認めたくはなかった。未来なんてものは。

それでもこの目の前に居る幼馴染は消えない。

 

視界が少し、滲んだ気がした。

 

 

 

黒い羊は永久を

 

 

 

『咬み殺す』―――と、言ってはみたものの。

 

それは戦闘と呼ぶには余りに乱暴で、八つ当たりにしては余りに悲惨だった。

最早殴り合いですらない。

 

正直、彼に近づく気にはなれなかった。………私達の実力差が明白すぎて。

 

 

 

「だからって調度品投げるのはどうかと思うけどね」

「それを普通に壊して退けてる恭弥に言われたくない!」

 

 

 

私物と言えるようなものが全く見えないこの部屋はきっと客室だろう。

そう判断した私は手当たり次第――例えば椅子や机などを――持ち上げては次々と恭弥に投げ付けていた。

 

トンファー一本の恭弥に、それらは悉く粉砕されてしまったけれど。

 

 

(……いやまあ見てる分には結構爽快だったりする)

 

 

 

「誰が弁償するのさ」

「え、恭弥じゃないの?」

「君でしょ」

「壊し…ったのはそっち」

「原因は君だよ」

「ん――…じゃ、10年後の私と折半でも、すれ、ばっ!」

「結局払うんだ」

「私には関係ない!」

「……どっち?」

 

 

 

会話を続ける間にも私達の間には家具と家具の破片が飛び交う。何度かナイフを密かに紛れさせても全部叩き落された。

 

それを、トンファーを持ってない左手でやるあたり本当に嫌味ったらしい。

飄々とした面に一発だけでも入れてやりたかったが……接近戦を仕掛けるのは無謀。それは分かり切ったことで。

 

だが、それ以上に私を押し留めていたのは訳の分からぬ恐れにも似た感情。

 

 

近づくのと同様、近づかれるのも嫌だった。

 

 

 

「……こういう間怠っこしいやり方、いい加減鬱陶しいんだけど?」

 

 

 

投げる物がもうなくなってきた時に、漸く恭弥が静止の声を上げた。

私はまた違和感に目を眇めてしまう。…「私が知っている」恭弥なら、とっくの昔に問答無用で終わらせていたはず。

 

 

(ストレス発散させてくれていた、なんてオチだったらこのまま飛び降りた方がマシだとさえ思える)

 

 

それは冗談としても、今なら私の方が窓に近い。……そのまま逃げる事だって多分不可能じゃない。

 

どうしよう。

迷っているうちに痺れを切らした恭弥が一歩こちらに近づいた。それを見て咄嗟に私は一歩退く。

ほぼ無意識だった。それは間違いない。

 

だがその行為が……多分恭弥の何かを刺激したのだろうと後になって思う。

 

もう遅かったけれど。

 

 

 

「君、逃げる気?」

「っ!?」

 

 

 

それは一瞬の出来事だったのかもしれない。しかし、私には永遠にも感じられた。不思議と恐怖は無かった。

 

一歩退いた私に、恭弥は物凄く不機嫌そうに目を細めて。

―――先程までの柔らかな目は幻だったのかと言いたくなる程剣呑な光が私を貫いた。

 

でもやっぱりそれは、「私が知っている」恭弥とは似て非なるもので、違和感に頭を揺さぶられる。

そのままさしたる助走もなく、彼はトンファーを持っている手を前に出して私の方へ跳んできた。

 

それはまるでボンゴレで恭弥と再会した時の事を彷彿とさせた。

 

 

 

抵抗出来なかったのかしようとして間に合わなかったのか、そもそもする気がなかったのか。自分でも良く分からない。

恭弥は勢いを殺すことも無く、力いっぱい私を壁に叩き付けた。ついでとばかりに押さえ込まれる。

と同時に私の首から数ミリのしか離れていない場所に、見慣れぬトンファーが鈍い音を立ててめり込むのが分かった。

 

 

現実逃避、かもしれない。実際のところ私は全く別のことを考えていた。

私の身長に合わせてか少し屈んだ恭弥の、髪の間からちらりと光ったものに目を奪われて。

 

―――彼の両耳に真っ赤に輝くピアスが綺麗だなんて………そんな、くだらない、事、を。

 

あまり装飾品を好まないはずの彼が身に付けた宝石に、不思議と興味が湧いたのだ。

 

 

 

「……なに見てるの」

「…恭弥って・……宝石つけるの?ピアスなんか…珍しい、っていうか」

「君、今の状況分かってる?」

「うんまあ絶体絶命だって事くらいは」

 

 

 

首を動かせばトンファーの仕込み鉤に当たる。肩から下は恭弥に押さえられ自分の意思では動かせない。

私はそんな状況の中、わざとらしく戯けて笑う。戯けられる程には、心は落ち着いていた。

 

勿論逃げ出したいような気持ちは消えることは無かったけれど。

逃げる行為そのものをこうも完璧に封じられてはその気力も失せるというもの。

 

 

―――伝わる体温は、消えない。

 

 

 

「恭弥」

「……………」

「降参するし逃げないから。取り敢えず少し、離れてくれない?」

「……………」

「流石にこの体勢は苦しいんだけど。……ってちょっと恭弥聞いてる?」

 

 

 

おかしなことに、恭弥は至近距離で私をじっと見つめたまま動かなくなった。

どこか複雑なその表情に困惑してしまう。私は何か変な事を口走っただろうか?

 

というか本当にこの体勢をどうにかしてくれないと結構息がしにくい。おまけに首とか変に攣りそうで怖い。

私は更に抗議しようと口を開きかけたが、軽い溜息と共に現れた破壊力抜群の柔らかスマイルの直撃に遭い硬直した。

 

 

(っだ、……だから止めろその顔…!)

 

 

またあの何とも言えない感情が溢れてきて、頭が真っ白になって思考力が奪われる。

もういい、とにかく怪我をしてでもこの状況の打破を…!と反射的に動きかけた私を遮ったのは。

 

 

ぱんぱん、と軽く手を打ち鳴らす音だった。

 

 

 

「はいはい、お二人さんそこまで。……もう、何をどうやったらこんな惨状に出来るの?」

「おいこらお前ら!予算を何だと思ってやがる!!」

「被害総額いくらになんだろなー?最高記録樹立、だったりしてな!」

 

 

 

 

私は思わず目を瞬かせて突然の乱入者たちを見つめた。彼らが誰か、なんて愚問以外の何物でもない。

目をやらずとも慣れた気配で分かっていた。ボスと、獄寺と、山本。その三人が開かれた扉に凭れて立っている。

 

全員落ち着いた雰囲気を纏っており、成熟した大人として外見もそれなりに変わってはいた。

だがその言葉の響きだけは決して変わらず。どれだけ年を取っていようと、彼らは彼らでしかなかった。

 

 

(――――そんなこと、初めからわかってたけど)

 

 

諦めに似た気分が体を満たして、そのまま変に篭っていた力を抜いてみる。少しだけ呼吸が楽になった。

 

その時になって私は、ここが未来であることを、未来が存在することを、漸く受け入れた。

 

 

 

 

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