私の脳は、現状を理解する事を放棄した。

 

………恥ずかしいだとか、そういう次元じゃない。

 

 

 

黒い羊は永久を

 

 

 

部屋のカーテンの隙間から、かすかに日の光が漏れている。

 

私は目を覚ましたそのままに、指一本動かすことなくその場に凍り付いていた。

目の前には黒い布のようなもの。ボタンが…付いていて。というか微かに動いているような気がする。

 

(…き、気の所為気の……)

 

ちらりと左側に目線をやると、そこには見慣れないが一度見たことのある天井が広がっていた。

 

私は上着を着ていなかった。剥き出しの肩を庇うように掛けられた布団を、無意識に首まで引き上げる。

 

 

――――暖かい、と思う。

 

 

ああだからこんな寒々しい格好にも関らず、私は朝まで一度も目を覚まさなかったのか。

 

……いや待て。私、上着脱いだか?いつ。どこで。そもそもここは一体……

何気なく視線を戻すと、やはり目の前には黒い物体がでんと横たわっている。だから待てって、有り得ないから。

 

 

(…つまりこれは夢。それも超弩級の悪夢。そう、もう少し経てば絶対目が覚め)

 

 

 

「ん、…起きたの?」

 

 

 

気怠げな、少し掠れ気味の声が頭上から降ってきた。辺りに衣擦れの音が響く。

そして目の前の物体も同時に動いた。いやいやまさか。これはきっと発熱する置物だから。きっとそう。

 

……それが意外にもしっかりと厚い胸板に見えるのは気の所為。幻。白昼夢。

 

私はしっかりと目を瞑って、余計な思考を振り払った。冗談にしては性質が悪い夢だ、などと胸中で呟く。

とその時、ふわりと髪を撫でられる感触がした。視界が閉ざされている分リアルに手の形を意識してしまう。

 

数度柔らかな仕草で触れていった後、その手はすっと耳から首の方へと流れていく。

 

 

 

「まだ眠いなら……寝てても良いよ」

 

起こしてあげるから。

 

 

その言葉に、私はそっと目を開いて、殊更ゆっくりと顔を上げた。

顔を上げた先には、恭弥がいて。皮肉の色の無い暖かな笑みを浮かべて私を見ている。

 

首筋にあった彼の手は、私の動きにつられるように頬を優しくなぞり出す。

 

 

 

「ん……?」

 

 

 

優しく、宥めるような声。耳に心地よいそれを、いつまでも聞いていたいと―――

 

 

 

 

 

 

 

(………思うわけ、ないだろうが…っ!)

 

 

「………し」

「し?」

 

 

 

 

「っ死んでしまえ――!!」

 

 

 

私の心の奥底から放った魂の叫びは、ボンゴレ幹部専用フロアの隅々まで響き渡ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たとえ寝巻きだろうが何だろうが、常に武器を潜ませるのは常識とも言えよう。

いつ何時でも動けるよう仕込んでいたナイフを取り出し、私は恭弥の首筋にぴたりと当てた。

だがもちろん即座に手首を押さえられ、それ以上は動かせない。彼相手なら仕方のないことだ。

 

構わず私は上から恭弥を見下ろしつつ、我ながら底冷えのする声音で言葉を紡ぐ。

 

 

 

「説明してくれる?」

「…説明?」

「私が“ここで寝ている”理由をよ!ソファで寝てたはずなのになんでこの部屋で寝てるの!?」

「僕が君を運んだから」

「違う!……昨日私、ソファで寝たいって言ったでしょう?」

「朝までいいとは言ってない。が勝手に勘違いしただけだよ」

「っあのね……」

 

 

 

思い返してみれば、確かに恭弥は『良い』とは一言も言っていない。風邪を引くと、掛け布団を掛けてくれただけ。

普通ならその時点で了承されたものだと十人中九人が思うだろうが。それとも、彼に常識を求めるほうが間違っているのか。

とにかく、それとこれとは別問題だ。気付かない私も悪いが、人を勝手に運んであまつさえ同じベッドに引き入れるとは。

 

そりゃ暖かかったけど!寝心地良かったけど!……だからって!

 

―――何で朝起きた時向かい合っててしかも寄り添うように寝てなきゃならないんだっての!

 

 

(目覚めると幼馴染の胸板が目の前にありました?見ようによっては私が擦り寄ってるようだったって?)

 

 

 

 

「普通に死ねる……!」

「……もしかして、恥ずかしかったとか?」

 

 

 

ぴし。と音を立てて私は固まった。………この男、今、何て言った?

首筋にある鋭いナイフを物ともせず、恭弥はぽつりと呟いた。心なしか揶揄う様な口調で。

 

勿論、その台詞が私の神経を逆撫でしたことは言うまでもない。

 

 

 

「………だ、から誰が!恭弥相手に恥ずかしいも何も―――」

「――――っさん!」

 

 

 

突然ばんっ!と大きな音と共に聞き慣れた女性の声が響いた。ハルである。

ほぼドアとしての機能を失ったそれを全く労わることなく抉じ開けた彼女は、仁王立ちでそこに立っていた。

 

私は本当に驚いて恭弥の上に乗ったままではあるが、ハルの方へと顔を向ける。

 

 

 

「大丈夫ですか苛められてないですか!?何かされたら、恭弥さんはこの私が成敗しますよっ!!」

「あ…………」

 

 

 

捲し立てられるその勢いに、何の台詞も出て来ない。そのまま見つめていると、彼女はさっと頬を染めて一歩下がった。

そして申し訳なさそうな、生暖かい笑顔を浮かべて私を見る。―――いや、私と、恭弥を?

 

 

 

「もしかして、私…お邪魔虫でしたか?」

「………は?」

「いえその、さんが嫌じゃないならいいんですよ。どうぞごゆっくり」

 

 

 

一人照れるハル。マズイ展開だという事だけはわかった私の脳は、ここに来て急激に動き始めた。

私と恭弥がどこに居て、何をしているのかを考えれば答えはすぐに出てきた。ハルの所からはナイフは見えないし。

 

……そう言えばこの体勢だと、まるで私が恭弥を襲っているようにも見えなくはない……?

 

 

(いや実際襲ってるんだけど、そういう意味じゃなくてだから)

 

 

そこでふと我に返ると、下に居る恭弥も入り口に立っているハルも何ともいえない笑いの衝動を無理矢理抑えたような顔で笑っていた。

 

 

 

―――また揶揄われた……!

 

 

 

 

 

「あ、さん。その服かなり似合ってますよ」

「……っやかましいわ!」

 

 

 

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