(……やっぱりここに居た。このサボり魔が)
日当たりのいい、黒く大きなソファからはみ出した足。
私は深い溜息と共に歩み寄った。………動き出す気配は、ない。
移ろいゆく空の下で
開け放たれた窓からは気持ちのいい風が吹いている。そんなある晴れた日の昼下がり。
ボンゴレファミリー情報部に属する私は、上司であるハルと十数人の部下と共に黙々と仕事を片付けていた。
今日は朝から何故か私だけあちこち引っ張り回され、昼前には終わるだろうという当初の予定は大幅にずれこみ、
正午を過ぎた頃になって漸くパソコンを閉じることが出来た。そのまま私は遅めの昼食を摂ろうと席を立つ。
……が、それを待ち構えていたかのようにハルに声を掛けられ、足を止めざるを得なかった。
「あ、さん。ちょうど良かった」
「…なに?私これからお昼食べに――」
「休憩時間適当に延長して構いませんから、これ雲雀さんまでお願いします!」
私の言葉を遮りつつ、ずいっと輝かんばかりの笑顔で彼女が差し出したのは、大量の書類が入った大きな封筒。
情報部である私達にとって、他のマフィア構成員や幹部に書類を届ける事は珍しくない。むしろ日常だと言ってもいい。
だが今の私には少し気になっていることがあった。前々から聞きたかったことでもある。
「……ちょっと待って。ひとついい?」
「はひ?どうかしましたか?」
「ここ最近ずっと思ってたんだけど。恭弥に書類持って行ったり連絡入れたりするの、何で全部私なわけ」
皮肉を込めた口調で、上司と周囲の部下達を見つめる。目が合った瞬間に即逸らされるのが腹立たしい。
獄寺や山本といった名前が挙がれば、まさに奪い合いになることもあるというのに、だ。
彼の名前が出ただけで、内容に関わらずその全てを私に押し付けるというのは理不尽だと思う。
雲雀恭弥は私の幼馴染だ。
―――とはいえ、幼い頃に別れ、再会したのはつい最近のこと。
マフィアの、しかも天下のボンゴレファミリー幹部になっていたと知った時は本当に驚いたものだ。
相も変わらず自己中心的で、何かと暴力的なところは全く変わっていないのが“彼らしすぎて”笑える。
まあだから出来るだけ遠ざかりたいと思うのは、うん、わからないでもないのだけれど。
(ただ最近、毎日顔見てる気がするのよね。……別に嫌じゃないけど流石に、少々風当たりが)
雲雀恭弥への連絡を一任されているという今の状況では、見る人が見れば妬ましくも感じるのだろう。
少し地位を上げたとはいえ、私は所詮一構成員に過ぎない。これが代表であるハルならまだ違っていたはず。
他人がどう言おうと気にするつもりはないが――しかし。何と言っても鬱陶しい。鬱陶しすぎる。
見飽きた顔を見るだけで私自身特にメリットはなく、単に押し付けられているだけだから尚更―――
「取り敢えずモノ渡してちょっと説明するだけじゃないの。簡単でしょうに」
「で、でもやっぱり怖いじゃないですか!……雲雀さんって、近づくだけで軽く威嚇してきますし」
「血統書つきの猫かアレは」
「はひ、豹かもしれません……」
いや、今は恭弥を動物に例えると何になるかって話をしてるわけじゃないから。
真剣な顔でそう言うハルに思わず脱力する。彼女と話すと何だかこう、話が逸れていくというか論点がずれる。
私は突っ込めば負けだと判断し、さっと気を取り直して言い直した。
「あのね、だからって私じゃなくても大丈夫でしょう?年下を怖がってどうするそこの中年共!」
「でもですねっほら情報部って頭脳派集団ですし、雲雀さん相手にするにはちょっと荷が重いといいますか……」
「別に恭弥だからって誰彼構わずいきなり噛み付きは」
「違いますよ、咬み殺されるんです!」
