―――――――え?

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

切迫したその声が酷く気がかりで、私達はすぐにハッカーの元へと向かった。

ただ、分析を頼んだのは今朝のことである。余りにも早すぎる―――しかも緊急事態とは穏やかではない。

 

 

(何が起こってるのか全く予想出来ない、っていうのが一番辛いわね)

 

 

事件解決の糸口となり得る手がかりが漸く見つかった所なのだ。これ以上事態がややこしくなるのは避けたかったが。

 

……思惑はどうあれ、何にしろまず話を聞かなければ始まらない。今は深く考えるのはよそう。

 

 

私はハルと共に早々と地下道に乗り込み、脇目も振らず例の診療所へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッカーさん?」

 

 

 

そう声を掛けながら、私だけ入った。狭い個室ゆえ上司には前と同じように外で待ってもらっている。

彼の言う緊急事態が爆破事件に関わることかどうかさえ分かっていない状態では、ハルを巻き込むのは気が引けた。

 

もちろん、もし重要なことなら途中からでもハルを参加させるつもりで。

 

 

 

「―――っ、か!」

 

 

 

ベッドから上半身を起こした姿勢でハッカーが私の名を呼ぶ。焦りの滲む声にこちらも緊張感が増した。

 

彼は私の置いて行ったパソコンと向き合っている。……あのメモリースティックが刺さったままの、それ。

やっぱり予算表のことなのか、と内心呟いていると、さっさと来いというようにもう一度名を呼ばれた。

 

仕方なく私は考えることを止め、ハッカーの近くにあった椅子に腰を下ろす。

 

 

 

「それで、一体何事?分析を急いでくれるのは有難いけど、何も一日でやれとは」

「違う」

「え?予算表の話じゃなかったの?」

「ああ。……いや、そうとも言えるがな」

 

 

 

本題に入ろうとしても、何とも曖昧な答えしか返ってこない。それに加え、言い難そうに顔を歪める。

 

 

 

「――――ハッカーさん。物事は簡潔明瞭にお願いしたいんですけど?」

 

 

 

簡潔明瞭、の部分に嫌味なほど力を込めて促してみた。が、その軽い脅しに対しても彼は沈黙を返した。

普段の私だったなら、即座に苛立ちや怒りを露にしてナイフをちらつかせる程度のことはしたかもしれない。

 

しかしそうしなかったのは………情報屋『Xi』としての長年の勘で理解していたからだ。

 

私達にとって最も重要な“何か”が、彼の口から語られようとしていることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらも沈黙を返して待つこと数分。何度かの深呼吸の後、ぽつりと零すように彼は言った。

 

 

 

「俺は――とんでもない物を見逃してた。これが外に漏れたらマズい裏金の予算表だってことに気を取られて」

「………。でも、裏金の予算表なのは間違いないんでしょう?」

「確かにな。だがこの文書はそれだけじゃなかった。別のものも隠されてたんだよ」

 

 

 

別のもの?と口に出す前に、ハッカーはそのパソコンの画面をこちらに向け、開いているページを私に見せた。

目に飛び込んできたイタリア語。字面をなぞる。意味。マフィア。ボンゴレ十代目。―――計画。

 

 

 

「こいつは裏金なんて可愛いもんじゃない。その使い道が、一番の問題だった!」

 

 

 

武器の輸入経路。協力者。――計画。日本。“キョウコ ササガワ”。誘拐。

単語単語が持つ意味しか捉える事が出来ない。意識の外で、ハッカーの強張った声を聞いていた。

 

 

 

「裏金なんざ手回せば降格で済む。でも、これが外に漏れたら確実に死ぬことになる。一族も断絶だ。

――――当たり前だよな、ファミリーにとって最悪の裏切りなんだから」

 

 

 

守護者。足止め。襲撃。地図。日程。後処理。……次期当主の、候補?

