やはり、言葉では駄目だ。
変えようと思うなら―――行動で示さなければ。
灰色の夢
随分と勝手なことを言うんですね、と口に出して反論することは出来なかった。
仲間になった、とはいえ私は新参者である。恭弥の幼馴染という立場さえ今は何の役にも立たない。
困惑にも似た非難の視線は、幾分冷たさを増して私を貫いた。・・・息が詰まるほど、強く。
「お前、自分のことは棚上げか?」
そんな硬い空気を割って呆れたような声が降る。リボーンだった。
フォローのつもりなのか、大仰な動作をつけ、ボスと私との間にさりげなく身体を滑り込ませて。
「ち、違うって。これからのことだよ、これからの!」
「ふん。これから、ねぇ?」
「今回は確かに俺が悪いけどさ。手帳だけで済んで良かったし。・・・でも次は何があるか分からない」
(だからまずそっちが気をつければいい話だと思うんですけどね?私を脅しつける、その前に)
ぶっちゃけ八つ当たりされているように思うのは気の所為だろうか。それも物凄く遠回しに。
とはいえ庇ってくれるリボーンには悪いのだが、ハルを巻き込まずに調査する、などという選択肢はもうない。
いくら殺気を込めて睨まれても無意味なのだが―――――
(・・・いい加減肌が痛い・・・)
殺気で。というよりかは、怒気で、だろうか。苛立ち、焦りとも取れる。
事件後屋上に戻ってきた時に全身を総毛立たせた、あの感覚に比べれば、可愛らしいと思える程度のものだけれども。
ハルが泣いたから怒っているのか。それとも、調査が中々進展しないから焦燥に駆られているだけなのか。
(どちらにしろ、・・・私達には関係のないこと)
彼の事情など知ったことではない。そこまで考慮する余裕など持ち合わせていない。
――――だから。
「ボスの仰りたいことは、理解しました」
手帳を閉じ、手袋を取り、机の上に置く。陰険にぶつぶつと愚痴っていたボスは、ぴたりと口を閉ざした。
それを横目で見つつ、ハルがそうしたように立ち上がり真っ向からその視線を受け止める。
彼女を巻き込むな。(もうそれは出来ない)彼女に何も知らせるな。(貴方にそんな権利はない)
情報屋『Xi』として―――何よりハルの部下として動いている私には、どれも受け入れられないモノ。
婉曲な表現で誤魔化した自分を責めればいい。命令しなかったことを、後悔すればいい。
「ですから―――ええ。これからはちゃんと“善処”しますね!」
それはもう、本当に努力しますから(――――するだけですけど)。
最後の一言は胸の内に秘めたまま。私はその時に出来る精一杯の笑顔で、しっかりはっきり言い切った。
善処。適切に処置をするということだが、決して良い意味で使った訳ではないと直ぐに分かるだろう。
事実ボスは虚を突かれたような顔をして数秒黙り、リボーンもまた何とも言えない複雑な表情を浮かべていた。
私なりの宣戦布告だったのだと、彼らは気付いただろうか。
たった一行。そう、たった一行だった。
相変わらずの、お世辞でも普通とすらいえない独創的なイタリア語の筆記体。別の言語かと思いたくなるほどの。
付き合いの長いハルでさえ解読が難しい文章の中に、たった一行。たった一行だけ、読めたものがあった。
いつの日だったか。特別に、とこっそり教えてくれた、暗号のようなもの。
それが目に入って。え?と疑問に思って。何故その文字列がその場所に書かれているのか分からなくて。
――――記されたその『意味』を理解した瞬間、全身の血が逆流したかのような激情を覚えた。
(―――――――っ、!)
辺り構わず喚き散らしたい衝動に駆られた。大声で泣き叫びたかった。どうして、何故、と。
そうしなかったのは、・・・何故だろう。に迷惑を掛けたくないと、思ったからか。良く分からない。
真っ白になった頭でも何とか執務室を出て、情報処理部門第九班の部屋に戻って来れたのが少し前のこと。
冷静にならなくては。そう何度も自分に言い聞かせても身体の震えが止まらない。
あのたった一行が目に焼きついて、いつまでも消えることはなかった。
「・・・・・・・やってしまった・・・」
エレベーターに乗り込み、その冷えた壁に凭れつつ私は深く溜息を吐く。
思いっ切り喧嘩を売ってしまった気がしなくもない。いやでもボスとはいえあの言い草は我慢できないというか。
(まあ一応、最善だったと思うのよね。あれでも)
もしあの場所で“もう二度とハルを関わらせません”とでも言おうものなら、即嘘だとばれただろう。
適当に受け流すことも出来たかもしれないが、あの視線の前ではちょっと――――荷が重い。
リボーンほど強かったり、恭弥ほど無神経な人間ならば話は別なのだろうが。私にそこまでの能力はない。
「にしても結局、何も分からなかったし。骨折り損ってこと?」
腹の探り合いを始め、八つ当たりされるわ釘を刺されるわで物凄く疲れた。これといった収穫もない。
後はハルに話を聞いて、何もなければ、また別方面からのアプローチを始めるべきだろう。
今のところ大きなミスはないし、二人のあの様子ではボンゴレに先を越される心配もない。
「―――よし。行きますか」
反抗してしまった以上、出来れば暫くボスに会うのは避けたい、などと思いながら。
私はハルが待っているであろう、情報処理部門第九班の部屋に足を向けた。
キーボードを叩く音が聞こえる。断続的なそれにふと違和感を覚えた。
「・・・・・・・・ハル?」
思わず声を潜めて中に呼び掛けるも、返事はなく。ただその無機質な音だけが返ってくる。
まさか、と思い私はそっと扉に手を掛ける。覗いた隙間からは電気のついていない部屋の様子だけが見て取れた。
キーボードを叩く音が消えない。一種の規則性を持つそれに確信は深まる。
(これは―――ハッキング、を)
ソファの置かれた空間、その中央にハルは一台のパソコンと向き合って床に座り込んでいた。
土足だから床は汚いとか。今どこに何を知りたくてハッキングをしているのか、とか。
胸に浮かんだ疑問はひとつも声にならずに消えていった。彼女の背中に、声をかけることが出来なかった。
ハルはハッキング作業に夢中で、私が帰ってきたことにも気付いた様子はない。
「・・・・っ、邪魔、・・・・です!」
作業中に悪態を吐くなど初めて見た。しかしその横顔は真剣そのものだった。
分からない。分からないことばかりだ。それでも―――見守ろうと思うのは間違いではないだろう。
彼女は今、何かを掴んだ。そして、その何かと戦っている。
椅子に座ればどうしても音を出してしまう。そう思って私は入り口近くの壁に背を預け、ふと目を閉じた。
薬がいいのか、医者の腕がいいのか。もう火傷の痕が疼くことは殆どなくなっていた。
傷は癒えるのだ。いつか、必ず。向き合うことを畏れさえしなければ。
(ハル。―――待ってる、から)
どんな事実が出てきても、必ず受け止める。そして一緒に考えよう。
私達が、生きる為に。