―――全く、これだから詰めが甘いと言われるのだ。
灰色の夢
ボンゴレ・ファミリーの中で、情報部とはかなり特殊な位置に据えられた部署である。
ファミリーのトップであるドン・ボンゴレですら、普段は一線を引いて対応しなければならない。
裏金ひとつとってもそれは明らかだ。……そして、中でも特殊なのがその階級の決定権についてである。
本来ならボンゴレ内全ての人事は、山本が率いる人事部、ひいてはその上に位置するボスが掌握している。
しかし情報部に関してのみ、その常識は通用しない。特殊な部署ゆえ、その独立性を守るためと言われているが―――
とにかく、主任以外の階級に関しては、最終決定権を有するのは主任なのである。
つまり、“ボスは決して口を出せない”。
静かになった執務室の中でソファに座り、部長を告発する資料を黙って読み耽る男共を眺めながら。
にやける口元を押さえつつ、私は最後に主任と交わした会話を思い返していた。
「取引にしては―――少し、弱くありませんか」
確かに自分が資料を提出したという誓約書にサインをする為、ハルが十数分席を外したときのこと。
あとはボスに喧嘩を売りに行くだけだと気合いを入れていた私に、主任からそっと声がかかった。
心を読まれたようなその言葉に、もう驚くことはない。彼は天下のボンゴレ情報部の最高主任を務める人間だ。
―――どんなにまともそうに見えても、まともであるわけがないのだ。
「計画を伝える、本当にそれだけでいいんですか?」
「どういう意味ですか?まさか、私が後々このネタで脅しに来るとでも?」
「いえいえまさか。ただ、……こちらが得るメリットに対して、あなたのそれが小さい気がしましてね」
「―――――――」
本当に嫌になるくらい、この主任は聡くて、ある意味ありがたかった。正直私もどうしようか迷っていたからだ。
十代目暗殺計画を伝えること。それは、ボスを守りハルの親友を守り、主任を守ることにつながる。
でも、私達に直接的なメリットがあるわけではない。もっとも私の上司にはメリットなど関係なく動いているだろうが。
(主任がそれをわざわざ口にしたってことは、……ある程度のことなら聞く、ということ)
ハルが居ない時に話しかけてきたのは、偶然だろうか。判断がつかなくて暫く黙って主任の目を見つめる。
そこにある促すような色に、躊躇いが残りつつも私はいつの間にか口を開いていた。
「……ポストがひとつ、空きますよね」
ずっと、考えていたことがある。部長が捕まったその後、どうなるのか。
その言葉は思った以上に重い響きを持って、部屋に不可思議な緊張をもたらした。
「それは、君が?」
「私はハルの部下です。いつだろうと変わりません」
「…………」
「当然……今すぐでも、ない。まだ早すぎるのは分かっています」
部長のポストに入れてくれなどと頼むつもりはない。部長を務めあげるまでの器も力もまだ持ってはいない。
やるにはもっともっと経験が必要だし、ある程度の味方を作っておく必要も、ある。時間も足りない。
そして言うまでもなくハルは班長だ。もし次の段階に行くとすれば、ひとつ上の“代表”から―――。
「空いた椅子は埋めて頂いて結構です。問題は義務とされている班長の試験を一度でも受けた、その後」
「―――代表の推薦、ですか?」
「…いいえ。主任にはただ、彼女の道を邪魔しないで貰いたいだけです」
「……………?」
私の言った意味が分からなかったのだろうか、彼の顔には疑問の色が残っていた。
だが、彼が口を開く前にハルが主任の部下を連れて帰ってきたので、話はそこで打ち切りとなり。
あれよあれよという間に追い出され、ボスに電話する羽目になったのだが………
邪魔さえしてくれなければいい。それだけで私達には十分メリットと呼ぶ価値がある。
試験を免除する推薦など要らない。ボスとは違ってハルはちゃんと正規の手続きや試験を経てのし上がるのだから。
(………贔屓だなんて、二度と思わせないように)
もう、二度と。
(うんまあボスに喧嘩を売ったおかげで、本当に妨害してるってことが分かったんだけどね!)
資料をぐしゃりと握りつぶして、じろりとボスを睨んでおく。全くもって忌々しい。
とにかくこれでボスが色々やったとしても主任が防いでくれるはずだ。ハルはそう遠くない日に代表になれるだろう。
そして晴れて代表になった時、“ボスは決して口を出せない”。そもそもの決定権は主任に与えられているから。
(そうでなくても、今回のことでかなりショック受けてるみたいだし。牽制にはなる)
秘めた私の思惑を知らず、注がれる視線に気づかないふりをして資料を読み続けるボス。
数ヵ月後に見られるであろう彼の慌てぶりを想像しただけで胸がすっとした。やっぱり、いい気味である。
「おい、。にやけてるとこ悪いんだが」
「人を変質者みたいに言わないでください。何ですか?」
「………。……あいつに、会えないか?」
「えぇと…それは、ちょっと今すぐって訳にはいかないというか」
愉快な気分を邪魔されても特に苛立ちは湧かない。ボスへの怒りは大分解消されたようにも思えた。
ただ、声をかけてきたDr.シャマルには悪いのだが、ハッカー自身を動かせない以上会わせるのは難しい。
最後の最後でこき使って倒れてしまったのもある。暫くは静養しなければならないだろう。
「てめ、ここでもまた隠す気か?!」
「いえだってあの病院、基本マフィアお断りですから」
「お前だってマフィアだろうが!」
「昔馴染みなんで、緊急事態だからって捩じ込んでもらったんですよ」
その分の報酬は高くついたし、獄寺にいくら怒鳴られようが受け入れるつもりはない。そんな義務もないし。
しかしシャマルは一応依頼主なのであまり邪険にしたくもなかった。代わりにと私は携帯電話を取り出す。
「電話で話す、くらいなら出来ますけど。どうします?」
「…………。怪我はあとどれくらいで治る?」
「多分半月…もせず退院できるかと。全治するのはもっと先ですけど」
「なら、退院したら知らせてくれ。直接話す。ああ、やっぱ一発殴るかもしれねーな」
「……完治したらお知らせします」
ハッカー、死ななきゃいいけど。二人を会わせるときは同席した方がいいかもしれない。
そんなことを思いつつ、私は携帯をポケットにしまい、資料を掴んだまま立ち上がった。
(ボスの相手は本当に疲れる…主任の相手は何か別の意味でもっと疲れたし)
今頃ハッカーはハルから詳しい話を聞いているだろう。出来れば私もそこに行って、休みたい。
「では資料に何か問題がありましたら、全部明日にお願いします」
「え、さん、もう帰るの?」
「疲れました」
「…そ、そっか。そうだよね。じゃあ明日、朝一で執務室に」
「えぇ?行かなきゃ駄目なんですか?」
――――もちろんそれは、愚問中の愚問だったわけで。