彼女は私の上司です。そして私は、第一部下。
極彩色の夢
「いいですか、さん。私達の目的は“帰る”ことです――――分かってますよね?」
「も、もちろん」
「その為に唯一の手掛かりであるここに来た訳ですし、……皆に会うことも覚悟の上だった」
「その通りです……」
私は。思わず敬語で返しつつ、呆然と立ち竦む男共に囲まれた状態で、冷たい石畳の上に「正座」していた。
ハルは手に何も持っていなかったが、私には綱吉から貰ったという例の拳銃の幻が見えていた。
実際、ここが平行世界でなかったなら、マフィアであることを隠そうとさえしていなければ、だ。
第一声を放った時点で確実に発砲していただろう――――天に向けて、豪快に。
先程まで笑いに震えていたのはどうしたのやら、ハルは仁王立ちでしっかりと私を見据えている。
彼女は怒っていた。物凄く。この上もなく。そして、珍しく。私はただその怒りの前に小さくなるしかない。
「さん、随分、楽しそうでしたね?」
「調子に乗りました本当にゴメンナサイ」
「ええ、まあ、気持ちは本当に分かるので多少は大目に見ますけど、……分かってますよね?」
「はい!」
同じ台詞だが一段と低くなった声に、私は背筋をぴんと伸ばしはきはきといい返事をしてしまった。
こうなってしまうと私の反論も全く意味を成さない。ただただ、彼女の感情が収まるのを待つばかりである。
「はひー。さんの財布が心配なんですよ、私……」
「……………」
遠い目をしながらそんな恐ろしいことを呟く上司に、本気でそれだけは勘弁して欲しいと私は心の中で強く思った。
この間やっと、色々と返済というか賠償というか罰則というか――――が終わったところなのである。
しかし全くマフィアというものはどうしてこう成金趣味が多いんだろう。壊さないよう注意していてこのザマだ。
壷ひとつ、調度品ひとつ壊しただけでもう目が飛び出るような値段が始末書に記載され――――………
「――――、さん?」
「とても反省してます、ええ地中海より深く!」
「………。それと、恭弥さんも恭弥さんです!なんですか、さっきから子供の喧嘩みたいなことしてっ!」
「ちょっと、なんで僕まで……」
「だまらっしゃい!」
「……………」
普段ならその大声にびくっとなる恭弥を指差して大笑いするのだが、今そんなことをすればどうなるか。
ハルが、本気で怖い。もし向こうの世界だったら、恭弥の足下に二・三発打ち込んでいてもおかしくないほどに。
「大体、さんのやっすい挑発に乗るなんて、四捨五入したら三十路のいい歳した大人がすることじゃありませんよ!」
「…………………」
「別に……安くしたつもりは……」
「あんな気持ちの悪いもの見せられた私の身にもなってください!戻ったとき思い出したらどうしてくれるんですかっ?!」
気持ち悪い、とハルにまで断言されて私はほんの少し落ち込んだ。おかしいな。結構いい線行ってたと思うんだけど。
まあ流石に隼人に縋りついたのは自分でも笑ってしまったくらいだ、私も帰った後本人に会ったら吹き出すかもしれない。
そう現実逃避気味につらつらと考えていると、彼女はきっと表情を改めて、今度は綱吉に向き直った。
「それから、――――ツナさん!」
「は、はいっ!」
「お前が怯える必要は………ああ、あったな。このダメツナが」
焦って行動するからこうなるんだ、とリボーンが会話に口を挟んでくる。それはフォローのつもりだろうか。
心なしか表情にも言葉にも覇気がなく、ただ単に、自分に矛先が向かないようにしているだけにも思えた。
私は私で話が別の方向へ移行したことに安堵しつつも、動けるような空気ではないのでひとり虚しく正座を続ける。
「ハル。本当にごめん、俺のミスが原因でこんなことになって………いくら謝っても足りないと思ってる」
「ですから人違いです。正真正銘、冗談抜きで」
「え」
「ちょっと君達、まだそんな馬鹿げた話を続ける気?」
「まだ信じてないとか、それこそあり得な―――」
「さんは黙っててください、あと恭弥さんも。話が全然進みませんから」
すみませんでした、と小さく呟く私と、無言で目を逸らす恭弥。どこかで骸が爆笑しているような気がした。
ハルは滔々と、綺麗な声で今回の事件―――事故かどうかはまだ分かっていない―――について、語り出した。
気が付いたらそこの倉庫に居たこと。前後の記憶がないこと。そして……、何故、逃げたのか。
「ツナさん。誘拐されたという“私達”の職業は何ですか」
「……アメリカの……大学に在籍してるから、学生だと思うよ」
「でも私達は既に社会人なんです。就職してからもう何年も経っていて―――少なくとも学生じゃありません」
「それは――――でも、」
真っ当な、などという形容詞は口が裂けても言えないだろうが、確かに私達は社会人だった。
ハルは高校卒業と同時に。私は、いつ、という訳ではないけれど情報屋『Xi』を名乗りだしてから。
集めた情報が間違っている可能性があるとはいっても、流石に学生かそうでないかぐらいは間違いようがない。
「えっと、ちなみに事務職です」
うん、どこが?確かにデスクワークがメインだけどね、明らかにいろんな所走り回った挙句死に掛けてるよ、実際。
その一部は私の所為だったりもするが―――殆どはボンゴレが呼び寄せた事件ばかりである。本当に大変だった。
(嘘じゃあない。嘘、ではない、けど)
綱吉はやはり超直感の力のためか戸惑った表情を隠そうとはせず、それでもハルから視線を逸らすことはない。
マフィアがどうとかいう話をしなければ受け入れることは容易いはずだ。多少の違和感は残るかもしれなくても。
何の邪魔も入らない静かな時間。恭弥は大人しく口を噤み、喋っているのは既にハルと綱吉だけになっていた。
屋敷の前で屯している私達、といっても、喧嘩を買った私と違ってハルと彼らの間には多少の距離がある。
(…………何?)
初めに気付いたのは恐らく骸だった。もっともそれを目的として待機していたのだから当然のことだが。
ハルの後方で弾けた光―――。そして、何かを殴りつけるような音。それでも目に何も映らないのは幻覚ではなく。
(これは………光学迷彩?)
私はろくに話を聞いていなかったので骸を除く周囲の誰よりも早く動けた。立ち上がったそのままに走り、ハルを追い越して―――。
骸の攻撃でか空気の層が揺らいだそこに、思い切り右足を叩き込む。がつりと嫌な音がしてひとりの男が現れた。
苦悶の声をあげてのたうつその男を今度はどこからか飛んできた槍が地面に縫い止め、一瞬だけ静寂が戻る。
………やばいな。ざわりと広がる気配と、何かしら幻術的なものをやらかそうしている予感に、私は瞬時に判断を下した。
「じゃあ、そういうことなので。後は任せました。……ハル!」
「え、あ、はいっ!」
これだけ幹部がそろっているのだ。武器を使わない私が残って手助けするだけ無駄というものである。
―――そして私達が居たからこそ、この場で始末せず出来るだけ気絶させようと動いた彼のために。
案の定襲撃を掛けてきたマフィア連中を皆に丸投げして、さっさと倉庫に向かうことにした。