ハルの地位が、その能力に対してあまりにも低いこと。
―――でもそれは、彼女と共に働いた人間にしか、分からない。
灰色の夢
「ではそろそろ、失礼します」
「ごめんね。準備が出来たらすぐ呼ぶから」
結局、あの気持ちの悪い空気は最後まで消えなかった。もちろん、お互いそれについて言及することも。
もっぱらその状態を作り出していたのは私の方だと理解していた。一方的な悪感情。
私がボスに対して不信感を抱いているのに対し、ボスの方は然程私に何かを思っている訳ではない。
多分彼の超直感と呼ばれる力が・・・・少しばかり不穏なものを知らせているだけなのだろう。
このまま話していてもその疑念を増幅させてしまうだけだと悟った私は、資料片手にさっさと奥へ引っ込んだ。
(・・・・・・なに?この部屋。変な場所・・・)
奥。そう言われて入ったは良いものの、その豪華な内装に一瞬怯む。
いやに馬鹿でかいベッドと―――綺麗なシャンデリア。窓際には小さくも立派なティーテーブル。シャワー室完備。
「ああなるほど、・・・・そういう部屋、ね」
ボスが休憩する時に使うもの。その用途は様々だ。愛人や、取引相手の差し出す“何か”―――
私に直接関係はないからどうでもいいが、ハルが何と思うだろう。いや、それこそ関係ない、か。
(お互いの気持ちがどうであれ、今は・・・・)
二人の立場が違いすぎる上に、そんな平和なことを考えている場合ではない。
逃げそうになる思考を何とか引き戻して、私は近くの椅子に座ってテーブルの上に資料を並べた。
手元には昨日送ってもらった取引相手についての書類と、情報部が証拠として挙げたもののコピーがある。
「家宅捜索で出たのは――ええと、取引に関することが書かれた手帳と・・・・」
当日忘れでもしたのか、彼らの家に一冊だけ残されていた。既に筆跡鑑定も済んでおり、本人のものと断定されている。
中には取引の日程や時間、開始の合図等取引相手にしか知り得ないことが書いてあり―――
「情報部有志が提出した映像と合わせて、犯人と推定される、か。・・・・・・映像?」
報告書を流し読みしていた私はある単語に引っ掛かかりを覚えて、ページを捲る手を止めた。
映像。そういえば、事件の次の日リボーンが報告しに来たときにそんなことを言っていたような記憶がある。
確か・・・情報部が別件で連中をマークしていた、とかなんとか。一体何のことだろう?
私は数多い資料を掻き分け、探し―――すぐに数枚の写真が添付されたそれを見つけた。
「・・・・・・・・・これは・・・」
『情報部南支部会計、収支捏造疑惑について』
―――以上の理由により―――上記五名は捜査対象として24時間の監視を義務付けるものである――――
薄い紙に、淡々と書かれた“罪状”。妙な動きがあれば逐一それを報告すること、と添えられている。
資料にはハッカーと共にあの部屋へと入っていく姿がコマ送りで写されていた。映像から一部を抽出したのか。
「横領の疑惑がかけられてた、ってこと・・・?」
だからこそ情報部の監視がついていて。だからこそ、ハッカーと接触する彼らの映像が残っていた、と。
これだけあれば手帳の証拠とあわせて、犯人だと断言するのは自然なこと。証拠が少ない今、疑う方が難しい。
極めつけは私の証言だ。実際あの部屋で、取引をしている真っ最中をぶち壊した私の信憑性はとても高いだろう。
『―――何より皆、ボンゴレを愛してました!!』
ハルの声が、頭にちらつく。
きっと彼女は信じない。ボンゴレの不利益になるようなことは絶対にしないと言い切ったのだから。
そしてあの情報処理部門第五班班長もまた、信じない。これ幸いと彼らについても探りを入れてみたから分かる。
『え、ああ・・・知ってます。南支部の人達ですよね?皆楽しい方ですけど、それが・・・?』
もちろん事件に関わることは伏せて、ただハルが懐かしがっているとだけ説明した。
返ってきた答えも予想通りというべきか。資料確認のときに彼女が零した評価にそう違いはなかった。
ともかく二人の言葉に共通しているのは、“彼らは親ボス派であり、顔に似合わず真面目であること”。
「南支部・・・か。私達より立場は上、なのに交流があった・・・」
だから横領などする筈もないし―――まして、個人的にボンゴレの機密を手に入れようとは思いもしない筈。
それが真実であるかどうか。・・・今は分からないが、確かめる価値はある。
南支部や交友関係を調べることで、何かしらの裏付けが取れるかもしれない―――――
私は、ハルが正しければいいと思った。最も贔屓するつもりはないし、してはいけないと理解しているけれど。
(なんだか、やり過ぎな気がするのよね・・・。作為的というか)
全ての資料に目を通しながら、ふとそんなことを考えてしまう。そうであって欲しいだけかもしれない。
ただハルだけでなく第五班班長もとなると・・・・やはり無視してはいけないことのように感じる。
家から見つかった一冊の手帳、情報部に残された映像、その理由としての収支捏造疑惑。
まるで蜘蛛の糸のように張り巡らされたそれ。言い逃れの出来なさに、私は逆に奇妙な違和感を覚えた。
「・・・・大丈夫。こんなところで間違ったり、しない・・・」
私情に流されることだけは、避けなければならない。
それから優に一時間は経っただろうか。
暫くは扉の向こうで業者らしき何人もの気配がして、何やら作業をしている音が聞こえていた。
やがて静かになって―――私は持っていた紙の束をばさりと机の上に投げる。
「よし、これで全部完了!」
Dr.シャマルが二日酔いで遅れたおかげで、朝一番にしかもゆっくりと邪魔されず資料を眺められた。
しかしこれらは全て『連中が犯人であること』を証明するだけのものであり、特に進展はない。
敢えて言うなら、南支部周辺に聞き込みするという目標が出来たことか。
とはいえ大っぴらに動けない上、・・・・ハルにばかり任せるわけにもいかない。ただ私が確認したいだけだから。
「白黒はっきりつけたらまた、組み立てなおさなきゃね」
結果によっては途中からがらりと変える必要があるかもしれない。多分今も、色々間違っているのだろう。
ボスたちには絶対負けるものか、と気合を入れなおしたまさにその時だった。
遠慮がちな、柔らかなノックと共に少し硬い声が降って来る。・・・・ボスだ。
「さん、今Dr.シャマルが到着したから、出てきてくれるかな」
「―――ええ。すぐ行きます」
彼のハルに対する態度。本当は、分からなくもなかった。それが彼女自身を守っていたのも事実。
いくら能力があろうと、ここはマフィアの世界。常にどこかで血が流されているような、危険な世界。
己の身に本当の危機が迫ったときでさえ銃を握れない彼女に、生き抜くことが出来るだろうか。
少しでも上に行くというのはそういうことだ。東洋人であることも、目立つ理由のひとつだから。
(でも、だったら鍛えれば良かったじゃないですか。それは出来たはずですよ、ボス?)
ハルの元上司の言葉に苛立って先刻は八つ当たりをしてしまったけれど、今の彼にぶつけても意味がない。
ボスでさえ手が出せないところまで押し上げて―――その時になってから慌てればいい。喚いたっていい。
(そうして、自分の甘さを嘆けばいいんだわ)
さあ、ここからが本番だ。こちらから情報を出さずに、どれだけ向こうから引き出せるのか。
――――戦いはまだ、始まったばかり。