今日私はまたひとつ、何かを学んだ気がする。

 

(誰かに乗せられたような気も、する)

 

 

 

斯くして 嘘吐きな恋人達は

 

 

 

私達は、幼い頃に別れた。・・・・再会は遅かった。

 

お互いをそういう対象として意識するのにも時間が掛かり、はっきりと想いを自覚するまでは途轍もなく長かった。

そして自覚した後でさえ、再び失うことを畏れて正面から向き合うことを避け続けた。

 

先に吹っ切れた恭弥が、覚悟を決めて。逃げ道を全部塞がれたことに気付いても尚、足掻き続けたのは私。

 

 

『往生際、・・・・悪すぎ』

 

 

信じられないよ、と苦笑されたのを覚えている。

 

 

それから正式に付き合うようになってからも、初めの内はそうでなかった頃と同じ様な生活を続けていて。

少しずつ――多分私の為なのだろう――本当に少しずつ、お互い歩み寄っていった。

 

余りにも臆病だった。いつでも受身な自分を自覚していた。このままではいけないと思いつつも。

 

 

 

 

 

 

「・・・なに?」

「いいから、ちょっと」

 

 

 

私はソファから立ち上がり、少し離れたところで資料を整理している恭弥を呼んだ。

一瞬訝しげな顔をされたが気にせず手招きする。こういうのは最初が肝心、引いたほうが負けなのだ。

 

 

(強引にでもこっちのペースに引き込まなきゃいけないし)

 

 

資料の整理という仕事を中断させてまでやる価値があるかどうかは分からない。

しかし無為に時間が過ぎていくのを、何もせず待つのは苦痛でしかなく。先制攻撃とばかりに仕掛けたかった。

 

 

昨日の飲み会で、ビアンキに言われたことがある。

“貴女は彼の気持ちを量ってから行動するきらいがあるわね”―――と。

 

はっきり言って驚いた。まさか、とその場で即座に否定したけれども全然取り合ってはくれなくて。

恭弥と付き合うようになってからはずっとそんな感じがするという。そういう風に思われているとは知らなかった。

 

 

傍にいたハルに視線を向けて問うてみたが、彼女は首を傾げるばかりでそれが本当かどうかは怪しい。

 

 

 

「あ、恭弥。そこで止まって」

「・・・・・・・。だから一体何の」

 

 

 

――――――ただ。

 

 

 

「よ、・・・・っ?!」

 

 

 

恭弥の黒いネクタイの結び目を掴んで、力任せに引き寄せる。

 

不意を突かれてバランスを崩し、目を見開く彼に、そのまま―――――口付けた。

強引に。乱暴に。自分勝手に。相手の事など考えもせず。

 

暫く待ったが抵抗はなかった。口付けた瞬間こそ力が入ったものの、今は私の好きなようにさせている。

私は目を開いたままでその変化を観察していた。恭弥の瞳に宿るのは、驚きと、困惑と、・・・何事かと問う色。

 

それはそうだろうと思う。今まで私は、こんな行動に出たことは無い。

 

 

いつも、恭弥がすることを受け入れていただけ。与えてくれるのを、待っていただけ。

 

 

(へぇ・・・。余裕、あるんだ・・・)

 

 

私は視線を外さずに一度、ゆっくりと身体を離した。ネクタイをしっかりと握り締めたまま。

やっぱり、女で落とすのは無理そうだった。こちらがむきになればなるほど惨めになりかねないタイプ。

 

 

・・・・・とはいえ一応恋人という地位を得ている私に対してもそういう態度ですか。そうですか。

 

 

 

「恭弥って、釣った魚に餌はやらない主義?」

「は?」

 

「――なんて、ね」

 

 

 

言葉の使い方自体は間違っていなかったと思う。彼の意識を一瞬でも逸らせるなら何でも良かった。

私は右足を相手の膝横に力一杯叩き込み、その反動を利用し全体重を掛けて、恭弥をソファに押し倒した。

 

勿論、普段とは立場が完全に逆。私は痛みに顔を顰める幼馴染兼恋人を努めて無表情で見下ろす。

 

 

 

「つッ・・・、ちょっと、いい加減に、」

「してみたかったから。駄目だった?」

 

「・・・・・・・・・。・・・?」

 

 

 

ビアンキが指摘したこと。それは、もしかしたら当たっているのかもしれなかった。

だって今、こんなにも怖い。私の声が、この腕が、震えていないかどうか気になって仕方がない。

 

私は試している。恭弥がどう出るかを。どこまで許すのかを。私は試している。それなのに。

 

 

 

―――――彼の拒絶が、怖い。

 

 

 

そう自覚した途端、私は動けなくなった。今までされていたことをそのまま返してやろうと思っていたのに。

恭弥がそれで動揺したり、怒ったりすれば・・・・冗談だと言って終わらせるつもりで。

 

 

そんな私の途方に暮れたような気配を感じたのだろうか。組み敷かれたままの彼が戯けた口調でこう言った。

 

 

 

「もしかして、・・・・それで誘ってるつもり?」

「・・・・・・・だったら?」

 

 

「下手くそ」

 

 

 

・・・・ちょっと待て。

 

 

 

「ん、な・・・っ!い、言うに事欠いて下手とか」

「そもそも色気が足りない」

「色気言うな!」

 

 

 

己の状態を物ともせず揶揄うような笑みを浮かべていることも、私の怒りを煽りに煽る。

とにかくこの失礼すぎる男を一発でも殴ろうと、私は恭弥の関節を押さえていた手を放した。

 

 

―――――のが、非常にマズかった。というか最初からそれが狙いだったのだろう。

 

 

…………ま、僕には関係ないけどね

 

(・・・・え?)

 

 

 

気が付いたときには、もう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌味なほど澄んだ空。鳥の声。コーヒーの香り漂う、普段通りの爽やかなイタリアの朝。

ただし、私の気分は最悪だった。おまけに超寝不足な上全身がだるい。

 

正面に座って新聞を読む元凶の恋人を睨み付けるが、どこ吹く風。涼しげな顔が最高に憎たらしい。

 

 

(藪蛇だった・・・・ホント、藪蛇)

 

 

辛うじて任務失敗の主な理由は誤魔化せたが、他に色々聞き出されたような記憶が微かにある。

恋人になった恭弥との距離感が上手く掴めていなかった事とか。深く踏み込むことを畏れていた事とか。

 

 

『何言ってるのさ?』

『今まで散々踏み込んできた癖に。―――今更』

 

 

(あの頃と今とは違うって、思い込んでいたのかもしれない)

 

 

ああもう、それにしても休みでもないのに無茶苦茶しやがって。自己中なのは本当に変わらない。

喧嘩を売る気力さえも、体力と共にごっそり根こそぎ持っていかれた私は。

 

 

ブラック派の恭弥のコーヒーに、砂糖をたっぷり入れておいてあげた。・・・・・よく味わえ。

 

 

 

←Back  Next→