お湯の温度は丁度良かった。
(熱いの、苦手じゃなかったっけ……?)
黒い羊は永久を謳う
もうもうと湯気で視界が白く染まる浴室。私は全く遠慮せずに、頭から熱いお湯を被る。
光熱費なんてどうせボンゴレが支払うのだろうと、浴槽にもたっぷりと湯を張った。
………無駄に大きいので結構時間が掛かったが。
私はその間に体と髪を洗ってしまおうとソープ類らしきものが置いてある棚の方を向いた。
許可は取ってないが使って良いのだろう、と勝手に判断してまずシャンプーを探し、手を伸ばす。
そしてそれを見つけたとき私は――――伸ばした手を、思わず引っ込めた。
(……シャンプー、二種類ある……)
しかもその内ひとつは可愛らしいデザインのフローラルフルーティーの香り。
<サラつやストレートになりたいあなたへ!天然成分高配合お肌に優しい…>云々、説明文が見て取れる。
見る限りでは、女物のシャンプーだった。誰が見てもわかるくらい、明らかに。
「これ、恭弥が使ってたら指差して笑えるのに……」
私は有難くそれを使わせて貰うことにした。ファンシーな外見に似合わず、結構上品な香りが広がる。
洗った感じも悪くない。よし、この商品覚えて帰ろう。
その後体を洗い始めるが、ボディソープと石鹸の両方が用意されていたため、ボディソープの方を使った。
だって……まあ石鹸となると、ほら、色々と、思うところがあるし。色々とね。うん。
泡立てて擦って、そのまま左足に差し掛かったとき、ほんの少し痛みが走った。
見ると、どうやら切り傷が出来ているらしかった。放っておくにはちょっと深いような気がする。
風呂から出たら恭弥に救急セットとか借りて消毒でもしておくか。その時私はそう軽く考えていた。
大きな湯船にゆっくりと体を沈ませる。ちり、と左足が僅かに痛んだが、直ぐにそれは消えてしまう。
―――女、か。
私は目を閉じて、『雲雀恭弥の恋人』に思いを馳せた。風呂を見る限りでも、その存在を認識させられる。
風呂というのは結構危険なところだ。人が無防備になる場所。勿論、気も緩む。
女の私物がここにあるということは、彼自身がそれを許したということ。どうやら随分深い関係にあるようだ。
もしかしたら、ほぼ同棲に近いのかもしれない。あの恭弥と?まあ何て奇特。……それに尽きるな。
ああ、例えば風呂だけじゃなくて部屋にも何かあるかもしれない。
洗面所に歯ブラシが二本あるとか、食器棚の中にはペアのマグカップがあって?他にもお揃いの何かがぞろぞろ―――
「…こうもリアルだと、何か微妙…」
上で話した時はそんな事、ちらとも思わなかった。だが現にこう突き付けられてみると、寂しさに似た感情が頭を擡げる。
これは…あれか。親友に先に恋人が出来て取り残された気分に陥っている、みたいな状態か。
でもここは十年後だし。この時代の私にも恋人がいるかもしれない。全く想像つかないし、欲しいとも思わないけど。
「あ、だったら別に悩む必要は……ない、ってことよね」
十年後の恭弥が毒になる?幼馴染だからって、気を抜いてしまう?――否、それがどうしたというのだ。
私は十年後、恭弥の傍に居る訳じゃない。彼には恋人がいる。そう、だから、大丈夫。
「どこにも、悩む要素なんて――無い」
ぱしゃん、と水音が響く。
胸に湧いた感情は、気の所為だと黙殺した。
充分温まった体を抱え、脱衣所に移動し、入る前恭弥に渡されたタオルで水気を拭き取る。
ハルが持ってきてくれた着替えの中には、下着も一式きちんと折りたたまれて入っていた。…のだ、が。
(…何故黒…しかも総レース)
決して私の趣味ではないことだけは言っておく。十年後だろうが、こんなものを買うわけがない。
だが私に選択肢は無かった。多分ハルの趣味…?かどうかは分からないが、これまた黒いネグリジェも入っていた。
いや確かにイタリアのナイトウェアはガウンとかそういう傾向が強いかもしれないけど!それはないだろう!
上着が付いている事がまだせめてもの救いか。………繰り返すが、私に選択肢は無いのだ。
「……何それ」
まず第一声がそれだった。風呂から出てきた私を見るなり、恭弥は呆れたようにそう呟いた。
「…………ハルの持ってきた着替え。これ以上は突っ込まないで」
「……………」
恥ずかしいから実際。と何か言われる前に私はばっさり拒絶した。どうせ似合わないのは分かっている。
勿論、似合ってるよ等と頭トチ狂った発言をするようなら遠慮なく反撃するつもりではあったが。
恭弥に限ってそれは有り得ない―――と言い切れないのは、この十年後の“恭弥”は何かと私を揶揄ってくるからだ。
これ以上ネタにされて堪るか。私はさっさとソファに座って怪我の処置をすることにした。
「恭弥、消毒液と……ガーゼと包帯ある?」
「あるけど。怪我?」
「ん。ちょっと足切れてたみたいで」
左足のふくらはぎの所に五センチ程度の傷があった。もう既に痛みは無い。
消毒して押さえておけば明日明後日にはもう塞がるだろう。傷を確認しながらそんなことをつらつら考えていた。
ふ、と近づく気配がして顔を上げると、救急箱を手にこちらへ歩いてくる恭弥の姿。
彼はそのままソファの前へと回り込み、私の前まで来ると床に救急箱を置いていきなりその場に跪いた。
―――驚く間もなく、がしっと左足を掴まれる。
「っな、」
「ふぅん…硝子あたりで切った感じだね。考えなしに飛び込むからこうなるんだよ」
嫌味だか何だかわからない言い草だが、やかましい、なんて言葉は声にはならなかった。
両手で足を掴まれて矯めつ眇めつ眺められる私の身にもなってみろ。ある意味恐怖だぞこれは。
慌てる私に気付いているだろうに、これっぽっちも気に留める様子も無い幼馴染は勝手に傷の手当てを始めた。
足を掴む力は強く、私の意思では動かせない。
でもその手つきが余りにも優しく、壊れ物を扱うようなものだったので。
自分で出来るからと跳ね除ける事ができなかった。言った所で聞きいれてはくれなかったと思うけれども。
「、…っ力込めるな!痛いでしょうが」
「……終わったよ。何騒いでるの」
「…………。包帯締めすぎ」
「、君ね……」
私に出来たのは、ただ憎まれ口を叩くことだけだった。