もしかしたら私は、待っていたのかもしれなかった。
許す―――という、その、言葉を。
斯くして 嘘吐きな恋人達は
最早部屋に居る全ての人間がハルの一挙一動を注視していた。反応することすら出来ずに。
間抜けな顔がいくつも並ぶ。かくいう私も、同じような顔を晒していたのだろう。
「・・・・ハ、ル?」
「さん。―――私は誰ですか」
私は思わず目を瞬かせて上司を見詰める。問われているのは言葉通りの意味ではないと直ぐに分かった。
分かったけれども、彼女が何を言わんとしているか、その真意は読めなかった。
「ボンゴレ情報部、主任。・・・でしょう?」
「そうです主任です。情報部のトップです!」
「いや、知ってるってば」
真剣な顔で頷くハルを見ながら、これからどう動けばいいのかさっぱり分からなくて私は煩悶する。
私達は所詮ボスの命令を受けて此処に来たのだ。一度失敗している私達に与えられた、チャンス。
それをこんな事で軽々しく手放すのは嫌だった。他人の評価を気にしているわけではないけれども。
(・・・というか、それ以前の問題なのよね)
そもそも私は、ボスに報告するのが嫌だった。ひいては、恭弥に知られるのが嫌だった。
何故なら彼らは怒るから。怒ってしまうから。私達の為に、己の立場を省みず、怒ってくれるから。
部下思いと言えば聞こえはいいが、単に他人に甘いだけのような気がするボスのこと。
そして周囲の目を全く意に介さない恭弥もまた、こういう事態になってしまっては止めるのは難しい。
もし前回の本当の事情を説明したら―――今回の事件を話してしまったら。きっと取引自体・・・・
「取引は中止にしましょう。これ以上の話し合いは無意味です」
まるで私の思考を読んだかのように、素晴らしく嫌なタイミングでハルはそう宣言した。
言葉も口調も断定的で、誰も口を挟めない。女だと侮っていただろう相手側ですら黙りこくっている。
・・・・・いや待て、彼女は今何と言った?話し合いは・・・無意味・・・取引は―――・・・・っ、?!
「ってだから!それじゃボンゴレに」
「損害が出なければいいんですよね?だったら簡単じゃないですか」
「え、・・・と・・・」
畳み込まれて私は更に混乱した。薬の所為なのだろうか、頭が上手く働かない気がする。
『実は押しに弱い人間』というレッテルを貼られてしまってから久しいが・・・ハルのこの自信はどうしたことだろう。
取引を中止にし、且つボンゴレに損害が出ない方法を考え付いたとでも言うのだろうか。
・・・ああ違う、それはないな。商談自体がなくなってしまった時点でもう――――
「商談相手を変えましょう。同じ契約内容で、応じてくれる相手に」
「・・・・・・・はい?」
「あっ勿論簡単じゃありませんよ?条件に合う相手をまず探さなくちゃいけないですし。出来れば隼人さん達が
来る前に大まかなことを決めたいんですけど・・・」
意表を突かれた、というのは正しくない。私だって、出来るならこんな相手と取引したくはなかった。
だがボンゴレにとって都合の良い相手だからこそ商談が持ち上がった筈である。代わりなどがあるだろうか。
そんな事が出来るなら、代わりがあるなら、紅茶に混ぜ物をされた時点で暴れることだって。
手持ちのカードを考慮すれば、まるで夢物語のような話を淡々と告げる上司に少し腹が立った。
八つ当たりだったと思う。私は不機嫌さを隠そうともせず、ハルに胡乱気な目を向けた。
「職権っていうのは、こういう時に濫用するべきですよね!」
―――それを迎え撃ったハルの笑顔の、何と極上なことか。
『Xi』の情報が必要なのだと、ハルは言った。
我々ボンゴレ側がこの失礼な連中を商談相手に選んだ理由は幾つかあるが、重要なのはひとつ。
条件を満たしているファミリーのうち、“要求が通りやすく後々利用しやすい”というその一点のみだ。
今回の案件では、損害を出さない為こちら側の要求をほぼ100%通す必要があったからである。
(条件を満たすファミリーは、他にもあった)
「だからそこで、私の出番です!主任ですから無駄に人脈広いのはさんもご存知でしょう?」
「つまりその立場を使って、ゴネる訳ね・・・」
「使ってない情報とか腐るほどありますし、任せてください!」
情報部だから、その条件を満たしているファミリーの情報は直ぐに手に入る。
それから連絡をつけるのが、ハルの役目。相手をまず商談のテーブルにつかせる為に交渉する、というのだ。
多分、機密情報を盾に脅して宥め賺して丸め込むのだろうという推測は立つ。
「・・・・・と、いうことは。『Xi』の情報は餌ってこと?」
「はい。急な取引ですし、こちら側の言い分を通して貰わなきゃ駄目ですしね。その位は必要だと思います」
私達は、本来の商談相手をテーブルに放置してこの部屋唯一の扉近くで話していた。
取引を続行するにしろ中止にするにしろ、まず今逃げられては困るからだ。ファミリーに連絡されても困る。
さて、商談を成功させようと足掻いていた私は・・・・すっかり中止する方に、心が傾いていた。
ハルに押されて流されているだけだと言われても、反論は出来ないが。
「あとはそれが本当に成功するかどうか、だけど」
「成功させます。―――ボンゴレ情報部の、威信にかけても」
ボス達の手を借りることなく、ボンゴレの利益を減らさないでいられるなら、それで良かった。
こういう状況では、差し伸べられる手を疎ましく感じてしまうものである。守られたくなど、ない。
(私は私のプライドを、私自身の手で守る。それが、私の生き方だから)
「・・・・・・・そう、ね」
決意に満ちているハルの顔を見て私は、漸く、白旗を揚げた。降参だった。
両手を挙げて軽く頭を下げると、溢れんばかりの満足気な笑顔が私に止めを刺す。
・・・・勝ち目など多分、最初から無かったのだろう。いっそ清々しい気分で、私も薄く笑った。
「さあ忙しくなりますよ!何しろ隼人さん達が迎えに来るまであと約一時間です」
「一時間・・・流石にきついかも。情報部に応援を要請してもそれは―――」
「『商談が纏まらない』って事で待たせたら良いんじゃないですか?」
「・・・・・。天下のボンゴレ幹部を、店の外で?」
「はいっ!」
この料理店、内装は豪華だがやはり限られた人間しか利用できない為、あまり大きくはない。
中に二人を入れてしまえば、雰囲気から何からで嗅ぎ付けられてしまう可能性が大である。
「ま、しっかりした造りだし。防音性はありそうよね」
「あの人達が中に居れば、無理矢理入ってくることもないと思います」
「後は店の人間を何とかすれば・・・」
連中に取引相手としての価値がなくなれば、何をしようと損害が出る事はない。
その責任は私が負える程度のもの。――――ボンゴレに報告する時は、全てが終わってからだ。