彼が偽者であったなら、どれだけ心穏やかでいられただろう。
しかし彼は彼であり、そう、雲雀恭弥でしかないのだ。
極彩色の夢
永遠に続くとも思われたその硬直は、突然の横からの強い力によって解かれた。
建物の陰に強制的に引きずり込まれ私はそのまま膝をつく。私の腕を引っ張ったハルは、少し荒い息を吐いている。
あと数秒でもあのまま留まっていれば気付かれていただろう、それほどに私は我を忘れていた。
(っもう、さん!ちょっと偵察するだけって言ったじゃないですか!)
(………ごめん、少々予想外の配置で)
(………………)
ぼそぼそ小声で言い訳を落とすと、はっきりと同情の―――文字通り、同情の眼差しを向けられ、私はさっと目を逸らした。
雲雀恭弥の配置は、よくよく考えてみればおかしいことではない。
一瞬頭を過ぎった「排除用」という理由は間違ってはいないだろうが、それは単に連中に対するものであり、私に対するものとは限らなかった。
現場に戻る「犯人」の役どころはそもそも連中なのだから。………流石に、穿ちすぎたか。
最初に自分にとっての最悪を考えるのは私の悪い癖だった。それだけでも自身の動揺がどれほど強いかを窺えるが。情けない。
「リボーンちゃんと、……恭弥さん、ですね」
「入り口にはその二人しかいないと思うわ。ただ、中がどうなっているかは分からないけど」
「情報が思った以上に早く見つかったのでそんなに時間も経っていませんし……」
「ん。綱吉が居るってことはないだろうけど、多分、いつでも駆けつけられる位置には待機してるんじゃない?」
「…………」
何かあれば。……ハルと私が見つかれば、か?そうなると、ボスがいないからといって油断することは出来ない。
いや、そもそもリボーンを配置してる時点で、かなりこちらに不利であることは分かっている。
交渉相手としては最も苦手なタイプだ。いっそのことスルーして閉じ込められていた部屋に向かってしまおうか。恭弥とやりあう必要もないし。
そんな私の、逃げが全面に出た思考の変化を読み取られたのだろう、ハルは分かっていると言いたげにぴしゃりと断言した。
「リボーンちゃんなら、一見突飛なことでも真面目に聞いてくれそうです。真正面から行きましょう」
「えー……。裏から回り込みたい気分なんだけど」
「だからそれが余計怪しいんですよ!」
「ハル。一応、一般人にしてみれば向こうだって充分怪しいからね」
「一般人は、裏から忍び込もうなんて考えません!!」
声が大きい、と注意する暇もなく、ハルは私の腕をがしりと掴んだ。そしてそのままずるずると歩き出す。
いきなりの展開についていけず数歩付き合ったが、思い切り恭弥達が居る方に向いているのに気づき、足を引いたが既に遅く。
「ちょ、ハル…!」
「どうせもう今ので気付かれてますよ。行きましょう」
「………………りょーかいです、主任」
私には、大人しく頷くしか選択肢は残されていなかった。
かつん。敢えて大きく響かせた靴音が、その周辺の空気を一瞬で変化させた。
普段のようにハルの前を歩かず、あるいは、後ろに控えもせず。私は彼女と並んで、その古びた建物に近づいていく。
何かを話していたようだった二人は、相変わらずの反射速度でこちらを見やり――――。
そして、リボーンは少しばかり目を細め、恭弥は珍しくも軽く目を瞠ったようだった。何に驚いたのだろう?
実際戻ってくるとは思っていなかったか、それとも敷かれているであろう捜索網に引っかからずにここまで来たからか。
(本当に、なんつー人選だっての)
分かるけど。分かるんだけど。居て欲しくないランキング1位と2位が待ち構えているなどと、悪夢以外の何物でもない。
恭弥とリボーンは、凭れ掛けさせていた身を起こし、至って真面目な様子で私達に向き直った。
そしてどちらかが口を開こうとしたところで――――
「あっ、こんにちは!」
にこやかに、そう、わざとらしいほどににこやかに声を掛けると、二人は面白いように固まった。まあ、三秒程度だったが。
呆れたような、脱力したかのような、そんな不躾な視線を向けてくるものだから、私は更に足を進めてやる。
いわば門番の存在を完全に無視した形になるが、それこそどうでもいいことだった。
「ちょっと待ちなよ」
「お断りします」
途端、広がる沈黙。その間終始笑顔を保ち続けた私を誉めてやりたい。
いきなり殴りかかられても困るので、ある程度の距離は保ったまま、それでも足を止める。
ふと、ハルが隣に居ないことに気がついた。不思議に思って後ろを振り返ると、彼女は、門の所で物凄く微妙な顔をして立っている。
……手でも繋いでいれば良かっただろうか、と、雲雀恭弥ひとりに神経を集中させていた自分を恥じる。
だがこうして目の当たりにすると、色々想像以上だったと私は強く拳を握り込んだ。
私も何か投げたい、というかむしろ消し去りたい、それが酷く自分勝手な感情だと分かっていても。
雲雀恭弥という人間は、あまり己の感情を顔に乗せないと思っていたしそれが事実であるが、…………。
その違いはあまりにも鮮明だった。忌々しい、いや、違う。――――苦しい。
「……何してるの。行くんでしょう」
「まっまずはお話をしてからでも…」
「それ、時間の無駄」
「えぇと……って!恭弥さ、あ、雲雀恭弥さん、止めてください!」
時間の無駄、と切り捨てた瞬間僅かに響いた金属音に、ハルが慌てたように制止の声を上げた。
単に恭弥さん、と呼びかけて修正したようだが些か無理がある。現に二人の意識は一瞬で彼女の方に移った。
……イタリアに来ていない三浦ハルなら、彼をそう呼ぶことはついぞ無かっただろう。
恭弥やリボーンは彼女が何を語るかに注目しているようだったので、振り返ったままの状態で待機しておく。
武器を出されるのは辛うじて免れたようだが、どうにもこうにも、私達の話を聞かないことには到底ここを譲ってくれそうになかった。
「――――ハル」
「はいっ!……あ、いえ、違います!」
「何がだ」
「人違いです」
「…………」
頭でも打ったのか、と小さく呟きつつ胡乱な光を浮かべたリボーンは、それでも彼女の瞳の中に嘘を見つけられなくて、少し混乱したように見えた。
確かに嘘は言っていないのだから当然のことである。ここに超直感を持つ綱吉が居れば、更にその疑念が深められたことだろう。
「……悪ふざけなら今の内に止めておくんだね」
「遊びでも、悪ふざけでも、冗談でもありません!」
「だったら拗ねてるの。確かに今回のは綱吉が悪いけど―――」
「す、拗ねっ?!」
ハルが素っ頓狂な声を上げたのに内心同意する。拗ねる、とな。それはまた変わった感想だ。
今、何をどう考えたらそんな結論に辿り着くのだろう、と私は思わず不機嫌そうな恭弥を振り仰ぐ。
拗ねている。………今回、のは?つまり以前、彼女が拗ねたことがあるとでもいうような台詞だった。
資料を見る限りハルは、綱吉達とは高校卒業時に別れ、それから一度も会っていない筈である。
(ああ―――)
もしかして、の話だが。もし、彼女が『拗ねた』時が、彼らとの別れの時であったとしたら。
私にとっても、ハルにとっても、おそらく愉快な話ではない―――。