「さぁあああん!」
情報部に響き渡る声に、私はまたかと溜息を吐いた。
Let's Party!
三浦ハル――ボンゴレ情報部主任――は、滅多に人前で泣き言を言わない。
どんなに嫌な事があっても、何か重大なミスを犯しても、落ち込んだ様子を部下に見せることはない。
それは彼女がボンゴレで生きていくと決意した証であると同時に、己の立場を理解したがゆえの謙虚さでもあった。
ただ、唯一。
三浦ハルが己の立場を忘れ、人前で涙目になりながら私を呼ぶ時がある。
もちろん、言うまでもなくそれは『彼』が関わることなのだが――――。
私の名を叫びながら近づいてくる主任の姿に、その場にいた部下全員が聞かなかった振りをして目を逸らした。
この状態で目が合おうものならどうなるかを理解しているのだ。……私に押し付けているだけ、とも言うが。
我関せずといった彼らの様子にもう一度溜息を吐いて、私はずかずかと歩いてくる上司を迎えた。
情報部本部にけたたましい音を立てながら飛び込んできたハルは、怒りを滲ませた口調で言葉を続ける。
「だって一か月ですよ!一か月も前から決まってたことなんですよ!」
「ああうん知ってる。散々ことある毎に言ってたし―――」
「昨日だってちゃんと確認したんです!明日は絶対大丈夫だって!保証する、って言ってくれたのに!」
「……………」
馬鹿か、あの万年頭お花畑男は。浮かれるにもほどがある。
私はボスの顔を思い浮かべつつ、罵声を辛うじて飲み込んだ。彼は一体何度同じことを繰り返せば気が済むのか。
つか、絶対とか言うなっての。こんないつどんなことが起こるともわからない世界で、断言するほうが悪い。
聞けば今回の『仕事』とやらも、突発的に起こったトラブルの対処、らしいし、ね。
「仕事だから……しょうがないのは分かってます。分かって……っ」
「……ハル。言いたいことは分かったから書類で顔拭くのはやめなさい」
「はひ?……っあ。」
ぐしゃぐしゃの書類を手に慌てるハル。彼女がどんなやりとりを経てここに来たのか、その情景がありありと想像出来た。
仕方がない。そんな言葉を使って、笑顔で別れてきたのだろう。冷や汗をかきながら平謝りするボスと。
今朝早くから心を込めて作ったケーキを―――気づかれないよう、そっとどこかに隠しながら。
確かに、この状況で仕事を放り出しハルとの時間を選ぶようならボス失格である。真実、仕方のないことだ。
まあしかし、だからといって、失望する彼女を責めることなどできない。それゆえに私はいつも手を伸ばすのだ。
―――ボスが心底食べたくても食べられない、愛情たっぷりのケーキに。
ケーキの味にあった紅茶を選んで、私とハルは休憩時間を利用して中庭へと向かった。
そして予定通りならばボスが座っていたはずの椅子に座り、ティータイムの準備をする。
ボスとの約束が反故になったとき。私の予定が空いていれば、必ずといっていいほど二人きりでお茶を飲む。
同じお茶仲間のビアンキやクローム―――時折イタリアに来る京子など、彼女たちを誘うことは、ない。
それが何故なのか直接聞いたことは無いが、多分私が元部外者であるからだと思っている。
ここまで駆け上がってきた運命共同体だからということもあるだろう。
だがハルはボスと……否、沢田綱吉と晴れて付き合うようになってからでさえ、彼にあまり弱みを見せない。
あえて見せまいとしているのだ。もっともいつかは―――近いうちに完全に曝け出せる日が来るだろうが。
しかしそれは今ではない。今現在では、そういった存在は私しか居ないのだと自負している。
この役目を彼に奪われるまでは、まだしばらくこんな美味しい――ある意味楽しい――時間が持てそうだった。
小振りのホールケーキを切り分けて貰い、遠慮なくフォークを突き立てる。
三浦ハルの愛情が篭った、沢田綱吉の為だけに作られたものだから控えめに………などという気持ちは一切ない。
ぶっちゃけ本当に美味しいのである。もしマフィアにならなかったらケーキ屋でも開いていただろうと思えるほど。
本当は恋人と食べたかったであろうハルには気の毒なことだ。ボスは―――うん、どうでもいい。
「美味しい、ですか?さん」
「ええ、最高に。ホール全部いけそうなくらい」
「そうですか?!はひ、ありがとうございます!」
「ボスも惜しいことしたわよね。こんなに美味しいのに――――」
そろそろか。心の中で呟いて、私はふと、さりげなく、ハルに気付かれないよう上を見た。
正確にはこの中庭より数階上の窓を。その先にある、ボスが必ず通るであろう、会議室への道を。
曲がりなりにも情報部のナンバーツーである私は、ハルと同様にボスのスケジュールを知り得る立場にいる。
最もその半分はハッカーからもぎ取った裏情報ではあるが。とにかく、本日の彼の動きは知り尽くしていた。
上司は自分の中で生まれた“不満”を消化するのに忙しく、私の動きには注意を払ってはいない。
それを横目で確認してから―――ほぼ時間通りに現れたその人影を見やり、ゆっくりと口の端を上げた。
ボス自身、約束を破った時には私達がいずこかでお茶会を開いていることに気付いている。
だから案の定というべきか、強化ガラスの窓にぼんやりと映る“誰か”は、その瞬間ぴたりと動きを止めた。
私は更に笑みを深めケーキをフォークに取り、一口でそれを食べる。美味しくて意図せずとも頬が緩んだ。
(……さっさと懲りて、絶対大丈夫だの根拠のないこと言わなきゃいいのに)
言わずにはいられない、か。それとも自分に言い聞かせたのか。どちらにしろ、ご愁傷様と言ってあげないこともない。
さて、今日は何分でここに来れるのか――――誰も居なくなったあの窓を見て、私はまたケーキに手を伸ばした。