガミと何時間もノンストップで。
次の日に声が枯れてたのには笑ってしまい、思わずのど飴を差し入れしてしまったくらいだ。
適当に真剣さを散りばめた謝罪と二度としないという根拠の無い約束をふんだんに取り入れた反省文。
纏めて封筒に入れ、嫌味たらしく『最重要書類』と判子を押してきっちり糊付けする。
いつもは説教と罰金だけで済んでいたので、中々新鮮な思いを味わわせて頂いた。・・・・かなり疲れた。
「さん、私も出来ました―――って、何ですかそれは!」
「こうしておけば一番に見て貰えると思って。折角頑張って書いたんだもの」
「・・・・怒って反省文書き直しになったらどうするんですか・・・・」
「えぇ?」
その時はその時で、更なる嫌がらせを・・・等と思っていると、不穏な空気を察したのかそれ以上何も言わなかった。
それを良いことに私は二人分の反省文と自分の荷物を持って部屋を出て、そして近くに居た部下にそれを手渡した。
お疲れ様でした、と掛けられる声に手を挙げて応えつつ―――少し慌てながら飛び出してくる上司を迎える。
「さあ、さん。行きましょうっ」
「ええ。今日は飲むわよ」
「受けて立ちます!」