「―――それは、愛ね」
私は思わず口に含んだ酒を噴き出した。
斯くして 嘘吐きな恋人達は
あれからハルと向かった先は、いつものマスターの店だった。
情報部に入ってからは何度も上司と奥の部屋を使い、その度追加料金を払わされている。
それでも個室ということで使い勝手が良かったこともあり、今までマスターに文句を言いつつ使い続けていた。
・・・・しかし、今日。入った直後から何やら違和感を覚えた。視線で問うと、黙って奥の部屋を示される。
どうしたんですか、と後ろで不思議そうに呟くハルをまず置き去りにして―――私はそっと、扉を開けた。
「あら、随分遅かったわね。先に始めてるわよ」
中には見覚えのありすぎる一人の女性。長い髪をさらりと後ろに流しながら、こちらを見て薄く笑う。
毒サソリの名を持つ殺し屋。獄寺隼人の異母姉。
ハルを妹のように可愛がっているので、それに巻き込まれる形で私もよく逢うようになった。
食事やお茶会を共にする事も、別に珍しくはない・・・・のだけれど。
「ビアンキ、さん?!って、なんでここに」
「飲みに来たのよ。ほら、も座りなさい」
「え、あ、はい・・・」
年上の女性だからなのか、隼人の姉だからなのか、私はビアンキに対して強くは出れない。
喋っているとどうも、戦う土俵が違うような気がするのだ。訳が分からない内に丸め込まれているような。
愛に生きると豪語し、そしてその通りに生きているビアンキは、私にとって少し眩しかったのかもしれない。
それから様子を見に来たハルと一緒になって、私達は予定に無かった女三人の酒盛りを始めてしまった。
酒が入ると機嫌が良くなり、少し口も緩くなる。相手がハルとビアンキだということもそれを増長させた。
元々あの凶行を忘れる為にセッティングした飲み会であったことから、やはりそこに話題が行く。
暫くすると、自分でも制御できなかった感情を持て余していた私は盛大にそれらを愚痴り始めていた。
「ああいうのは一度女に刺されて下半身不随かなんかになればいいのに」
「全くですね!バリカンでも使って丸刈りにしちゃえばよかったです」
「ああ、というか私がすれば良かったのよね。殺さない程度に」
「そしたら記念撮影に行きましょう!」
ハルと一緒になってあの中年ハゲ男達を貶す、貶す、貶す。酔っ払い特有のどこか噛みあわない会話が続く。
その間ビアンキは時折頷きを返す程度で、ずっと私達の愚痴を聞いてくれていた。
それがどれ位続いただろうか。ワインを空け、カクテルを空け、店主秘蔵の日本酒を空けた所までは覚えている。
私はペースをあげつつ、思考の止まった頭で誰に聞かせるともなく呟いた。
「結局、怒ったって事は図星だったんじゃないかって。図星指されると人は怒るでしょう?今更怒る理由とかない気が
するけどね。でもまあ自ら進んでとは言いませんけど、そういう駆け引きを使ったことが無いわけじゃないですし」
歳を重ねて、形振り構わず生きることを止めて。かつては厭わなかったことも、今は、もしかしたら。
“普通”の“人間らしい”生活に慣れると、昔は何でもなかった事が気になるのか―――なんて。
心地良い酩酊感に身を委ねながら漠然と思っていた、その時だった。
「。それは―――愛ね」
思わず噴いた。
「っ、げほ、・・・ビアンキさん何ですかいきなり!」
丁度酒を口に含んでいた為、目の前のから揚げが犠牲になってしまった。勿体無いので食べるが。
私は何とか息を整えて突然愛だの何だのと言い出した彼女を見やる。しかし全く動じた様子はない。
「愛って・・・意味が分からないんですが」
「つまりそれは、貴女があの子を愛しているからよ」
「――――――――」
いやあの、やっぱり意味が分からないから。しかもあの子って何。それより愛って。愛とか。
いきなりのことに混乱してどう応えていいのか分からなくて黙っていると、今度はハルが口を開いた。
「はひ・・・どうして恭弥さんが出てくるんですか?すっごく知りたいですっ」
「ちょい待ちハル。そもそもそこで何で恭弥を」
「違うんですか?さん、恭弥さんと付き合って」
「あ――はいはいはいはい!」
真顔で言うな真顔で。そういう・・・・・・いやいい。とにかく何だ?私が怒ったことと、愛―――じゃなくて。
どうにも予想外の方向に話が転がっていくのを感じて私は酷く慌ててしまっていた。
ビアンキは、そんな私の動揺すら見抜いているとでも言いたげに。微笑ましそうに見詰めてくる。
こと恋愛云々の方面に関しては、彼女に敵うものなどいないのだろう。
「貴女が彼を愛しているから、だからこそ怒ったのよ。
そういう言葉を受けることは―――そのままあの子を侮辱することだから」
「・・・・・?よく、分かりませんけど」
「つまり、貴女が彼を身体で誑し込んだと言われたのと同じ。
―――雲雀恭弥が、女に誑し込まれるような男、だと・・・・そう言われたのと同じことよ」
私は。何故か、笑えなかった。
恭弥を――あの雲雀恭弥を女で落とすなど無謀もいい所である。彼ならきっと眉ひとつ動かさず排除する。
それに高級娼婦ならまだしも、今話の中心は私。全く以ってお笑い草以外の何物でもない。
いきなり恭弥を誘惑して来い!等と言われたら、私は思わずその場で爆笑するだろうという確信があった。
それなのに・・・・今、私は、笑えなかった。笑い飛ばす事が出来なかった。
あの時、自分ではなく、恭弥を――言うなればパートナーを――侮辱された気がして怒ったのだと。
ビアンキにそう諭された瞬間、己自身も驚くほどに納得できてしまったからである。
「なるほど。さんのあのキレっぷりもこれなら説明出来ますよね!」
「好きな男を侮辱されて怒らない女は居ないわ・・・」
「・・・・・・・・・いえ、あの」
とはいえはっきりと口に出されると否定したくなるのが人の性。しどろもどろになるのは否めない。
胸に痞えていた何かはいつの間にか消えていたけれども、この生温い空気だけは止めて欲しかった。
「そういうわけだから、貴女もハルを見習って頑張りなさい」
「頑張るって何をですか」
「愛よ」
「意味が分かりません!」
「あら、。知らないの?」
「ですから、何を・・・?」
「―――愛は世界を救うのよ」
嗚呼、この人も酔っているんだな・・・と、酔いにぼやけた頭で微かに思う。
けれども愛について喋りだしたビアンキは、もう誰にも止められなかった――――