本来なら、足を踏み入れることさえ許されない場所。

 

 

灰色の夢

 

 

ボンゴレ・ファミリー情報部主任―――いや、最高主任と呼ぶべきなのだろうか。

彼の所有する屋敷は、予想に反してかなりこじんまりと慎ましやかな大きさ、広さだった。

もしかしたらこれは表向きのもので、他にいくつも隠れ家を所有しているのかもしれないが。

 

―――私達は麻酔でぐったりとした部長を後部座席に放置し、その車ごと敷地内に乗り込んだ。

 

 

 

 

迷惑極まりない早朝の電話だったにも関わらず、ハルが“大事な話がある”と告げると快く私達を招いてくれた主任。

穏健派の代表格であり、初老の紳士だという知識しかない私は緊張をひた隠しにしつつハンドルを握った。

 

 

 

「あ、さん。次の角を右に曲がってください。その突き当たりが裏口です」

「了解。っていうか随分慣れてるみたいだけど、食事ってまさかここでしてたの?」

「はい!えっと、やっぱり最高主任ですから外だと色々問題が」

「ああ、そういうこと」

 

 

 

内密な話がしたい、と言うまでもなく主任は裏口から入るよう指示してきた。聞けばハルはいつもそうだと言う。

そういう配慮を一番して欲しい人間に限って、まるで気にしない態度で来るから余計性質が悪いものだが。

 

胸の内に湧き上がる怒りを何とか静めブレーキを踏み、ハルが降りたのを確認してから私もそれに続く。

 

 

(安全を重視して、尚且つ計画をボスに伝えるには・・・・・・こうするしかない)

 

 

証拠はある。頭から疑われることはまずない。残された問題は―――主任がこの話に乗るかどうか、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、ハル。暫く見ないうちに綺麗になりましたね」

 

 

 

開口一番、“彼”はそう言った。そちらのお嬢さんは初めましてですか、と付け加えて柔らかい笑みを浮かべる。

情報部主任、しかも初老と聞いていただけにその丁寧な口調に驚かされた。お嬢さん呼ばわりされたことにも。

最も、先入観を持っていたことは否定できない。どんなにいい人だと言われても心からは信じられなかったように。

 

ともかく彼に声を掛けられた私の上司は分かりやすく頬を染め、恐縮というより寧ろ照れ混じりに俯いた。

 

 

 

「っはひ、その・・・主任もお元気そうで、なによりです!」

「ええ、おかげさまで。しかしあなたの方は―――かなり大変だったと聞いていますが、もしやその件で?」

「・・・・はい、少し、お時間いただけたらって」

 

 

 

和やかに、微笑ましささえ感じられる会話が続く。私は扉近くに立ち、一切声を出さずに息を潜めていた。

主任がこちらを見たのは一度きり、私達が部屋に入ったときだけである。その後はハルしか見ていない。

 

ただ単に付き添いであると思われているのか。それとも何か他に思惑があるのか。私には全く読み取れなかった。

 

 

(危険だとも、・・・安全だとも、見分けられないなんて)

 

 

老眼鏡の奥に見え隠れする瞳は慈しみに満ちていて、心底ハルを思いやっているだろうことが分かる。

―――分かるのに、感じるのに、何故か一歩が踏み出せない。探ろうとすればするほど何かが遠ざかっていく錯覚。

 

ハルが部長に関する資料を取り出して説明していくのを、私はただ黙って見守るしかなかった。

 

 

 

「手帳の記述に、・・・掃除屋と爆発物。確かに、これだけ揃えれば告発も難しくありません」

「そ、そうですか?良かったです・・・!」

「もう少し詳しく調べる必要はあるでしょうが、時間の問題でしょうね。・・・ただ」

「ただ?」

「―――これを、なぜ私に?」

 

 

 

趣味の良い部屋だと、思う。決して安くはない装飾品が並んでいるのに、シンプルで上品な仕上がり。

紅茶の香りが広がる中、グレーのスーツを身につけた初老の男性が静かに笑う。それを見ても何も感じない。

 

風のない日の穏やかな水面を目にしている気分だった。不穏な会話をしている真っ最中だというのに。

 

