彼女の姿を見た瞬間、思わず壁を殴りつけそうになった。

寸での所で我に返り気付かれないよう握り締めた手を背に隠す。

 

(綱吉・・・・・)

 

―――後で、咬み殺す。

 

 

黒い羊は永久を -Hibari's Side-

 

 

 

動揺を押し隠すのに数秒かかった雲雀を、一体誰が責められただろうか。

 

自分の中に存在する理性を総動員して何かの衝動を押さえ込む。がこちらを真っ直ぐ見なかったのも幸いだった。

 

 

 

「・・・・・何それ」

 

 

 

無感動な顔と呆れたような声を作って、漸く口に出来たのはそんな陳腐な台詞。

だがその時はお互い自分のことに精一杯だったので、普段なら気付くはずの違和感に気付けない。

 

 

 

「・・・・・・・ハルの持ってきた着替え。これ以上は突っ込まないで」

 

 

 

恥ずかしいから実際、と一息にぼそぼそ呟く。その羞恥に軽く頬を染めた姿にもう一度拳をぐっと握り締めた。

爪が皮膚に食い込む痛みでやっと彼女から意識を逸らす事に成功する。

 

―――これは、一体、どういう試練だ。

 

 

 

「恭弥、消毒液と・・・ガーゼと包帯ある?」

 

 

その声に振り向くと、いつの間にかはソファに座り込んで何やら左足をじっと眺めている。

 

 

「あるけど。怪我?」

「ん。ちょっと足切れてたみたいで」

 

 

 

珍しい。そう思って直ぐに考え直す。今目の前に居る彼女は十年前のであって、今のとは違う。

返り血を浴びることなく、ましてや怪我など滅多にしない彼女とは違うのだ。

 

護らなければならない。―――他の誰でもない、自分が。

 

 

 

 

部屋の隅にある戸棚から救急箱を取り出しソファで待つ幼馴染の元へと向かった。

近づく気配に顔を上げた彼女と目が合うが、黙って前に回り込む。そのまま救急箱を床に置いて跪いた。

 

普通に歩ける程度の傷なら大した事はないのだろう。だがそれを自分の目で確かめたかったのである。

 

上で息を呑む彼女を無視してその白い足を遠慮なく掴む。・・・・その細さに眩暈がしそうだった。

 

 

 

「っな、」

「ふぅん・・・硝子あたりで切った感じだね。考えなしに飛び込むからこうなるんだよ」

 

 

 

平静を装って傷の具合を検めた。脹脛の辺りに五センチ程度の傷、もう血は止まっているらしい。

後は細菌が入らないよう消毒して押さえておけばいいだろう。雲雀はそう判断して救急箱を片手で開けた。

 

片手はの足を掴んだまま、離す気はない。離してしまえば逃げられるような気がしていた。

 

 

 

―――それだけは、絶対に許せないから。

 

 

 

 

 

 

 

もっと罵詈雑言が飛んでくるかと思っていたが、予想に反して、彼女は治療の間ずっと黙ったままだった。

消毒液を染み込ませたガーゼを押し付けたときも僅かに足が動く程度。

 

黒い服から覗く足は病的に思える程白い。少しでも力を込めれば、直ぐに折れてしまいそうな程細い。

かつてのはいつも丈の長い暗い色の服を着ていた。活動時間は主に夜。闇に溶け込む情報屋『Xi』の姿。

日に焼ける事は滅多に無い―――そう、今のように明るい服を着て毎日陽の下に出掛けるようになる前までは。

 

こんな頼りなく見える足に、体に、一体どれだけの力が眠っているのだろう。

 

透き通るような白さが目に焼きついて離れなかった。

 

 

 

 

「、・・・っ力込めるな!痛いでしょうが」

 

 

 

雲雀はその声ではっと我に返った。情けない事に、治療中であるという意識さえどこかに飛んでいたらしい。

手は無意識に動いていて、最後の仕上げ、包帯を巻いている最中だった。

 

