本当にすみませんでした。二度とやりません。
………なんて約束、出来る訳ないけどね。
極彩色の夢
空気が乾燥しているからかどうなのか。ちらとも目が潤む気配がなかったので私は俯き加減で目を伏せた。
流石に目と目を合わせてしまえば、それなりの情報を相手に与えてしまうだろうことは分かっている。
怯える可哀想な一般人でないのは一目瞭然―――ハルが頭痛を堪えるようにこめかみを押さえたのを尻目に、私は更に言葉を紡いだ。
「……っ酷いです、私はただ、この建物に入りたいだけなのに―――」
この人が問答無用で。と付け加えると、新たに来た綱吉を含める三名が色めき立った。ただし一名は除く。
気配からして恐らくは骸、だろうな。姿を現さないまま、いつか来るかもしれない連中に備えているのか。
試行錯誤の末骸を見ても頭痛がすることはなくなったが、身構えてしまうことだけは中々治らない。
それ以前に、彼も戯れにというかむしろ嫌がらせ目的で軽い幻覚を仕掛けてくる時もあるので、油断は出来なかった。
(何か起こっても絶対巻き込まれないように。適当に距離を取って、と)
一方でざくざくと刺さるのは恭弥とリボーンの視線である。先ほどの流れを知っているからかその表情は険しい。
効果がいまいち―――だとすれば、取り敢えずもう一押ししておくべきか。止め時が分からないというのもある。
私は目の前で庇ってくれている二人の男から、茶目っ気を込めて隼人の方を選び、彼の上着の裾を申し訳程度にきゅっと握った。
おまけに空いた手で軽く拳を作って口元にあてるとあら不思議、この状況に怯えるかよわい女性の出来上がりである。
「…………こわい、」
笑いを堪えて震える身体を抑えつつ何とか捻りだした声は掠れ、更なる相乗効果を生んでいた。
―――瞬間。ごふ、と響いた音に視線を向けると、遠くで図らずもハルが同じように口元を押さえて震えている。
私の状況を正確に理解しているのはハルだけだろう、あるいは恭弥もそうかもしれないが。
目を合わせないよう注意しつつ冷静に見守っていると、彼は纏う空気の温度を更に下げ、無言で武器を降りあげた。
「っお、おいおい恭弥、マジで穏やかじゃねぇのな!」
「五月蝿い。死にたくなかったらそこをどくんだね」
耳障りな金属音が幾度も響く。ナイスだ、武。こんな間近で見ていても抜刀の瞬間はほとんど目で追えなかった。
恭弥は自らを押し止めている刀になど目もくれず、ただ真っ直ぐに私だけを見ている。視線を肌に強く感じた。
不謹慎にもこの状況がとても楽しいと思う。そんな自分があまりにも滑稽で、あまりにも現金だと内心苦笑が零れた。
ああ、マフィアであることを隠そうなどと提案してさえいなければ、速攻でナイフを抜いていたところなのに。
隼人の背中に避難しつつ頑固に視線を向けないでいると、痺れを切らしたのか恭弥はもう一度苛立たしげにあの言葉を紡いだ。
「…………『』」
「―――――」
「あ?何言ってんだ恭弥?」
「さん………の、こと?なに?」
もう胸はざわつかない。もう、痛みを覚えることはない。その名で呼ばれたとしても違うことはわかっている。
彼が呼んでいるのは私ではなく、私がそう呼ばれたいのは彼ではない。その台詞は別の存在に向けるべきものだった。
(ここでの“私”と再会した後のことなんて……うん、私の知ったことじゃないし)
あれこれとお膳立てをする気は全くなかった。“私”が何を選んで何を選ばなかったのか私には分からない。
今まで築き上げてきただろう殻に篭り続けるかどうかさえも。―――“私”が、自分自身で、決めることだ。
「………人違い、ですってば」
「殴るよ」
「うぉ!ちょい待て、俺をか?!その馬鹿力マジ洒落になんねーって!」
わあ怖い。そんな台詞を私は飲み込んだ。冗談でもなんでもなく、本気だろうなと分かるからである。
