―――触れずにはいられない。
(触れたら、傷付けてしまうかもしれないのに?)
黒い羊は永久を謳う -Hibari's Side-
「わかった。じゃあ寝室ってどっち?」
は暫く考え込んだものの、やがて意を決したように顔を上げそう聞いてきた。
決意も新たなその表情からは先程覗かせた色味は消えており、雲雀は一抹の寂しさを覚えてしまう。
(・・・まあいいんだけどね、別に)
下手に嫌がられて離れる羽目になるよりは―――男として認識されていなくても傍に居られる方が良い。
指し示した寝室の、扉・・・だったものに興味を示す彼女を見ながらそう自分を納得させた。
「じゃ、中で適当に寝てていいから」
「ん、わかった・・・」
雲雀の言葉に従って、素直に部屋の中へと足を踏み入れる。
その後姿からはある種の緊張が読み取れてしまい、意志の力で以って目を逸らす。何とも心臓に悪い事だ。
ああ、兎に角、彼女が完全に眠りに落ちる前に自分も寝る用意をしなければならない。
最早本来の機能は殆ど失われてしまった扉が閉まる音を聞き届けて、風呂場の方へとそっと踵を返した。
それから多分数十秒も経っては居なかったと思う。
――――が常に無いほど動揺しまくった様子で、寝室から飛び出してきたのは。
最初は、敵が現れたのかと思った。
だが彼女はそれ如きで慌てるはずもない。むしろ嬉々として応戦するタイプだろう。
次に、変な虫でも現れたのかと思った。
だがやはり彼女はそれ如きで慌てるはずもない。慌てず騒がず、普通に殺すか逃がすだろう。
じゃあ幽霊?まさか。そんな非現実的なものを怖がる性質でもない。
ならば何故―――雲雀は傍へ駆け寄って彼女の顔を覗き込む。その表情からは焦りしか読み取れなかった。
「、どうかしたの」
「・・・・・恭弥」
を追い詰めるような何かが、寝室にあっただろうか?自分の知らない所で彼女を傷付けてしまっただろうか?
雲雀は自問自答を繰り返す。止め処ない思考は巡るだけで答えを出すには至らない。
「・・・・む、無理だから。やっぱり無理、出来ない」
「何が・・・?」
「悪いけど、私、ソファで寝る。ごめん、でも、無理だから実際ホントに」
喉の奥から搾り出すような弱弱しい声で、縋るように、彼女は言う。
咄嗟に問い詰めようと彼女の両肩を掴みかけ・・・その体が微かに震えている事に気付き、雲雀はそっと手を降ろした。
武のような人間であれば、気取らず気の利く言葉を掛けることが出来るかもしれない。
だが、今の自分に、一体何が出来るだろう。近づくだけで警戒されてしまうような―――今の自分に?
『寝室は絶対駄目』と全身で語っているを置いて、雲雀はそっと寝室へと入った。
説得は不可能だろう。そう思いながら端のクローゼットから予備の布団を引きずり出しリビングへと取って返す。
あれだけ慌てていた彼女はソファの傍でぼうっと突っ立ったまま。
「これ、被らないと風邪引くよ」
「え・・・」
寝てしまえばいい。何も考えずに。
をソファに寝かせそっと布団を掛ける。素直に体の力を抜いた様子に、雲雀はそっと微笑んだ。
「おやすみ、」
「・・・・・うん、おやすみ・・・」
大丈夫。君の眠りを妨げるようなものは僕が必ず排除するから。
―――だから、安心しておやすみ。
入浴時間としては自己最短記録を更新したかもしれない。
雲雀は風呂場の扉を静かに閉め、髪や体を拭くのもそこそこに薄いシャツを羽織ってリビングへと急いだ。
中央のソファに先程と同じ状態のまま幼馴染が横たわっているのを確認し、そっと溜息を吐く。
やはり疲れているのだろう、これだけ近づいても身動き一つせず、彼女の深い呼吸音のみが響いている。
このままそっとしておいてやりたいとは思いつつ―――離れる事ができない自分。
雲雀は自身の濡れた髪をかき上げると、静かに眠る幼馴染を布団ごと持ち上げ寝室へと向かった。
途中、彼女の肩から軽く羽織られただけの上着が滑り落ちたが気にしない。
大事なものは、この手の中に在るから。
それから片足で器用に扉を開け、出来るだけ振動を与えないよう細心の注意を払って彼女を寝台の上へと降ろした。
「・・ん・・・・・」
「・・・・・・」
が微かに身じろぎするのを見ながら、自然と自嘲の笑みが浮かぶのが分かる。
何だかんだ理由をつけたところで結局変わりはしない。これはただの独占欲だ。醜い、欲望。
一度襲撃を失敗した場所に再び敵が来るだろうか。守る為?・・・そんなもの、自分を誤魔化す言い訳でしかなかった。
ただ、傍に居たい。そして―――触れたい。
“愛してる”
そう言葉に出来ないのが苦痛な程。
雲雀は吸い寄せられるようにその身を屈め、無防備に晒された白い首筋にそっと・・・・・
『恭弥さん、さん苛めないで下さいね』
『・・・“さん”、の事も宜しく頼むぜ?』
触れる寸前で動きを止めた。頭に蘇ったのはしっかり釘を刺していった仲間達の声。
今彼女に触れるという事は、ただ傷つけてしまうだけだから、と。あの時、そういう意味で、牽制された。
(全く・・・余計な事を)
いや、律儀に思い出し躊躇する自分も相当なものかもしれない。
思わず苦笑した雲雀は、掠めるような口付けを落として彼女の隣に横たわった。
最後の仕上げとばかりにこれでもかと周りの気配を探り、天井を見上げて大きな溜息を一つ。
・・・・溜息も吐きたくなるだろうこの状況では。
明日のことを考えればしっかり休息をとるべきなのはわかっている。だが、それでも。
眠れる気がしないのだ。さっぱりもう見事に。
(・・・僕が・・・こんなにも我慢とやらを強いられる日が来るとはね・・・)
この借りはきっちりと、それこそ全員から力ずくでも返してもらうから。ああうん、勿論だって例外じゃない。
そう思い目を細めて笑う。それは誰もが裸足で逃げ出したくなる程危ない笑顔だったが、不幸な事に目撃者は居なかった。
雲雀は自分の所為で乱れた布団を彼女の剥き出しの肩にふわりと掛け。
今夜だけは、何の夢も見なければいいと願いながら―――そっと目を閉じた。