敵の正体を掴むことは重要だけれど。

 

力を蓄えることも、また重要。

 

 

灰色の夢

 

 

 

不味い紅茶を口に含んでその苦さに顔を顰めつつ、私達は真剣に向かい合う。今しか時間はないのだ。

これからはボス達の目も気にしなければならず、そうそう一緒に動くことは出来ない。

 

――――先程と同様、役割を分担する必要があった。

 

 

 

「取り敢えず、ハッカーの方は私が引き受けるわ。自由に動ける時間は私の方が多いしね」

 

 

 

私は『Xi』の仕事で行ったので偽名でパーティー名簿に載った。だから表向きは無関係でいられる。

その分、ハルは周囲への対応に追われるだろう。上にも事情を説明、釈明し、己の立場をはっきりさせる為にも。

 

満身創痍のハッカーに『明日、行くから』と脅しをかけてきた以上、私ひとりででも行かなければならない。

 

 

 

「そう、ですね。それにハルだけじゃそこに辿り着けるかどうかも怪しいです」

「何言ってるの。いずれ覚えて貰うわよ?あの道全部」

「・・・・・・・えっ?ぜ、全部、ですか?」

「当然。」

 

 

 

地下道だけじゃない。ここ一帯に広がる“裏道”を、私はハルに教えるつもりでいた。

 

かつての私やハルのような、比較的『戦えない』人間にとって――――最も効果的な戦法は、逃げること。

私達にとっては、戦って勝つことよりも――――生き残ることこそに価値がある。

 

何かの襲撃に遭ったとき、どうしても勝てない相手に目を付けられてしまったとき、その他どんな状況でも。

それらの“道”さえ頭にあれば、生きていられる確率がぐんと上がるのだ。

 

 

そう、だからハルにだって、身を護るための術は幾らでもある。これからでも全然遅くはない。

 

 

 

「自分の身は自分で護ること。いい?それこそ・・・・死に物狂いで」

「・・・・っ、はい。・・・・頑張ります!」

「あ、とはいえ地図とかないから身体で覚えてね?」

「はひー!?」

 

 

 

 

 

 

 

それから一時間と少しが過ぎて、ポット一杯の不味い紅茶を漸く飲み干せた頃。

 

何かあったらどんな小さな事でも直ぐに報告しあうこと、その際は別の携帯を用意すること。

深入りしないこと、命の危険を感じた際はボスでも良いから一番近い人間を呼びつけること等。

 

その他こまごまとした事が決まり、今後の方針は取り敢えず、ではあるが何とかきちんと形にはなった。

 

 

(今日の所は、これでよし、と)

 

 

後は―――とにかく動いてみないと始まらない。

 

 

一段落着いたことに安心して。ふと時計を見ると、もう日が昇るまで数時間もなかった。

私は徹夜に慣れているから構わないが、ハルは少しでいいから仮眠を取って身体を休めた方がいいだろう。

 

そう思って彼女の方に顔を戻すと、わかっているというように首を横に振られた。

時計を見た時点で言われる事が予想できたのだろう、声には出さずともその目が物語っている。

 

 

“しっかり動く為にも休むべきなのは充分わかっているけど。でも眠れない、眠りたくない―――――”

 

 

 

「・・・・さん」

「まあ、私自身眠る気ないし。人の事は言えない、か」

 

 

 

休むべきなのは怪我人の私も同じこと。まして効きにくいとはいえ麻酔を打たれている状態である。

それでもこの状況で眠気など襲ってくるはずもなく。このまま、まんじりともせず朝が来るのを待つだけ。

 

・・・・再び部屋に沈黙が訪れた。

 

しかし最初の沈黙とは違って、その静寂が痛みを孕むことはない。

 

 

ただ、静かで。ただ、重い。呼吸する音すら耳について。脳裏に浮かぶのは、この夜に失ったものたち。

 

 

私達が生きる為に―――見捨ててきた、もの、たち。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・っ、!」

 

 

 

がたっと激しい音を立ててハルが椅子を蹴倒すようにして立ち上がる。

口元を手で押さえ、一瞬泣きそうに顔を歪めて―――そのまま奥の方へと無言で走っていった。

 

我慢する必要はないと、私は思う。箱庭の中で平和に暮らしてきた彼女にとって、今日の事件はきつ過ぎる。

追いかけようとは思わなかった。多分彼女のほうも、追いかけてきて欲しいとは思わないだろう。

 

 

苦しそうに咳き込む音と、時折流れる水の音を聞きながら・・・・私はそっと、目を伏せた。

 

 

 

(人が殺されるのを―――初めて見たあの日)

 

 

 

いつものように学校に行って、恭弥を揶揄って、授業を受けて、恭弥を揶揄って、・・・帰宅して。

毎日繰り返しのそんな日々にはもう戻れないのかもしれない、と思った。

 

それでも目の前の現実をちゃんと受け入れていたか、と。そう言われれば、どうも頷けない気がする。

 

ハルのこの反応はごく普通の、一般的なそれ。恭弥はどうか知らないが、誰であれ、普通なら一度は通る道だ。

 

 

 

(人が殺されるのを―――見て、吐き気を覚えるのは。)

 

 

 

私がその“現実”を受け入れるまでは、優に何年もの月日が費やされてしまった。

どうして彼女のように、素直に受け止められなかったのだろう。認められなかったのだろう。

 

思えばあの時から私は、既におかしくなっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

暫くして戻ってきたハルにコップ一杯の水を差し出して、それでも声は掛けなかった。

下手な慰めも励ましも意味を成さないと分かり切っているからだ。掛けるべき言葉も、ない。

 

向かい合ったまま、目を合わさず、しかし他の部屋に移動することもなく、二人でずっと其処に居た。

 

 

やがて空が白み始めて。朝日が窓の隙間から差し込んできて。

 

 

そこで漸く、私達は動き始める。

 

 

 

「・・・・・コーヒー、淹れますね」

「有難う。出来れば濃い目で宜しく」

「っ、了解です!」

 

 

 

香ばしい匂いが立ち込める中。ゆっくりとカーテンを引くと、部屋の中に光が溢れて。

 

――――――やっと、長い夜が、明けた。

 

私は眩しさに目を細め目元にそっと手を当てる。惨劇の後とは思えない位透き通った青空。いい天気だった。

 

 

目を覚ます為カフェインたっぷりのコーヒーを飲み、軽く朝食をご馳走になった後、顔を洗う。

化粧道具を借りて適当に身支度を整えると、ハルもまた“普段通り”の服装で立っていた。

 

 

 

さん。これから・・・宜しくお願いします」

「こちらこそ、ね。でも」

「スパルタなのは覚悟してますっ!」

「――――上等。」

 

 

 

玄関でそんな挨拶を交わして。拳と拳をぶつけ合って、笑う。

 

私は一度武器を補充する為に家に戻り、ハルはそのまま出勤するから・・・取り敢えずは、ここでお別れ。

 

 

さあ、全てはこれから。

 

 

 

「・・・・・・行ってきます」

「じゃあ私も、・・・・“行ってきます”」

 

 

 

応える声は、もう、ない。

 

 

 

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