(――…確かに。)
うんうんと納得顔で頷きあう部下達と、胸を張って自信満々に笑う上司。
事実、否定できないのが辛い所だった。恭弥は、単に『ムカついたから』って理由だけで通行人をボコりかねない。
例のトンファーでさも嬉しげに殴りつけるんだろうな……そうそう、それが部下でも同僚でも上司でも全く遠慮せずに。
月に一度は上層部のどこかが吹き飛んだという噂が流れてくるのが、その証拠だ。
もちろんほぼ恭弥が関わっているらしく、たまに顔を見せる獄寺がそう愚痴るのを何度も聞いた。
幼馴染ならなんとかしろという言葉と共に。……無理だって。
「さん、人助けだと思ってください!」
「……あー、はいはい行ってきますよ。休憩貰いまーす」
完全に猛獣、いや害獣扱いされている雲雀恭弥。だが日頃の行いが本当に悪いので自業自得だ。
忠告したところで聞くような人間じゃないし、忠告しようものなら逆にこちらに被害が及ぶ。
私は考えるの止めて、封筒を小脇に抱え、恭弥の仕事場へと向かった。
―――――が、不在。就業時間にも関わらず、だ。
「……んの、サボり魔がっ!」
態々この私が足を運んでやったのに、と些か不穏な台詞を吐きながら次なる目的地へ移動する。
仕事場に居た半泣きの恭弥の部下によれば、一時間ほど前にふらっと出て行ってから帰ってこないらしい。
急な仕事も入っておらず、誰も居場所を知らないという。本当に迷惑なことだ。上司の風上にも置けない。
しかしいつものことだと諦めた私は、破壊屋本部を出て、本部上層階に位置する幹部専用フロアへと向かった。
向かうは、恭弥の自室である。十中八九、そこに居るだろうという根拠のない確信があった。
さて。ここで言っても仕方のないことだが、上層フロアに来るまでにもかなり奇異な目で見られていた。
ハルでさえ執務室に滅多に近づかなくなってしまった今、本当は私も自重した方がいいんだろう。
もちろんボスと恭弥ではその重みが違うから―――回数は減らせど比較的気軽に来てしまっているけれど。
……それもこれも全て、仕事場にいないあの幼馴染が悪いのだ。
あのサボり魔さえ普通に勤務してくれていればこんな手間をかけずに済む。やはり一言、文句を言うべきか。
今まで何度も入ったことがある恭弥の部屋の前に立つ。中を探れば微かにではあるが、覚えのある気配を感じた。
私はそれを確認するなり、何の遠慮もなく力一杯扉を叩いた。当然、ノックなどという可愛らしいものではない。
「恭弥、入っても良い?」
間。
返事がない。だが私は構わず扉を叩き続ける。少しずつ力を強くして。手が痛むほどに。
「もしもし、恭弥さーん」
間。
(……っこの強情男め…!)
依然として静寂が広がる廊下。寝ているのかもしれない。ただ、ここで諦めて帰ってやれるほど私は優しくない。
そこでひとつ大きく深呼吸して、更に声を張り上げようと口を開いた、その時。
―――ガゴッ!とそれこそ大きな音を立てて目の前の扉が、盛り上がった。そして割れた。
割れ目から銀色の何か、……言うまでもなくトンファーが覗いている。
(起きてるし。つーか、それ投げる労力があるなら返事のひとつやふたつしろっての)
求めても無駄だと身に沁みて分かっている私は、それが返事だと勝手に判断し、嘆息して扉を開いた。
―――その瞬間、僅かな殺気を感じて咄嗟に扉を閉めた。私はすぐに扉から離れる。
ちらっとトンファーが飛んで来るのが見えたので、間違いないだろう。と思う間に再び大きな音が響いた。
ばきばき、だの、めき、だの恐ろしく小気味の良い音を立てて木製の扉が壊れていく。
「自分の部屋くらい、大事にしたらどうなの……」
見事に穴が開いたそれを、私はまたかという思いで見つめていた。