 

その不穏な内容が指し示す、たったひとつの事実。

 

 

 

「これは――――ボンゴレ十代目暗殺計画書だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳に届く声が、やけに遠くから聞こえる。

 

 

 

「予算表の分析、つっても適当に纏めるつもりだったんだ。ま、俺も整理くらいはしておきたかったしな」

 

 

 

パソコンを奪って詳しく読み始めた私に、男は静かに語り続ける。

こちらに聞かせるというよりは、独白に近いものだった。私は画面から目を離すことが出来ない―――

 

 

 

「“それ”を見つけたのは殆ど偶然だった。あの大量の予算表の中に、えらく巧妙に隠されてたよ」

 

 

 

ボンゴレで裏金を見つけたときには、裏金だけに意識がいった。それだけでも退屈凌ぎには十分価値があった。

どうせ碌でもない目的だろうとは思っていたが、あえて知ろうとは思わず、取引に使うことを決めた。

 

――――奴らが血相変えて取り返しに来るだけの理由はあったわけだ。

 

 

 

「お前が分析を頼まなきゃ、ずっと分からないままだった」

「………これは、いつの、」

「日付を見てみろ。…もう過ぎてる」

「あなたが盗んだから?」

「十中八九、そうだろうな。予定日はちょうど俺がボンゴレを出た日になってる」

 

 

 

私は考える。うまく働かない頭を叱咤しながら。

 

データが流出したと向こうが悟った時点で、計画自体は取りやめになったのだろう。

盗んだ人間がこの文書に気付いているかどうかは―――確かめようがない。気付いても容易に口に出せる内容ではない。

 

だから、そう、だから彼らは“知っているかもしれない”ハッカーごと、殺そうとした。

 

 

全く関わりのない人間を数十人も犠牲にして――――?

 

 

 

、これは俺達が手出しできる領域じゃない。俺のことはいいから、一刻も早くボスに伝えろ」

「……………………」

「………おい。お前、何考えて―――」

「……計画は、流れたのよね。そして今の厳戒態勢下では、次の計画は立てにくい」

「なっ…!お、おま、!自分が何言ってるか分かってんのか?!」

 

 

 

分かっている。理解している。自分は今この上なく冷静だと、断言できる。

だがこれはまたとない機会なのだ。目の前にある文書は、今までにない強い力を持っている。

 

ボンゴレ十代目を暗殺する計画―――その立案者やそれに関わっていた者なら全て抹殺できる力。

 

そこには権力など一切意味を持たない。そうだ、あの部長さえ、蹴落とすことは可能!

 

 

 

「馬鹿かお前!考え直せ、今隠して先に向こうに知れたら、―――殺されるぞ!」

「……心配してくれるのは嬉しいけど、ね。この期は絶対に逃したくないの」

 

 

 

ボスがあの様子では、あまり悠長なことはしていられない。今の内に彼の手の中から抜け出さなければ。

私はもう一度、暗殺計画書を見やる。感心するくらい緻密に立てられた作戦。大量の裏金が使われている。

 

 

(…簡単に言えば、守護者を何らかの方法で足止めしている間に、人質を取ってボスを誘き寄せる…)

 

 

ふと疑問がわいてきて、呆れたとばかりに額に手を当てているハッカーに問いかけた。

 

 

 

「ねえ。ここの“キョウコ ササガワ”って誰?名前からして日本人みたいだけど」

「……あ?ああ、それな。さっき調べた。どっかで聞いたことがあるような気がしてよ」

 

 

 

そうして告げられた内容は、私を迷わせるのに十分なものだった。

 

 

 

「――ボスが日本にいた頃の、友人?」

「何でも同じ中学に通ってたとか。そういや、守護者の妹だって話だぞ?」

「ってことは、ハルも――――」

 

 

 

迷うことすら既に間違っているのかもしれない。でも迷わざるを得なかった。

事件に関することなら、何でも話すと約束したけれど。

 

 

―――伝えるべきなのか、そうでないのか―――即座に答えを出すことは出来なかった。

 

 

 

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