確かに、妙だと思わないでもなかったけれど。
ボスの古い知り合いだからと、ただ許されているからだと。
灰色の夢
「さんが来る前、ボスの秘書が殺される事件がありました。ハルは少し、その秘書の人と縁があって」
ぽつりぽつりと紡がれる言葉に黙って耳を傾ける。その頃のことは私には知りようがなく、口を挟めない。
彼女を知った気でいて、やはり知らないことのほうが多いということだ。出会ってからそこまで長くはないけれど。
「彼の仕事を手伝っていたんです。……店で殺された幹部もまた、その関係者でした」
ある事件があって、その事件を秘書が追い、偶然ハルはそれに巻き込まれる形となって秘書を手伝っていた。
だがある日その秘書が殺され、事件をあまり周囲に知られたくないボスは、唯一事情を知るハルに助っ人を頼んだ。
――その最中にマスターの店で関係者が殺害され、情報聴取という点で執務室に呼ばれたのだという。
「だから―――ハルが?」
「はい。雲雀さんとも動いてたんですけど、重鎮の二人が殺されてしまったことでひとまず事件は終わりました。
さんに話を聞くこと、それがハルの最後の役目だったんです」
「………そう、だったのね」
「普通なら下っ端が執務室に入ることなんて出来ません。あの時は、特別、許されていました」
そして今までそれに甘え続けてしまったと、彼女は言う。ボスは優しいからきっと邪険にできなかったのだ、と。
それが真実かどうかはともかく、ハルが比較的気安く執務室に出入りしていたことは間違いなかった。
私は私で、ボスが気軽に呼びつけるものだから仕方なく―――いや、立場を弁えていなかったのは同じか。
情報屋『Xi』という名前を使って、私が底辺にいる人間であることに目を瞑っていた。
そういう意味では、私もまた、ボスの庇護下にいたということになる。………不愉快なことに。
「チョコレートとかクッキーとか、紅茶とか、……馬鹿ですよね。そんなもの差し入れできる立場じゃなかったのに」
「っていうか、喜んで受け取る方も悪いんじゃないかと」
「妬まれても当然です。今までは何の努力もしてこなかったんですから」
「……あの、ハル、聞いてる?」
「だからハルは、もう執務室には行きません。獄寺さん達にも、なるべく会わないようにするつもりです」
私の声は一切届いていないようだった。いやでも本当に、それは受け取る方が悪いような気がする。注意しない周りも。
立場も何も気にしないのはボス達だけであって、他の人間はそうじゃないのに。甘さも方向を間違えるととんでもない。
(……ああ、でも。これがハルの覚悟なんだわ)
「せめて――あの人と同じ部長クラスになるまでは、絶対に――!」
抑えた声から痛々しいまでの決意が垣間見えた気がして、私はそっと目を伏せた。
次の日、早朝。まだ陽が昇る前に私は目を覚ました。
部屋の中は薄暗く、少し離れたベッドにはハルが静かに眠っているのが微かに確認できる程度である。
「………訣別、ね」
この事件を解決すると決めた時にも、そんなことを思った。ボスの力など借りないと。二人だけでやると。
だが今になって、それがまだ甘えを含んでいたものだと分かる。ボンゴレ・ファミリーはあまりにも大きい。
ハルが代表になるのは簡単だと思う。ただ、その次、部長になれるかどうか―――今は何とも言えなかった。
「事件ひとつ解決した程度じゃ、まだまだ……」
もちろん、諦めるつもりなどない。二人と共にいくらでも、行けるところまで走り続けるだけだ。
私は眠る彼女を起こさないよう、静かにスーツに着替えると、そっと部屋を抜け出した。
(本当に、静か……)
早々に地下から出て、誰もいない通りをひっそりと歩く。思うのは当然、今回の事件のこと。
情報部ではどういう騒ぎになっているだろう。それとも、下っ端には何も知らされないのだろうか。
それに主任がどう動いたかも気になっていた。例の計画を伝えるのはもっと先だとして、問題は部長の動機のことである。
多分上からの命令を受けて実行しただろう、パーティー会場爆破事件。なら部長本人の動機はどう定義するのか。
(私が知る由はないんだから、ボスから聞くしかないんだけど)
妙な反応をしないように気をつけておかなければ。最後なんだから、と―――
十分気合を入れて。
ゆっくりと一時間かけてボンゴレに到着した私の目に、見慣れた後姿が映る。
ボスとの喧嘩も報告も終わった以上、何の懸念もない。私は昨日とは真反対な気持ちでその背中に声をかけた。
「…あ、恭弥」
「――――――」
「随分早いのね、珍しい。ボスに招集でもされた?」
白み始めた空を背に、ぴたりと足を止める幼馴染。暫くの沈黙ののち、突如ぐるりと振り向かれて私は驚いた。
そしてそのままわざとらしくため息を吐いた彼は、つかつかと近づいてきて私の左腕をがっしりと掴む。
―――心底呆れたような、そんな呟きと共に。
「…君が、こんなにも馬鹿だとは知らなかったよ」
「へえ?なにそれ。もちろん誉めてるのよね?」
「ああ、そうかもね」
「………はぁ?!」
ついに頭が壊れたか、と悪態を吐く間もなく腕を引っ張られ、ずるずるとボンゴレ本部内へと引き摺られていく。
(ここは『頭まで火傷したの?』とかなんとか言って言葉の応酬が始まるところでしょうが!)
さあ来い!とばかりに身構えていただけに、拍子抜けした私は抵抗する気も起らなかった。
いつものエレベーターに乗り込むまでその腕は掴まれたまま。何がしたかったのかもいまいち分からずに。
九班の部屋で少し休んでから、と思っていたこともすっかり忘れて執務室に辿り着いていた。
「おはよう、さん。早いけど大丈夫?もうちょっと遅いかと思ってたよ」
「私もそうするつもりだったんですが、捕まってしまいまして」
「ああ、雲雀さん。でも良かった、色々やることは山積みだからね」
ボスは昨日とは打って変わって、いつものドン・ボンゴレに戻っていた。私を見る目も穏やかさを取り戻している。
結構追い詰めたつもりだったのに一晩しか持たなかったか。まあ、ボスなんて神経が太くないと出来ない役職だが。
私はかなり分厚い資料を恭弥から受け取りつつ、部屋の中を見渡してみる。予想に反して他には誰もいなかった。
(リボーンも獄寺も山本も、Dr.シャマルも。…何で恭弥だけ?)
不思議に思いながらソファに腰を下ろし、紙の束に視線を落とす。無論、表題は爆破事件のことだ。
「さん。……ハルは、来ないんだね」
「誘いましたが、断られました。後で内容は伝えておきます」
「うん。そうしてくれると、助かるよ」
どこかほっとしたような声に、私はただ頷くしかない。彼女のことでボスを糾弾したのは他ならぬ私だった。
恭弥は緊張感漂う私達のやりとりと黙って聞き流し、無言のまま資料を読むよう促してきた。
(部長が、喋ったこと。情報部が、主任が、“作った”もの)
きっとこの中には真実など一握りしかない、偽りの報告書。そうするよう仕向けたのは、私達。
この事件がどういう結末を迎えたのか。意に反してでも当事者になってしまった私には、見届ける義務がある。
正面に座る恭弥の存在を何故か強く感じながらも、最初の一枚に取り掛かった。
――――犠牲者総勢 82名 生存者 なし――――