今までしてきたことを無駄にはしない。
どんなに小さなことでも、いつか私達の力になるから。
灰色の夢
「、さん―――?」
いったいなにを、と続けられた上司の言葉を黙殺して、私は真っ直ぐ最高主任へと向かい合った。
彼は依然と柔らかな笑みを浮かべたままだったが、纏う空気がほんの僅かに変色したのを感じる。
話の持っていき方によっては、即座に殺されても文句は言えないことをしようとしているのだ。手に汗が滲む。
それを誤魔化すように資料をぐっと握り、私は極力落ち着いた声で本題に入った。
「主任。私の本業をご存知ですか」
「・・・・・・ええ、情報屋『Xi』ですね。知っていますよ」
「ではこの間ボスから、・・・いえ、Dr.シャマルから依頼を受けたことはご存知ですか」
「―――――――」
私が情報屋『Xi』であること。そしてそもそも『Xi』とはどんな情報屋であるのか。
ボスから聞いたにしろ、己で調べたにしろ、とにかく知っていることは間違いないようだった。
ただ、Dr.シャマルからの依頼は秘密厳守が絶対条件だった。それは情報部最高主任でも知り得ないものだったのか?
(知らされていなかったとしても、調べることは出来る)
出来ればこちらからは話したくなかった。条件に違反することは、情報屋としてのプライドに引っ掛かる。
ただ今は私達の命が掛かっている。依頼だ何だと拘っている場合ではないのだが――――
待つこと数十秒。すると主任は笑みを消さないまま、少し困ったように目を細めて口を開いた。
「それは・・・今、ここで話すべきことですか?」
「私は彼女の第一部下です。何か問題があるとすれば、向こう側の事情でしょう」
“彼女”を暗に示した言葉をばっさりと切り捨てる。んなもん知ったことじゃない、と。
ハルに何も知られたくないというのはボスの我儘であり、私が受け入れる義務はどこにもないのだ、と。
その些か乱暴な言葉に主任は目を瞬かせた後、軽く吹き出して口元を上品に手で押さえた。
「なるほど、なるほど。あなたは随分面白い方のようですね」
「・・・・・・・・・・・」
「『Xi』への依頼、存じ上げています。確かあのジャックスを迎えに行かれたとか」
「・・・・。盗まれたデータの回収も、です」
「そうでしたね。ですがそれは爆破事件に巻き込まれたため、失敗したと―――」
「いう報告をした覚えはありませんが」
しれっと否定し、反応を観察する。直後に飛んできた疑問の視線ににっこりと笑みを返しながら。
それにしてもハッカーはハッカーと言って貰わないと一瞬誰だか分からなかった。慣れとは、怖いものである。
と、くだらないことを考えている私を他所に、主任はふっと笑みを消して真剣な色を纏った。
「。・・・まさか、それは」
彼はそこで初めて、私が手に持っている分厚い資料に目が行ったようだった。
予算表と、その予算の使い道である計画について。ボンゴレ十代目を暗殺するための、最悪のシナリオ。
見せてからが、勝負だ。――――私は黙ったまま、そっと彼に資料を差し出した。
長い長い沈黙が、部屋に横たわる。ハルに至ってはあれから一切口を開いていない。
情報部最高主任は机に資料を広げ、比較的厳しい顔で深く考え込んでいるようだった。
表情を見るに、彼がこの計画について知っていたとは思わない。予算表のことは知っていたかもしれないが、それでも。
(ハッカーが作った資料だし、証明能力は高いはず)
一番怖いのは、これを捏造だと決め付けられることである。信じてもらえなければ何も始まらない。
だからこそ私は自ら情報屋『Xi』のことを口にしたのだし、依頼に関してもあまり繕わず本音で喋っているのである。
どんな変化も見逃すまいと主任から視線を逸らさなかった。辛抱強く、急かすような真似はせずに。
さて、どれだけの時間が経ったのだろう。静かな部屋に、深みのある溜息が低く響いた。
その数秒後、目線は資料に落としたままの主任が呟くように言う。空気が少し、その温度を下げた。
「取引、と言いましたね」
「・・・言葉が悪いのは謝罪します、ですが」
「あなたの意見を聞きましょう。―――午前の仕事を遅らせます」
「・・・・・・・・!」
本気なのだと、気付く。本腰を入れてこちらに意識を向けたのだと。
そして第一段階をクリアしたことも分かった。彼はこの資料を信じたのだ。信じて、私の話を聞こうとしている。
私は一度深呼吸をして、両足にぐっと力を込めた。この事件解決においての最大の山場を、越えるために。
「私達は、その計画をボスに伝えたいと思っています。内容があまりにも悪質で、実行予定日を過ぎているとはいえ
余りにも緻密に立てられたものです。このまま放っておけばいずれ実行されるでしょう」
ボスを狙っていることに加え、ハルの親友をも巻き込もうとしている。見て見ぬ振りはできない。
「しかしただ伝えたのでは危険です。計画立案者などの耳に入れば、私達など即座に消されかねません」
地位もない。権力もない。事故に見せかけて消すなど日常茶飯事のマフィアの世界で、いつまでも逃げ切れない。
「本来なら部長から洩れたようにする予定でした。ですが彼は何も知らなかった。彼を使うことは不可能です」
「それで、私に?」
「はい。途中でもみ消される心配がありませんし、主任には身を守る盾がありますから」
まずそこまで言い切る。第一に、“計画に関しては『主任から』ボスへ伝えて貰うこと”が重要だった。
だが、それでもまだ問題は残る。計画がどこから出てきたのかと問われれば、ハッカーのことを言うしかない。
そうすれば結局私達、いや依頼を受けた『Xi』に繋がる。情報はどこからも洩れるもので、油断は出来ないのだ。
(主任だって依頼のことを知っていた。なら他にも、なんて自然なこと)
それだけじゃない。最大の問題は、目の前にいる穏健派代表格の情報部主任にまで及ぶのである。
「ただし―――伝えるのは、別の形にして頂きたいんです」
「別の・・・形とは」
「ハッカーさ、いえ、ジャックス・ハーカーが盗んだ情報からではなく、別の所から出たという形で、という意味です」
第二に、“計画発覚は、情報部から盗まれたデータによるものではないとすること”。
こうすればハッカーのことを言わなくて済むし、私に対する危険も減り、常に共に行動しているハルへの危険も減る。
ただそれらは今のところ単なる可能性に過ぎない。ここで大切なのは、何より―――
「暗殺計画を立てた誰かが、今更捕まると思いますか」
「―――――」
「情報を盗まれた時点からかなりの日数が経っています。これらの資料も既にデータベースから消されているでしょうし、
証拠を隠滅するには充分な時間です。規模の大きさから非常に力のある人物が関わっていることは間違いありません」
調査を始めたところで、誰が口を開くものか。知らぬ存ぜぬで結局うやむやになるに決まっている。
しかしそれでは済まされないのが、マフィアの掟である。誰かが何らかの形で責任を取らなければ、終わらない。
犯人は捕まらない、証拠も出ない、でも緻密な計画だけが手元に残る。そうなれば表でも同じこと、大抵は決まっている。
情報部内でこれだけの不祥事が出たにもかかわらず、犯人を挙げられないその責任を取らなければならないのは―――
「―――主任。あなたです」