痛い、包帯を締めすぎているだのとは喚いている。

だが雲雀はそれどころではなかった。適当に返事をしながら一瞬の内に冷えた胸を落ち着かせようとする。

 

意識が飛ぶ?・・・・彼女を護る為には、そんな不注意などあってはならないことで。

 

 

 

『恭弥、頑張れよー』

 

 

ふと、何故か、先程尋ねてきた男の台詞が頭に浮かんだ。

 

(・・・ああそう、君もグルってわけ・・・)

 

まあいい。ボスを筆頭に全員後で咬み殺しておけばいいだけだ。

 

救急セットを片付け立ち上がりながら心の中で悪態を吐いていると、俯いたがぼそっと礼の言葉を言った。

思わず動きを止め彼女を見下ろす。心の底に溜まっていた自分や仲間への苛立ちがすっと消え去るのが分かった。

 

言葉一つで機嫌が直るとは・・・・我ながら非常に現金だと思わないでもなかったが。

切ない程の愛おしさが込み上げて、つい手を伸ばす。

 

十年前だろうと何だろうと、愛しいという気持ちに全く変化は無い。

 

 

 

―――それ故の弊害、というのをこれから嫌というほど痛感する羽目になるとは思ってもみなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー・・・・私もう寝るから。疲れたし・・・・このソファ貸してくれる?」

 

 

あらぬ方を見ながら歯切れ悪く許可を願い出る幼馴染。何処か慌てたような感じはとても微笑ましい。

取り敢えず今日は最初から同じ部屋で寝るつもりだった。勿論、襲撃に備えるためである。

何か起こったときに直ぐ対応できる距離に居るべきだろう。彼女は弱くはないが、そこまで強くもない。

 

だが、人が横になれる位大きなソファはひとつだけ。が今座っているものだけだ。

自分は床に寝てもいいのだが、それだと一瞬動きが制限されるような気がする。その一瞬が命取りにもなる。

おまけに部屋の中央、かなり目立っているソファに居れば真っ先に狙われてしまうだろう。

 

そう結論付けた雲雀は奥の部屋―――つまり寝室の方をちらりと見やった。

 

 

 

「別に、ここじゃなくてもベッド使ったら」

「え、二つあるの?」

「いや、ひとつしかないけど。それが?」

 

 

 

そう言うと、が疲れたような顔で眉間を押さえて溜息を吐いた。

最初は何を渋っているのか全然分からなかった。今ではもう別に珍しくないことだったから。

 

 

 

「・・・あのね、私がベッド占領したら恭弥はどうするわけ?」

「ああ・・・そういう事。大丈夫、サイズは大きいから」

「そういう問題でもない!だから・・・っ」

 

 

 

必死に言い募る彼女を見て、漸く事情が飲み込めた。隣で一緒に寝る―――というのが嫌なのか。

 

成程、と納得しかけて・・・・ふと気付く。

十年前には普通にあったことではなかったか。ボンゴレで再会した次の日もそう。一緒に寝た筈だ。

勿論、自覚がないからこそ出来た行為ではあった。自分も彼女も、何も気付いてはいなかったから。

 

だったら何故今こんな反応をするのだろうか。何とも思っていないなら、尚更・・・・

 

答えを求めて、探るようにを見やった。何かを悶々と考えているようでこちらに注意を払う様子もない。

 

 

 

それでも。

 

 

 

「・・・・っ・・」

 

 

 

その頬が未だに微かに色付いているのを見て、驚き、目を見張って。

 

思わず掌で覆った口。

雲雀は我知らず笑っていた。胸に沸き起こる愛おしさのままに。

 

 

 

―――意識されている。

 

 

 

その事実が、どんなに自分を喜ばせているのか彼女は知らないだろう。

 

 

気付きもしないのだ。絶対に。

 

 

 

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