まさか――――まさか、……まさか。
灰色の夢
私は聞き分けのない幼稚園児を相手にするような気持ちで、次の資料を取り出した。
何を言っても全て捏造だ!と叫ばれるような予感がひしひしとしたが、取りあえず言ってみないことには始まらない。
「次はこれです。パーティー会場が爆破される前、戦闘があったことはご存じですよね?」
「……っ、それが、どうした…!」
「これも昨日のことですが、襲撃をかけてきた集団が特定されました。“殺し専門の掃除屋”という――特定の呼び名は
ありません。会場に焼け残っていた物質が決め手だったそうです」
最初よりかは幾分強張った表情に自信を持ちつつ、今度は顧客リストを部長の顔の前に出す。
分かりやすく自分の名前がある場所を指で示してやる。すると予想に違わずまた彼は叫びだした。
「ね、捏造だ…!こ、こんなものが、何故…っ」
「とあるルートから手に入れた連中の顧客情報です。ボスに信頼して頂ける程度のレベルですので、ご安心を」
「貴様一体どういうつもりだ!私、私を、陥れる気だな…!」
「失礼ですね。私は真実が知りたいだけなんです」
「これが真実なものかっ―――!」
部長がどんなに喚こうが気にならない。事実は事実なのだ。それ以上の意味が必要だろうか?
私はアレッシアを殺しただろうこの男を許さない。あんな事件を引き起こしたこの男を許さない。
(……殺すのは簡単。でもそれだけじゃ物足りない…!)
揺らいでいる今が畳み込むチャンスだった。休憩する暇を与えず、私は最後の証拠に手を伸ばした。
「部長。貴方が事件について何の関わりもないというなら、何故言わなかったんですか?」
「………何の話だ」
「事件当日、パーティー会場に居ましたよね」
「っ?!」
「そして襲撃前に姿を消した。この事について、納得のいく説明をしてください!」
激しくなる口調。湧き上がる感情に、思わず持っていた資料を部長の顔のすぐ横に叩きつけてしまう。
一方彼はこの倉庫に来てから初めて、その表情を大きく動かした。目を見開き、私の方を凝視している。
何故、と。何故それを知っているのか。そんな言葉が聞こえてきた。何故と問うているのはこちらだというのに!
「あのパーティーは部長が来るようなところではない。それでも貴方は来た。何の用で?」
「―――――――」
「掃除屋に爆発物。その二つと繋がりがあるとなれば、答えはひとつ」
「……ちがう、違うぞ…それは私ではない、捏造だ!私は何も、」
「いい加減捏造捏造煩い―――じゃあちゃんと答えてくださいよ。“どうして会場に来たんですか?”」
「っ、それ、は…」
ほら答えられない。そう馬鹿にしたように呟いて、私は芋虫のようにのたうつ部長を見やった。否定することすら忘れている。
哀れな姿だった。嫌な笑みを浮かべてハルに突っかかっていった様子は見る影もない。
同情するつもりもなければ、憐れむ気さえ起こらなかった。こうやって向き合って話すことすら吐き気がする。
一秒でも早く全てを聞き出して主任に資料を持っていかなければ。これ以上こんな男の為に時間を浪費したくはない。
私は手帳に関する資料を一枚手にとって視線を落とし、何でもないことのように装って口を開いた。
「なら私が答えてあげましょうか、部長。―――取引ですよね」
「ッ!き、貴様、何故それを―――」
「あ、これは認めるんですか」
思わず、といった感じで飛び出した言葉。多分拘束されているというのもあり、精神状態が異常になっているのだろう。
これはラッキーだと部長に視線を戻すと、そんなことはどうでもいいと言いたげに問いを重ねてきた。
「取引は南支部の連中がやったことだ!なぜ私の名前が出てくる!」
「……その連中の容疑を固めた手帳がありますよね。その中にあったんですよ、…貴方のことが」
食いつきの良さに少し驚いたものの、これで話が進むと資料を見せつつ例の暗号について説明してやる。
思うに自分たち以外のことは書くなと厳命されていたのではないだろうか。だからこそ誰にも分らぬよう暗号で書いた。
誤算だったのは、その暗号を知る“おばさん”が居たことであり、彼女が解読担当に選ばれてしまったこと。
そんな証拠も何もない推理を披露しても、部長はただ唸るだけだった。捏造だ、と叫ばない。
態度の違いに戸惑いつつも大人しくなったのはいい兆候である。私は即座に言葉を続けた。
「取引に入ることを確認しに、パーティーに来たんですよね?ちゃんと爆発に巻き込むために」
「…………………」
「南支部の連中に命令して、取引をさせて。情報を取引するつもりなんか最初からなかったのに」
「…………………」
「裏切り者のハッカーごと殺したんですね。会場全てを爆発させたのは、それを目立たせないように、ですか?」
「…………………」
「あの、黙られても困ります。もし違うんでしたら今のうちに言っておいた方がいいですよ」
違っていないだろうという自信はあった。全ての証拠が、事実が、それを物語っている。
沈黙は肯定の証だと思っていいのだろうか。前二つの証拠のときにはぎゃんぎゃん騒いだのに、どうしたのだろう。
(言い逃れが出来ないことに気付いた、か?)
私は大きく大きく溜息を吐いて、最初に見せた資料を手に取った。そして再び部長の顔の前にどっかりと座りこむ。
「はいこの際ですから大人しく認めていってください。部長、爆発物を用意しましたね?」
「………っ、して、いない」
「あのですね、これだけ明確な証拠があって―――」
「私は受け取っただけだ!」
「は?……ったくそんな言い訳が…もういいです次。掃除屋に依頼しましたね?」
「違う、私では…っ!」
いつまでそんなことを。どこまでそんなことを。ここまで来て言い逃れするその根性が神経を逆撫でする。
今まで私はじっと耐えていた。少しでも手を触れたりすれば脅迫だと言われかねなかったら、ずっと我慢していた。
(ハルを…ハルを殺す為に立場を利用してパーティーへ送り込んだくせに、今更何の言い訳を……っ!)
アレッシアを殺したくせに。カルロを、ジュリオを、あの場所にいた罪もない人間達を巻き込んだくせに。
今までやって来たことを無駄にしない為に、殴りはしない。殴りはしないけれど、その代わり罵声が口をついた。
「いいですか部長。その役に立たない節穴の目で現実を見てください。ここで幾ら言い逃れたって無駄なんです!
――――あの計画にかかわっている以上、貴方の罪は少しも軽くはならない!」
暗殺計画を立てた“彼ら”は、計画を知っているかもしれないハッカーを殺したと思い込んでいる。データも消えたと。
部長のこの戯けた態度はそれから来るのだろう。だから指摘すれば心底慌てるに違いなかった。
この世の終わりとまでに醜く歪んだ顔を見れるのだと、思っていた。それで少し溜飲が下がるだろうと。
憎しみにも似た怒りを胸に絡めた視線。さあ絶望しろと。愚かな自分を恨めと。
―――次の瞬間、私は気付いてしまった。理解、してしまった。
部長を追い詰める、その事だけに気を取られて。彼も当然そうであるのだと、思い込んでいた、こと、に。
私は、最後の最後で思い違いをしていた。致命的な、ミスだった。
「部長、……貴方――――貴方も。……“捨て駒”、だったんですね」
手の中から資料が音を立てて滑り落ちた。