そうあればいいのに。
私が生きていくその先に、この未来が。
黒い羊は永久を謳う
極上のケーキ、だった。
ハルと出会ってから幾度となく彼女の料理をご馳走になっていたのだが、今まで食べたどのケーキよりも美味しかった。
「…ものすごく美味しい……」
「本当ですか!?嬉しいですっ」
ふむ、これは花嫁修業の成果だろうか。昼食も簡単な物ながら、とても美味しく頂けたことを思い出す。
何より食にうるさい節があるリボーンが黙って食べていたというのも驚きの一つだったが。
……ボスと幹部達が顔つき合わせて食事、というのは見た事がなかったので、結構新鮮だったのは収穫だろう。
それともこの未来だったなら、あんな光景も極普通の事なのだろうか。
「どうです、さん。未来のご感想は」
「…一人生き埋めにしたいのが居るけど、それ以外はまあ…良い感じなんじゃない?」
「あー…はは、そうですよね……」
もちろん思い当たる人物は一人しか居ないらしく、彼女は苦笑いを浮かべながら目を逸らした。
三浦ハル。彼女が今までどんな人生を送ってきたのか、知る事は出来ない。
でも、その立ち振る舞いの変化からわかるように、平穏平和ばかりの道程ではなかっただろうに。
確かに成長のあとを感じさせるものの、それでも尚彼女元来の明るさはそのままハルの中に息衝いている。
いったいどれだけ泣いて、どれだけ努力して、どれだけ失ってきたのか。
「でも良い感じっていうのは大賛成です。私今凄く充実していて、……幸せ、ですから」
「………そうね。そう見えるわ」
「えへ、有難うございます」
そう言って彼女が浮かべた笑顔は、思わず頬を緩めてしまいそうになる程綺麗で、暖かなものだった。
恭弥とは全く別の次元で落ち着ける空気が、そこにはある。それはとても心地良い。
実際、この十年後の世界にしたって―――悪くはないと、思うのだ。
(…そう、恭弥さえ普通だったら…っ)
どんな事も気にすることなく、この一日限りの夢に思う存分浸れたのに。
「だから、さんも来て下さい」
「え?」
私は驚いて顔を上げた。彼女は穏やかな顔で笑う。
思考の海に沈み込んで、言葉の意味をすぐ理解できなかった私を見透かしているのだろうか。
「良い意味でも悪い意味でも、未来に無限の可能性があるって言うなら…選び取ってください。この未来を」
「…どうして、そんな事を…」
「未来はひとつじゃない、ってさんの口癖なんですよ?……知ってました?」
「口癖って、私が?そんな」
「もちろん、この未来が一番良いなんて保障出来ませんけど。少なくとも不幸にはならないんじゃないかと思います」
この私が、ハルに畳み掛けられた。口を挟む隙もあったもんじゃない。
おまけに『駄目ですか?』と追い詰めてくる。………私は、どう答えていいか分からなかった。
未来があって、私はこれからもずっとボンゴレに居られて、リボーンや獄寺、山本その他幹部達とつるめて。
ハルと仕事して、ボスを揶揄え……るだろうか?まあいい。そして恭弥といつもみたいに……
「………でもあの恭弥だけはなんとかして欲しいんだけど」
「慣れれば大丈夫ですよ!」
「何を根拠に」
「はひ!えーと、私の実体験、です!」
「…………ほほう」
そんな未来が、本当にあったなら。
私は。
窓が無いので確認は出来ないが、時計が夕方を知らせるころ。
体の良い軟禁場所となった隠し大部屋に訪問者が現れた。
―――ボスである、沢田綱吉だった。
「ツナさん!お仕事終わったんですか?」
「まだだよ。でもこれでさんとは最後だから、ちょっと様子を見に来たんだ」
夜に仕事が入っちゃって、と仕方なさそうに笑う。どうやらわざわざ別れの挨拶をしに来てくれたらしい。
「さん。今回色々大変だったと思うけどさ……めげずに頑張ってね」
「……ええ。有難うございます」
「出来れば、そうだね、出来るだけ長く……ボンゴレに居て欲しいと思うよ」
『君』はいつか出て行くかもしれないけど。そう彼は軽く言葉を濁した。
ボスもハルも、同じ様な事を言う。この未来に……私が?辿り着けると本当に思っているのだろうか。
そう期待している、のではなく本当に、それを信じているのだとしたら……?
何だかこそばゆいような気持ちになったので、私は少しだけ本音を洩らすことにした。嘘ではない、言葉を。
「ボス」
「何?さん」
「やっぱり私は、未来がひとつだと信じる事は出来ません。……だけど」
先の人生に期待を持てるほど、強くはなれなかった。そうする資格もないと、今も思っている。
でもここで、十年後という『未来』にやってきて、希望を、垣間見てしまったから。
「それでも――……頑張っては、みます」
ここへ繋がる為に。精一杯の努力をしよう。そう、何事も起こらなかった、なら。
そう言うと、ボスはふわりと柔らかく微笑む。………わかっていると、言われた気がした。
「うん。頑張れ」
そしてそっと小指を立てた左手が差し出される。
(……はい?)
まるで“指きりしましょっ”とでも言いたげなそれ。反射的にボスを仰いだが、にこにこ笑っているだけだ。
それどころかその笑顔が圧力となって皮膚にちくちくと刺さる。やれと言うのか。私にやれと言うのか、この中年。
「約束、しよう?」
「………っ……!」
くいっと小首を傾げていかにも可愛らしい仕草だった。ただ、その声音だけは余りにも真剣そのもので。
結局はやる羽目になるのだ。これ以上ごねれば更に居心地が悪くなるのだろうと私は自分を無理矢理説得した。
そして私も、そっと、左手を差し出す。
「……約束、です」
最初に手袋の感触。羞恥に目を瞑って小指を絡ませた瞬間、私ははっとした。
咄嗟に表情を取り繕って何でもない振りをする。
(…………この人、指輪してる……)
相手が彼女かどうかなんて保障は無い。でもその事実だけがあればいい。
奇妙な嬉しさが込み上げて来て、それを隠すように私は声を張り上げた。
「が、頑張るだけですからね。努力するだけですからね。結果が付いて来なくても―――」
「うん、いいよ」
え?
「君は……それで、いいんだ」
―――その言葉は、何故か酷く心に残った。