私みたいな弱い人間にとって。
弱点となり得るそれは、ずっと隠さなければならないものだった。
灰色の夢
「そういうわけですから!さんにセクハラしたら、雲雀さん呼びますからねっ」
「・・・・・・あいつの幼馴染ならよ。最初にそう言っといてくれ」
「はひ?も、もしかしてもう怒られたんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
後ろの方でそんな会話が交わされていたことも知らず、私は初めて見る機械の上に立っていた。
あれからぐちぐち不満を言いつつも、漸く重い腰を上げて動き出したシャマルに連れられ別の部屋に行くと
そこは他の汚い部屋とは比べ物にならない綺麗で、何かの機器類だけがひっそりと存在していた。
しかもその訳のわからない機械を私に使えと言う。
検査だというから、適当に一箇所ずつ目で診ていくものだと勝手に思い込んでいたのだが・・・・・
害はない、というシャマルの言葉に嘘は感じられなかったので、不審に思いながらも黙って従った。
何でもそれはマフィア界が誇る、最新型の医療機器だとか何とか。
情報屋とはいえやはり得意な分野と不得意な分野がどうしてもあり、医療系はそのひとつ。
しかも・・・・最新機器となれば、知らないのも無理はない。
ファミリーに入ってからまだ日の浅い私には、特級クラスの最重要機密はあまり手に入れることが出来なかった。
カルロ達に仕事を押し付けて色々調べていた時でさえSランクまでが限界だったのだ。
勿論いつかは全て手に入れてやろうと画策しているが―――今の地位では中々難しいのが現状である。
さて、この機械。
まず全身をスキャンして様々なデータを採取し、一般的に健康とされる数値と比較するらしい。
そしてその差が規定されている誤差より大きければ、再検査へ―――という流れになるのだという。
・・・・まあ簡単に言えば、一瞬で全身の細かな異常が分かるという優れもの、らしいのだが・・・・
(これ、一体どこまで正確なのかしら)
光が足先から腰周り、そして首を通り過ぎて目まで来たところで私は息を詰めた。
私の右目は、もう何かを映すことはない。
十年前のあの日から、ずっと、何ひとつとして見えはしなかった。
―――――しかし、“目に異常はない”という。
それはかつて私を診察した、地下のグレーゾーンに潜む医者からも豪語されている。
何も映さず使い物にならないこの右目は、周囲の明暗にはきちんと反応し、虹彩もその働きを失っていない。
普通目が見えない人間のそれは衰え、濁り、その光を失う筈であるにもかかわらず、だ。
(そう、だから、異常があるのは―――)
「背中・・・は火傷だな。足の捻挫、・・・・他は擦り傷程度の損傷・・・・」
データ化された身体の数値と健康な状態の数値を比較しながら、シャマルがひとつひとつ確認していく。
その声にはっと現実に引き戻された私は、心配そうにこちらを見やるハルに気付いて、軽く手を振っておいた。
―――分からなければいい、と思う。右目のことは。
その欠陥を知るのは、今の所私だけだ。誰かに言うつもりはない。たとえそれが・・・恭弥であっても。
・・・・それに私の首に掛かっている賞金を狙う人間達にバレでもしたら、それはそれで厄介な事になる。
(なら左も狙え、ってことになりかねないしね。両目見えなくなったら流石に不味いって)
不毛にも、実際起こったら洒落にもならないことを想像して私はこっそり落ち込んだ。
「おい、アンタ――『Xi』、でいいのか?」
そんな私に声が掛かる。見ると、確認を終えたらしいシャマルが“来い来い”と手招きしていた。
その顔色から窺うに、そう悪い結果ではなかったようである。私は幾分安心して近づいた。
「、で結構です。それは仕事用の名前ですから」
「そうかい。・・・あー、一応爆発物には何の化学物質も含まれてなかったらしい。良かったな」
「では後遺症はないと?」
「安心しろ、耳にも異常はない。・・・・ただ、ひとつだけ言わせてもらうが―――」
(・・・・・・・・・え。)
彼はそっと目を細めて開いたパソコンを手で示した。並ぶ数値の意味は、私には分からない。
まさか、と嫌な汗が浮かぶ。あの事を言われるのでは・・・?
私の頭の中で瞬時に『こいつをどう誤魔化すか』という計画が持ち上がり、その詳細を決めるべく脳が動き出す。
マフィアらしく取引か、さもなくば根性入れて色仕掛けでも何でも―――!
恭弥に聞かれたら一笑に付されること間違いないお馬鹿な計画を、これ以上もなく真剣に考えていた、その時だった。
「お前さん、酒控えた方がいいぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
ものの見事に肩透かしを食らった。出来ることなら突っ込みたかった。
呆然と立ち尽くすしかない私に気付くことなく、シャマルは説得するような口調で続ける。
「結構若い頃からずっと飲んでるだろ。このペースで行くと40の頃には肝臓やられるな」
「・・・・か、肝臓、ですか?」
「アンタは元々酒を沢山飲める体質じゃないっつーことだ。わかるか?だから後々ツケが回ってくるんだよ」
そん時後悔しても遅いぜ?・・・と、そう言って彼は大袈裟に溜息を吐いてみせた。
酒?・・・肝臓、が悪いって?それじゃあ・・・目のことは、全然バレていないということだろうか。
思考だけが先走っていたので自我を取り戻すのには少々の時間を要したが・・・・どうも、懸案事項は回避されたらしい。
(ああもう・・・・全く・・・・・・人騒がせな・・・)
勝手に勘違いして勝手に盛り上がって勝手に安心してそもそもの原因を相手に押し付け勝手に納得しておく。
冷静さが戻ってくると、ふと微妙な気持ちになったので八つ当たり気味に言葉を紡いだ。
「いや、どう見ても酒飲みの人間に言われたくないです・・・・・」
「ぐっ・・・、し、失礼な。俺はお前さんの為を思って」
「ええ。ですからご忠告だけは心に留めておきます。お気遣い、どうも有難うございました」
そうやって再検査が終わった後、私は背中の火傷の扱いについて詳しい説明を受けた。
一日一回は包帯を換えること、衛生面に気をつけること、湯船には決して浸からないこと等々・・・・
「それでは、本当にお世話になりました」
「夜分にお邪魔してすみませんでした。おやすみなさい!」
定期的に検診を受けるということも約束し、最後にもう一度お礼を言って、私はハルと診療所を後にした。
―――だから、知る由も無かった。
「・・・・・これは一体・・・・いや、まさかな・・・」
診療所にひとり残ったシャマルが、私のデータを見て何事かを呟いたことも。
データを保存する際、普段使っている患者用のとは違う、特別なフォルダに移して鍵を掛けていたことも。
珍しく真剣な『医者』の顔で―――何かを調べ始めた事も。
ハルの家に向かって車を走らせている私には、全く、知る由も無かった。