人が、死ぬ。
人が、殺される。
あの時の私は、何を思っただろう。
灰色の夢
私が―――人生の中で初めて人が死ぬのを見たのは、年少の頃だった。
病院の一室で、母方の祖父が静かに息を引き取るのを、家族一緒に見守っていた。
母親が里帰りする度に暖かく迎えてくれた『おじいちゃん』。両親の次に、大好きだった人。
・・・・・周りからもう会えないのだと言われて、酷く悲しかったのを覚えている。
私が―――人生の中で初めて人が殺されるのを見たのは、家族諸共誘拐されたその数日後だった。
他にも誘拐されたのだろう沢山の人達と一緒くたに押し込まれた船の中。啜り泣く声や怒声が響いていた。
家族三人で抱き合うようにしてただじっと震えていた私達は、一度どこかの国で降ろされた。
多分東南アジアの何処かだったのだろう、人身売買の巣窟とでも言えるかもしれない。
その場所で・・・・ひとり。急な事態に錯乱してしまったのか、脇目も振らず逃げ出した男性が居て。
乾いた音が響いた、と思った次の瞬間には―――既にその人は血を流して地に倒れ伏していた。
背後から心臓を撃ち抜かれて。・・・・・あっけない程簡単に、殺されてしまった。
それは見せしめ。逃げるような素振りを見せたら、即殺すという彼ら誘拐犯からのメッセージ。
もう戻れないのかもしれない、と。
―――その時になって漸く、私は、自分の置かれた立場を理解したのだ―――
ハルの家は小さな庭付きの一軒家である。パーティーに出掛けた時と何ら変わらない外観。
近くの駐車場に車を止め、私達はひっそりとその扉を潜る。
「どうぞ、さん。上がってください」
「・・・・お邪魔します」
意外にも、家の中も土足だった。日本で生まれ育ったからイタリアでも土足厳禁にする、という人間は多いのに。
そっと聞けば『もし襲撃とかされた時に、逃げ易いじゃないですか?』と、そう言って彼女は首を傾げた。
確かにそうだと思う。全く以て異論はない。
でも情報部情報処理部門という安全な場所に居る筈の彼女が、どうしてそんな事まで考えるのだろう?
考える必要があるというのか。考えざるを得ないような状況に、置かれたことがあるのだろうか。
私を居間に案内して椅子に座らせ、お茶を淹れるべく忙しそうに動き回るハルの後姿をそっと見詰めた。
茶器が時折ぶつかって音を立てる以外、その部屋は静寂に包まれていた。
先程のやりとり以降、二人の間に会話はない。どちらも口を開くことさえ億劫に感じていたからだ。
そして、何も―――語るべきことなど、ないような気がしていた。
時間が経つにつれ頭がどんどん鈍くなっていく。思考するということを身体の方が拒否してしまう。
明日からの行動について少しでも話し合っていたほうが良いとは思っている。けれど・・・・・
私が椅子に座ってから、優に十五分以上が経った、その時。
コト、と小さな音を立てて、目の前に茶器が乗ったトレイが置かれた。私とハルの、二人分の紅茶。
私は沈黙を保ったまま、目を合わすこともなくそれを受け取る。正面の椅子にハルが座る気配がした。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
不味い紅茶だった。
いや、本当は味など最初から分かっていなかったのかもしれない。
ボンゴレ情報部に入って、ほぼ毎日彼女の淹れる紅茶を飲むようになってから、もう数ヶ月。
こんな味は初めてだった。どんなに落ち込んだ日でもここまで酷くはならなかった。
普段なら到底飲めたものではない代物だったが、不思議なことに、淹れなおして欲しいとは全然思わなかった。
一方ハルは一口飲んで、直ぐに少し顔を顰めて。
淹れなおそうとでも思ったのだろうか。軽く腰を浮かしたものの、迷うような素振りを見せ、また座った。
紅茶が駄目なんじゃない。淹れ方がまずかったわけでもない。
何より私達自身の―――その精神状態が、この酷い味を作り出しているのだと。嫌というほど理解していたから。
「・・・・・・もう、一緒にお茶・・・飲めないんですよね」
ぽつり、と。独り言のように呟かれた言葉。
それはボスの傍では決して口に出せなかったもの。仲間の傍ではどうしても言えなかったもの。
ボンゴレ本部の屋上に一人立った時から・・・・ずっと、ずっと張り詰めていた糸が、切れる瞬間だった。
「もう、一緒にお出掛けすることも・・・・出来ないんですよね」
「仕事押し付けて、その間にハッキングすることも出来ないわね」
「・・・・・・・。さん、あの時そんな事してたんですか・・・・」
「今思えば、しなきゃ良かったのかも」
「・・・・・・・・・・・・?」
あの頃私は、身を守るための鎧を強化しようとして、色々な情報をかき集めた。
その中には人事系のデータも勿論あった。カルロ・ジュリオ・アレッシアの三名が元スパイである、という情報も。
彼らがそうだったと―――そういう能力を持っていたと知らなければ。
「いや、何でもない。過去の仮定の話に意味はないもの」
「・・・・・・・そう、ですね。今のハル達に、意味はないです」
私達は漸く顔を見合わせ、香りだけは良い紅茶を二人して飲む。やっぱり酷い味だった。
不味いですね、と彼女が笑う。不味いわね、と私も笑った。
様々な感情が混ざり合って複雑な様相を呈しているその笑顔を見て、ふと、脳裏に蘇る光景があった。
あの日、余りにもあっけなく人が殺されるのを目にして、私は一体何を思っていただろう?
やっぱり淹れなおして来ますね、と席を立ちかけたハルを片手で制する。
そのまま私はまだ半分くらい紅茶が残っているカップをひとまず置いて、体ごと正面に向き直った。
「今回の―――事件。これがマフィアの世界だ、って断言するつもりはないの」
「、さん・・・」
「幾ら裏社会だからってそう頻繁にこんな事件が起こってる訳じゃない。今回のも特別に酷いとは思う」
ボンゴレ・ファミリーという規模になると、おいそれと手を出すマフィアは少ない。
易々と手を出せばどういう結末が待っているのか考えなくとも分かるからだ。反抗するより媚びた方が得である。
それでも尚手を出す人間―――それは、己の力に絶対の自信を持っている者達だ。だから手の出し方が半端じゃない。
小競り合いで済むなら御の字。向こうがそこそこの実力であるなら、こちらも犠牲を覚悟しなければならないほど。
「ただ―――『こちら側』では、『こういう事件』が『いつ如何なる時にも起こり得る』ってこと」
「・・・・はい。分かって・・・・た、つもり、だったんですけど」
「ならこれから分かればいい。ハル。・・・・もう次はないから」
今のままなら、次は助からないと思え―――そんな意味の言葉をぶつける。
ハルは、無意識にだろう、銃の存在を確かめるように胸元を押さえた。今の彼女はそれを持ってはいないけれど。
(それを理解出来るのなら、まだ、救いはある)
その覚悟を前提として―――――
「さあ。作戦会議と、いきましょうか」