もう分かっていること、まだ分からないこと、どうしても分からなかったこと。

 

 

灰色の夢

 

 

、さ―――ん!!」

 

 

 

扉を開けた途端、腹部に覚えのある衝撃が走り、たたらを踏む。

何となく予想はしていたものの、狭い診療所に加えて絶妙なタイミングで出てこられて避けられない。

 

 

 

「いやだからハル。タックルで人を迎えるのはやめよう、ね?」

さんっ!ホントに、ホントに終わったんですよね?!」

「………。まあ、取りあえずは」

「はい…!」

 

 

 

横っ腹にしがみつく上司をやんわりと引きはがしつつ、部屋の奥でベッドに横たわる男をちらりと見やった。

視線が合うと、彼は軽く片手を挙げて緩く笑みを浮かべる。……私も、少しだけ、笑い返して。

 

腕を引っ張るハルに従い、すっかり慣れてしまったハッカーの病室へと足を踏み入れた。

 

 

 

「―――今の状況、聞いた?」

「ああ。…ま、結果としちゃすっきりしないが、これが俺らの限界だろうな」

「悔しいけどね。今回ばかりは、引き下がるしかない」

「でも、さん。これがハル達の第一歩です!」

「そうね。部長を告発できただけで、十分よ―――」

 

 

 

この部屋にいる誰もが感じていること。それをあえて口にしないことで、次への一歩に向ける。

 

事件は急速に解決へと向かうだろう。私達はその結果を受け止めることしかできない。もう“終わった”ことだから。

私達にとって重要なのはもう部長のことではない。これからまだまだ続くだろう戦いの日々のこと。

だから今だけは暗い話題はやめて、ボスからもぎ取ってきたあの事をハルに伝えることにした。

 

 

 

「そうそう、ハル。ひとついい知らせがあるんだけど」

「はひ?いい…知らせ、ですか?」

「ええ。この人、退院したら新しく九班に配属されることになったの」

「………?」

 

 

 

びしりとハッカーを指さして私は笑う。今回の最大の収穫といえば、彼を得たということなのかもしれない。

いきなりのことに意味を理解できていない二人の表情が余計笑いを誘った。穏やかな気持ちで、私は繰り返す。

 

 

 

「つまり情報部情報処理部門第九班班長、三浦ハルの部下になるってこと」

 

 

 

そして私の新たな同僚になる、というわけだ。決してカルロ達の代わりじゃない。新しい、仲間。

二人の脳に言葉が浸透するまで、しっかり数十秒はかかった。……復活したのはハッカーのほうが早かったけど。

 

 

 

「―――――はあ?!いや待、待てって!そりゃどういう」

「ジャックス・ハーカーは爆破事件で死亡したことになってるんだから、セキュリティ部門に置くわけにはいかない

でしょうが。情報部の下っ端だし給料かなり下がるだろうけど、お金は持ってるんでしょ?きりきり働け!」

「なにー!?つか、九班ってお前もいるんじゃねえか!」

「文句言わない。ボスに許可貰ったから決定事項だっつの。あ、退院の日には迎えに来てあげるから」

「…ば……っ」

 

 

 

一瞬後、部屋中にハッカーの絶叫、もとい悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

馬鹿言うな、というハッカーの叫びを聞きつけた馴染みの医者は、部屋に飛び込んでくるなり

私の頭をカルテを閉じたファイルで殴った。重傷患者をあまり興奮させるな、だそうだ。

 

 

 

「もう、わざわざ角で殴らなくても…」

「はひー、かなりいい音しましたねっ!」

「や、そんな嬉しそうに言わないでくれる?」

 

 

 

鎮静剤を打って出て行く医者を横目で見送りつつ、痛む頭を押さえる。当のハッカーは直ぐに大人しくなり、

数分もしないうちに寝息さえ聞こえてきた。私とハルは顔を見合せて小声でさっきの話を続ける。

 

 

 

「………あの、さん。今のって…本当、ですか?」

「もちろん。前々から欲しいとは思ってたし、ボスが何でも欲しいものひとつくれるって言うから」

「ハルの、部下…に…」

「ボスからの要請があればいつでも貸し出すっていう条件付きで、ね。心強いでしょ?」

「……………」

 

 

 

しかし途端訪れた不自然な沈黙に、正直私は少し慌てた。予想外の反応だったからだ。

 

手放しで喜ぶとは思っていなかったが、もしかして本当に嫌だったのだろうか。

私と同じで彼女もハッカーに対してはそこまで悪感情はないと思い込んでいたが、もしかして違うのだろうか。

 

 

(いや、それとも―――)

 

 

何となく私から口を開くのも躊躇らわれて、その沈黙に付き合う。ハッカーの呼吸音がやけに大きく聞こえた。

 

 

 

「―――怖い、です」

「……?…失うことが?」

「いえっ!…それは、そうなんですけど、そういうことじゃなくて」

 

 

 

ただ漠然と怖いのだと、彼女は言う。どういうことなのだろう。彼女の気持ちを理解できないのが少し、痛い。

 

 

 

「ハルとハッカーさんくらいなら、私が守るから。だから」

「……それ、普通上司が言う台詞じゃないですか?」

「え?ああ。私は暴力担当ってことでひとつ」

「はひ!もう、何ですかそれ―――」

 

 

 

陳腐な台詞しか吐けないことにも、無力感が増した。―――私はまだ、誰かを思いやる心が欠けている。

事件を解決に導いた今でさえもそんなことを思うのは、多分、ろくに変われていないということだろう。

 

それが悲しいことなのだと思えたこと自体、昔の私からすれば驚くべきことなのかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も更けていたため、以前と同じようにこの診療所に泊まらせてもらうことにして。

眠りに就く前に、私は明日のことをハルに報告することにした。朝一でとなると、仕事に支障が出るからだ。

 

 

 

「――え?呼び出されちゃったんですか?」

「単なる最終確認だと思うけどね。今も部長の聴取が続いてるから」

「色々関わってますもんね…はひ、お疲れ様です」

「ハルも来る?一応資料提出した本人だし、構わないでしょう。何か他の事実も分かってるかもしれない」

「……さん」

 

 

 

ほんの軽い気持ちで、誘ったのだ。まあ、ハルが居ればボスに対してやりやすくなるという下心もあったが。

その応えに名を呼ばれて。彼女の声音があまりにも固いことに、私は思わずびくりと肩を震わせた。

 

 

 

「ハル?」

「知ってたんです。…もっとずっと前にそうしなきゃ駄目だったって」

「――何の、話?」

さんと初めて会った時は、特別だったんです。あの仕事が終わったら本当は―――」

 

 

 

独白のように続けられる言葉。問い掛けに気付いているのかいないのか。

彼女は俯き、スーツのスカートをぐっと握りしめて―――血を吐くように、言葉を零した。

 

 

 

「もう、執務室には行きません」

 

 

 

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