 

(情報部最高主任―――穏健派の代表格っていうのは、間違いなさそうだけど)

 

 

ボスや守護者の知り合いである『三浦ハル』を信用しているからか、そもそもの証拠が有力なものだからか。

部長を告発しに来たというのに、動揺する素振りさえなかった。・・・こちらを疑う様子さえ、なかった。

 

 

 

「ほらツナさ、っいえ、ボスに知られちゃったら凄く怒られちゃうと思いますし!」

「うーん。否定できないところが辛いですね、それは」

「捜査が難航してるって聞いてるし、ちょっとでも力になりたくて―――」

「―――わかりました。今すぐ手続きに入りましょう」

「本当ですかっ?!」

 

 

 

ひとり悶々と悩む私を他所に、二人はさしたる障害もなく会話を終わらせ、あっさりと部長告発は完了した。

 

 

 

さん!主任にOK貰いましたっ!」

「え、もう?」

「もうじゃないですよー!ちゃんと証拠が揃ってるのに、大丈夫じゃないわけないじゃないですか!」

 

 

 

あまりに簡単すぎて突っ込みをいれたくなるほどだった。もっとこじれることを予想していただけに、拍子抜けである。

ハルと主任との信頼関係を甘く見ていたということなのだろうか?というか事前検証もなく了承していいのか、主任。

 

思わず胡乱気な目で見てしまうも、彼は特に気にした様子もなく、視線に気付くと穏やかに笑ってみせる。

 

 

そこに山本のような爽やかさはない。ただ年季に培われただろう重みが、ひどく柔らかい印象を生んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

机に散らばった資料を纏めて、封筒に入れて。外に待機させてある部長を回収するよう部下に指示して。

その後一度大きく息を吐いた情報部最高主任は、ふと顔を上げると真っ直ぐに私の方へ視線を寄越した。

 

 

 

「初めまして。―――と呼んでも構いませんか?」

「はい。情報処理部門第九班所属のと申します、初めまして」

「お噂はかねがね。何でも十代目直々に引き入れたとか、大変優秀な方だと聞いていますよ」

「・・・いえ、そんなことは」

 

 

 

私は今まで組織の頂点であるボスと会い、それとなく暴言まで吐いてきた。足を踏んだこともあったような気がする。

それらは大半嫌がらせであり意趣返しであり、特にボンゴレに対しては反発が大きかったように思う。

 

とにかく全てに共通して言えるのは、裏を返せば苦し紛れの虚勢だったということ。

 

 

(そうと気付かない向こうもある意味問題が・・・・っていやだからそうじゃなくて)

 

 

――――ただ、今は。

 

目の前で穏やかに笑うこの初老男性に対して、私は一切そういう態度を取れないであろうことに気付いてしまった。

あのリボーンにだって幾度かは出来たのに、だ。そこはかとない殺気を撒き散らすボスにだって。怒り狂う獄寺にも。

 

 

何故だかわからない。説明も出来ない。けれど、無理だということだけは痛いほど分かる。

 

 

 

「おや、どうかなさいましたか?」

「今回の事件で、私からも―――ひとつ、お話したいことがあります」

「ふむ・・・・いいでしょう。この際ですし、あなたはハルの部下ですから」

 

 

 

どうしても計画を伝えなければならないのに、期待していたルートが消えたばかりだ。伝えないという譲歩は出来ない。

部長を告発した以上、私達に残された時間も決して多くはなかった。小細工は効かないと直感が叫ぶ。

 

それに上手くいく保証はないし、主任が本当に計画について何も知らないのかさえ、確かめる術はない。

 

 

(だとしても、彼以外に適当な人間が見つからないんだから・・・!)

 

 

私は後ろ手に隠していた資料を取り出す。例の暗殺計画書が丸ごとコピーされたものだ。

予算表も含めた膨大な量になったそれを持ち、数歩主任へと近づいて、ぎりぎり手の届かない場所で立ち止まる。

 

 

どこまで通用するのか、通用させることが出来るのか。何はともあれ、やってみなければ分からない。

 

 

 

「主任。――取引、しませんか」

 

 

 

最後の賭けを。

 

 

 

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