一本の、細い細い糸。

 

今にも千切れてしまいそうでも、確かに繋がっている。

 

 

灰色の夢

 

 

 

―――取引の途中にその状況を報告する―――

 

それはつまり、部長がハッカーとの取引そのものに関わっていたということに他ならない。

事態の重要性に息を呑んだ私に構わず、ハルの説明は止まらなかった。

 

最後まで聞くと言った約束もある。とにかく今は邪魔をせずに話を聞こうと、思った。

 

 

 

「問題なのは、なぜ資料にこの事が書かれていなかったのか、です。もし解読できなかったなら尚更書くべきでした」

「……ええ、そうね」

「だからハルは―――解読出来たからこそ、書かなかったんじゃないかって思ってるんです」

「解読出来た、から?」

「はい。……さん、これを見てくれますか」

 

 

 

ハルはそう言いながら、さっき乱暴に電源を切ったパソコンを立ち上げる。回線は繋がないようだ。

そうして幾つかの動作の後画面に現れた何かのファイル。私は一番上に書かれた表題を読み上げた。

 

 

 

「緊急特別調査班―――担当表?」

「今回の事件で緊急招集された、情報部調査班の名簿です。あ、ここですここ」

 

 

 

指差された場所を見やると、そこには容疑者に関する資料を作成する担当者の名が挙がっていた。

ひとり、ふたりとなぞっていくと……下の方に別枠が設けられていて、南支部所属という文字が目に飛び込んできた。

 

 

 

「これ“おばさん”のことなんです!ほら、手帳のこと教えてくれた―――」

「ああ確か、ボスが言ってたわね。手帳を解読したのは『シチリアの地獄耳』だって」

「っ、やっぱりそうだったんですか?!」

 

 

 

ずいっと顔を覗きこまれて、反射的に身体を後ろに引きつつも私は頷く。しっかりとこの耳で聞いたのだ。

肯定された当の彼女は難しい顔をしてほんの少し黙り込んだ。やっぱり、と何度も口の中で繰り返している。

 

 

(何が、やっぱり?資料のこと……?)

 

 

疑問をそのまま口にしそうになりぐっと堪える。最後まで。そう、最後まで聞かなければ。

 

自分にそう言い聞かせながら私が待った時間は、実際あまり長くはなかった。

 

 

 

さん。この暗号――南支部の皆が、作ったものなんです」

 

 

ここで言う皆は、今回の事件で命を落とした彼らのことであるという。

 

 

「だから多分。いえ、ほぼ確実に、おばさんはこの暗号のことを知っていると思います」

「……………」

「えっと証明は後回しにしてですね!あの、今度はこっちを見てもらえますか」

 

 

 

(うん、今読まれた。完全に読まれた)

 

 

一瞬証拠でもあるのかと聞きそうになっていたので、先手を打たれた私は内心苦笑した。

それを誤魔化すように新たにハルが指さした先を見やる。―――そこには、あの部長の名前があった。

 

 

 

「資料担当監督責任者、って」

「そうです。作成した資料の提出先が部長、ということになりますよね」

 

 

 

部長の名が出ていた手帳、その意味を知るおばさん、そして提出先が部長。そこまで揃っていると誰でも気づく。

 

あの状況で、手帳に名指しで書かれていることが周囲に知れたらどうなる?当然、重要参考人として認定される。

しかし提出先が彼である以上、そこで止めることは可能だ。無論………改竄することすら。

 

 

(となると、暗号とはいえ己の名を見た“解読者”を、放っておく訳もない)

 

 

 

「部長のチェックが入ることを知っていたから、保身のために書かなかった?」

「あの地位で上に直訴出来るようなシステムはないです。おばさんも結構慎重な人ですから」

「なるほど、ね……」

「あああの、でも、今までのは全部推測ですからね?!頭から信じちゃダメですよっ!」

 

 

 

筋は、通っている。保身がどうというのも、人の生命がすぐ奪い奪われるマフィアの世界ではよくあること。

生きていく為の一種の処世術でしかない。事実を隠ぺいしたからといって責める気など起こらない。

 

ただ、問題なのは暗号そのものだ。

 

その文字列が本当に部長を示しているのか、示していたとしてどうやってそれを証明するのか。

作成者である彼らは死んだ。ハルの証言だって、権力の前には塵と化してしまうだろう。

 

また、『シチリアの地獄耳』は本当に意味を知っていたのか。今から問いただして、正直に答えてくれるかどうか。

 

既に首を突っ込むな、と突き放されてしまっている。自分も命は惜しいと言っているあたり信憑性は高いのだが。

 

 

 

さん、……その」

「なに?ハル」

「もうひとつだけ、気になることがあるんですけど。おばさんが言ってたことで」

 

 

 

様々な考えが頭を巡る私の横で、ハルがぽつりと零すように呟いた。

 

 

 

「皆の様子が変わって、共通の友人には“大きな仕事がある”って言ってたんですよね。仕事って、それって、

上から命令されてるってことじゃないんですか?」

「――――――っ・・・」

 

 

 

あり得る。即座にそう思った。

 

この取引が彼ら単独の犯行であるならば、仕事という言い方はしないのではないか?

ファミリーの掟破りの金儲けだったならば、友人だろうと“それ”を匂わすことはしないのではないか?

 

勿論これは何の証拠もない、犯人を見つける上で取るに足らない事かもしれない。それでも私にとっては違った。

私の中で未だに渦巻いている彼らへの疑念。可能性を考慮して、全てが解明するまで捨てられない思考。

 

 

(その中でさえ、説得されるだけの、力がある。・・・この道を選びたいと思えるほどの)

 

 

 

「ねえハル。もし『シチリアの地獄耳』から暗号についての証言を得られたら。その推理、全面的に支持するわ」

「え、・・・・さん」

「でも彼女だって命掛かってるかもしれないし、難しいか。無理なら八割だけってことで」

 

 

 

私達が望む答えに繋がり得る、微かな微かな道。その先に落とし穴が待ち受けていたとしても。

 

 

 

「あの、いい、んですか?だってこんなの、当てずっぽうで」

「駄目なら駄目で、またスタートラインに立てばいいだけでしょう?ほら、ハル。行くわよ」

「行くって何処へっ」

「『シチリアの地獄耳』に会いに、よ」

 

 

 

這い上がればいい。死にさえしなければ、何度でもやり直すチャンスはあるのだから。

まず私が立ち上がり、ハルに手を差し出す。数瞬硬直していた彼女も、直ぐにその手を取って。

 

 

 

「ぜ、善は急げ。ですね!」

「悪でも急げ、が抜けてるわよ」

「はひー!何ですかそれ!」

 

 

 

部屋に入った時とは真逆の気分で、新たに出来た目的へ向かって動き出した。

 

 

 

 

 

 

―――正に、その時だった。部屋の闇を切り裂くように電子音が鳴り響く。

ポケットから引き摺り出した携帯に表示された番号を見て、私は思わず目を見開いた。

 

 

 

「・・・・・・ええと、ハッカーさん?」

か!』

「ああ、もしかしてレポート出来たの?随分早いのね。でもこっちは今ちょっと取り込み中だから、後で―――」

 

 

 

そう言いかけた私を遮ったその声は、恐ろしいくらいに切羽詰ったものだった。

 

 

 

『んなもんいいから早く来い!―――こっちは緊急事態だ!!』

 

 

 

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