この気持ちは、部長を捕まえれば消えるのだろうか。
灰色の夢
マスターがどうやってそれを調べるのかは知らない。だが、気にしないのが暗黙のルールだった。
今夜には彼らの顧客情報を私のパソコンに送ってくれるという。多少出費が嵩むのが痛いが、心強いのも事実で。
私は足早に店を出て、ハッカーの所へと急いだ。ハルとはそこで合流することにしている。
(もし―――証拠が揃っていれば、明日にでも行動に出れる)
急いでいるという自覚がなかったわけじゃない。慎重を心がけてきたことも十分理解している。
しかし日を追うごとに強くなっていくこの苛立ちは何なのだろうか。酷く気分が悪い。
忘れようとしているのに、誰かの言葉でまた呼び覚まされるのだ。恭弥然り、……先程のマスター然り。
証拠集めは驚くほど順調にいっているはずなのに、それだけが、いつまでもしこりとなって残っていた。
「ごめん、遅くなっ――」
「さあああん!」
ハッカーがいる病室の扉を開けた途端、腹部に強烈な衝撃を食らって私は言葉を詰まらせた。
いつも思うが、訪問客を迎えるのに何故タックルをかます必要があるというのだろう。これも地味に痛いのだが。
一言文句を言ってやろうと開いた口は、彼女の顔を見て、音を発することなくまた閉じられた。
「おばさんに、…証言、してもらいました。ちゃんと捺印、してもらってます」
「………………」
「気付いてて書かなかったって。認めてくれました。あ、もちろん条件付きですけどっ!」
真剣そのものの表情で彼女は続ける。これで本当の本当に部長を告発する足がかりが出来た。
『シチリアの地獄耳』は、意図して書かなかったことに対する恩赦を条件に、証言することを承諾したという。
(その辺りはボスに何が何でも捩じ込んでもらう。重要なことだし、断ることはないはず)
そして――やはり前回の数倍の値段を小切手で払うこと。お金で解決できて本当に良かった。
「…ごめんなさい。結構かかっちゃいまして、あの!ハッカーさんと三等分するってことでどうでしょう!?」
「は?って、まさかそんなこと話し合ってたの?」
「あああ、当たり前じゃないですか!ハルの力不足で値切れずじまいで…っ」
「あーうん。それはまた後で話すから。ね?」
ここで私だけが負担すると言ったら余計話が拗れそうだ。とりあえず誤魔化すことにした。
と、こんな時に飛んでくる突っ込みが聞こえてこない。それに気付いて奥に視線をやると、ハッカーの姿がなかった。
例のパソコンは置いてある。近くの机に、書類のような物の束と、携帯電話。
「ハッカーさんなら、今包帯を変えてるそうですよ。ちょっと出血があったみたいで」
「―――出血?」
「はい。何でも、折れてる方の腕を無理矢理動かしたとか」
「…………」
(まさか監視プログラムに捕まりかけたんじゃないでしょうね…?)
とはいえここ数日、重傷にも関わらず相当無理をさせてしまっている。付き合わせているのは他でもない自分だった。
彼はきっかけだったにしろ、きっかけでしかない。それだけは間違えてはいけないのだ。
私はハッカーが帰ってくるまでに、彼が作成したのであろう資料を見せてもらうことにした。
「―――――え?」
思わず、声が出た。出さずにはいられなかった。
爆発物に使われた成分の細かい指定から、ひとつひとつを拾い上げて調べた記録。
あのハッカーらしい丁寧な作業だった。マフィア内に存在する武器屋を表裏・大小構わず並べている。
「ハッカーさん、本当に天才だったんですねっ!たった一日でこれですもん」
「……ええ、それは認めるけど……」
プリントアウトされた資料の中に、マーカーで強調された武器屋がひとつ。その下に、書いてあるのは。
「どうしたんですか?これで二つ目の証拠が揃いましたよ?」
―――部長本人の、名前だったのだ。
部長に繋がる誰か、などというものではない。本人の名前だった。きっちりした店なのか顔写真まで付いている。
動かしようのない証拠だった。もちろん、盗まれただの何だのと言い訳はできるだろうけれども。
「さん?」
「っ、あ――うん。ちょっと、直接本人の名前が出てくるとは思ってなかったから。ほら偽名とかあるでしょ?」
「はひ!それはハッカーさんも言ってました!でも、店自体が身分証明必須らしいので、それでじゃないかって」
「ああ、なるほどね。…そういうこと」
(下手な店を使って、粗悪品を掴まされることを恐れた、みたいな?)
ハッカーがその頭脳を駆使して調べまくった末に見つけたことだし、普通なら分からないのかもしれない。
現にDr.シャマルから報告があった様子はない。……これで、いいのか。
「だったら私がマフィア外の武器屋を調べる必要はもうないってことね。手間が省けた」
「良かったですね!…あ、ところで獄寺さんの呼び出しって、何だったんですか?」
「ああ、それは―――もう最悪に不愉快だったわ」
ハルにかいつまんで、あの事を伝える。会場で襲撃をかけてきた人間。つまり、カルロとジュリオの仇について。
一言二言話す度に苛立ちにも似た怒りが蘇り、その頃には爆発物リストのことは頭の隅に追いやられていた。
「殺し専門の掃除屋?!なんですかそれっ!」
「そういうのがあるらしいのよ。まあ私があの日全部殺しちゃったから話は聞けないけど」
「………。っ、許せないです…」
「今その雇い主を探してもらってる最中よ。多分今夜中には届くと思う」
怒りに震えるのは彼女も同じだったようで、暫くの間二人してその話題に終始時間を費やしていた。
ハッカーは、医者から厳重注意を食らった挙句、そのまま強制就寝として睡眠薬を打たれたらしい。
結局部屋には戻ってこなかった。そしてハルも気力を使い果たしたのか、今、ハッカーのベッドで横になっている。
私は一人暗い部屋の中でパソコンをつけていた。…マスターからの連絡を待っていたのだ。
(手帳の記載と、爆発物の受取人、そして掃除屋の雇い主。もしこの三つが揃えば)
部長を告発するのは容易だろう。彼が身柄を拘束された後、ひっそりと例の計画について伝えればいい。
証拠集めがあまりにも順調にいっていて、逆にこれでいいのだろうかと不安になってしまうくらいだ。
だが、今までが悪すぎたと考えれば―――単に事実が事実として浮かび上がってきただけのこと。
「………あ…」
メールの着信。急いで開き、たった一行だけ書かれたアドレスにマウスを乗せた。
移動したページをざっと見やる。何一つ逃さないよう全神経を駆使して。数年分だから決して少なくはなかった。
そして、そう時間が経たないうちに、気付く。
殺し専門の掃除屋が受けた依頼の、顧客情報のリストの中に。
―――部長の名前が記載されていたことに。