かつて『雲雀恭弥』に笑って済ませられないほどの重傷を負わされた身としては、最悪に笑えない脅しだった。
あれから何年も経つが、やはり今そうなるとしても私は最後の最後で勝てないだろう――――だが、しかし。
「だからまず考えろって言ってるでしょうが、この単細胞!」
それは今、ここで、その喧嘩を買わないという意味では、決してない。
「え、え、っえぇええ?!」
「本当に、……ムカつくね、君はっ!」
「当然。嫌味だもの、そうじゃなきゃ困るわ」
「―――っ―――咬み殺す!」
ちょっと待って、と言い掛けた綱吉はすでに場外。目の前の二人は状況把握が遅れ、リボーンと骸は傍観を決め込んだ。
……のだろうと、雰囲気から適当にそう判断した私はまず一撃目を武でかわし、返す二撃目を隼人でかわす。
もちろん彼らは軽々………そう、崩れた体勢からでも難なく避けていたようだったから全く問題はない。
唯一不満だったのは、盾にすることを読まれていたかは知らないが、彼が特に反応を見せなかったこと。
ただこの行為で十数秒の余裕が稼げたので、この先どうするかを頭の中で色々組み立ててみることにした。
売られた喧嘩を買ったので場はかなり混乱するはずである。後はリボーンを巻き込んでどうにか隙を作らなければ。
骸は連中が来ない限り姿を見せないだろう。……あるいは来ても尚。それなら無視できるレベルだった。
(隙を作ったら、また煙幕?―――って、それじゃ芸がなさすぎか)
同じ手は二度通用しない!とか言いそうな連中が揃っている。その上私達が向かう場所は決まっているし、宣言もしてしまった。
入り口を塞がれたら厄介極まりないな。ここはやはり乱闘騒ぎに乗ずるのが得策だろう、何とかして。
問題の恭弥相手に素手で立ち向かうなど自殺行為にも等しいが、しかし言いだしっぺの私が約束を破るわけにもいくまい。
コートに隠した武器は使えないとなると――――少し考えて、頭にきらりと妙案が浮んだ。と、一際大きな金属音が響く。
流石は雲雀恭弥と言うべきか、体勢を崩した二人を五撃目くらいで跳ね除けたのだ。そしてそのまま私の方へ向かってきた。
さて。そこで、私の「自分の武器を出しちゃいけない=相手の武器なら使ってもいいよね」という暴論が火を噴く。
(確か……そうそう、上着の奥の方に予備が――――)
迷ったり恐れたりすれば一発どこかに食らって終わりだ。怪我をした時点で、治療だ何だと別の場所に連れて行かれかねない。
私は勢いをつけて彼の懐に飛び込む――――手を、伸ばして。その指先に冷たい金属が触れた瞬間、のことだった。
「――――さんっ!」
透き通るような高い声と、続いて響く、だんっ!という大きな音が、周囲の全てを貫いた。
殺気の欠片もない、ただ純粋な怒気だけを纏った声。それは抗えない強制力を持って私達全員の動きを封じている。
ぎりぎりと軋む首を何とかそちらに回すと、完全に据わった目をしているハルと視線がかち合った。
まずい。滅多に見れないぶち切れた上司の姿に、さっと頭が冷える。これはまずい。本気でまずい。
(はい、目先の感情に捕らわれました。本当は混乱させた後のことなんて全くのノープランだったわけです。
そもそも恭弥の予備トンファーの存在を知っているという事実は向こうにとって見逃せないものですよね。はは。
………マフィアであることを隠そうと提案したのは他ならぬ私です。ええ、私ですとも!)
恭弥達が居る以上口には出せない言い訳が、後から後から湧いて出てくる。ああ、冷や汗まで出てきた。
そんな私の後悔と葛藤を充分読み取っている筈のハルは、にっこりと、華が綻ぶようににっこりと笑って――――
そのまま握った右手を門の飾りに叩きつけ、足を勇ましくその辺りの瓦礫に乗せた状態で、力強く宣告した。
「いい加減にしないとっ給料下げますよ!!」
「――――ごめんなさい!」
私は迷わず恭弥の懐から手を引き、降参の意を示す為に両手を掲げた。