この痛みを抱えて、生きていく。

 

 

灰色の夢

 

 

次の瞬間、全身を強くソファに叩きつけられた。

 

 

 

「―――退け、恭弥!」

 

 

 

何が起こったかを頭が理解する前に、口をついた叫び。腕一本で押さえ込まれた身体は少しも動かない。

それでも行かなければという思いだけが私の全身を支配していた。・・・前が、見えない。

 

 

 

「・・・っ、落ち着きなよ、。自分が何してるかわかって―――」

さん、早く手を開いて!血が・・・!」

 

 

 

二人の声が耳元で反響する。手の震えが止まらない。どちらかの手が、私の腕を掴んだことだけは分かる。

その時になって漸く右の手のひらが痛むことに気付いた。ナイフの刃の部分を握り締めていたことにも。

 

遠慮のない強い力で凶器が取り上げられるのを、私は、微かに歪む視界の中他人事のように眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

アレッシア・サリエリ。部長に注意するよう私が頼んだ為に、彼を追った先で殺されてしまった彼女。

残る二人とは違って最後に一目会うことも出来ず、別れさえ言えないまま全てが終わった。

 

だから余計失ったという実感が薄かったのだと思う。―――今ここで、彼女の遺品を目にするまでは。

 

 

(・・・分かっていたのに。知っていたのに・・・)

 

 

湧き上がった衝動は、憎しみに似ている。部長に対してか、・・・私自身に対してかは考えたくない。

 

現実味がなくて袖口に忍ばせたナイフを無意識に手に取った。取った、つもりで、いた。

十年前のあの日から、私はナイフを握りしめることで精神を落ち着かせるという嫌な癖がついている。

 

だから今回もそうしようと思ったのかもしれない。ただ動揺した自分に少し動揺して、手がすべってしまった。

 

 

そう、それだけのこと。

 

 

 

「・・・・・・ああ、・・・間違えた」

「何を?!」

「ここ、いつもは折り畳みナイフいれてたんですよ。爆発事件の後で位置変えたの忘れてました」

「いやそれ意味が分からないから!」

「君、そもそも凶器出して何するつもりだったのさ・・・」

「え。部長刺しに」

 

 

 

ちょっと情報部まで?と部長が収容されているであろう建物がある方角を見ながら言うと、恭弥の腕の力が増した。

その痛みに思わず顔を顰める。手のひらがざっくり切れた所為か手首にまで血が垂れてくる感触も不快だった。

 

とはいえ上手く押さえ込まれて上体を起こすことさえままならない。文句を言おうと口を開くが、それは直ぐに遮られた。

 

 

 

「―――さん。指開ける?」

 

 

 

私から凶器を取り上げたのはボスだったようで、自身が持っていた高そうなハンカチで応急措置をしてくれる。

 

天下のボンゴレ十代目に怪我の手当てをしてもらう。・・・それもかなり甲斐甲斐しく。

例の右腕に知られたら煩いだろうそんな貴重な体験をしているうちに、ゆっくりと頭が冷静さを取り戻していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、自分自身の行動が信じられなかった。現実にそうしたということを充分理解していても、だ。

アレッシアの遺品を見せられた瞬間に湧いた殺意。そして、迷わず武器を手に取ったこと。

 

執務室を飛び出して部長の元へ行き、こんなものを寄越した彼を殺すためだろうか。

それとも自分を傷つけ痛みを感じることで、その殺意を、殺意を覚えたことを誤魔化そうとしたのか。

 

どちらであれ、激昂し二人の前で完全に我を忘れてしまったことに私は酷く驚いていた。

 

 

 

「それで?これ、心当たりはあるんだ」

「・・・・・・その前にまず放してもらえませんか、恭弥さん」

「今部長殺しに行かれたら困るんだけど」

「トンファーに誓って行きません」

「・・・・・・・・・」

 

 

 

私は至極真面目にそう言ったのだが、戯けているとでも取られたのか思いっきり嫌そうな顔をされた。

しかし反抗の意思はないとばかりに体の力を抜くと、渋々といった感じで力を緩めてくれた。

 

・・・ただ、彼の左手が不穏な動きをしているところを見ると・・・次動いたら即トンファーで殴られるような気がする。

 

これ以上痛い思いをするのは遠慮したい。とにかく私はしおらしい態度を作って謝ることにした。

 

 

 

「あの、申し訳ありませんでした。少し、驚いてしまって」

さん・・・このコサージュに何かあるの?調査しても部長の指紋以外何も出てこなかったんだけど」

「――――え?」

「え?・・・俺何か変なこと言った?」

 

 

 

だってあれはアレッシアが当日つけていたもののはずだ。だからこそ部長も私に寄越してきたのだろう。

なら何故彼女の指紋がない?部長が同じものを見つけたから嫌がらせで?でもそんなことに意味は―――

 

とそこまで考えて、カルロ達が元スパイであったという事実を思い出す。全然そうは見えなかったけど。

 

 

(そうは見えないからこそ、スパイ、か)

 

 

考えれば考えるほど死んでしまった同僚の姿が鮮明に蘇り、私はまた目を伏せる。

 

部長が何を思ってこれを寄越したのかは分からない。皮肉なのだとしたら、到底許せるものではないが。

しかしこの小さな装飾品が唯一、あの日の彼女に繋がるものだった。彼女の死を、実感させるものだった。

 

 

再び恭弥が差し出したそれを今度はちゃんと受け取った。軽いのに―――とても、重い。

 

 

 

「全く、おかしなこともあるものよね?恭弥」

「・・・?」

「ああもう、本当に。嫌になるくらい―――」

 

 

 

痛くて悲しくて苦しくて悔しくて、ほんの少し、嬉しい。だって、“帰って”きてくれたのだから。

 

部長がどんな経緯でこれを手にするに至ったのかは、想像するしかないけれど。そんなことはどうでもいい。

気にせず大切な宝物を扱うようにそれをそっと包み込む。ビニールには血がついても、中身は綺麗なまま。

 

私に答える気がないことを流石に悟ったのだろうか、恭弥もボスもそれ以上問いかけてくることもなく。

部長に対する怒りは消えない。でも、もう終わったことだから。私達は既に舞台から降りてしまった。

 

そして次の舞台が誰かに用意されていたとしても、その先に道が続いているのならば行くしかないのだ。

 

 

 

「ボス。最後にひとつ、いいですか」

 

 

どうしても宣言しておかなければならないこと。今回の事件で、痛感したこと。

 

 

「・・・いいよ。何かな」

「この先暫く情報屋『Xi』は休業しますので。だから依頼、持ってこないでくださいね」

、さん・・・・・・」

「報酬積んでも駄目ですからって、ディーノさんにもそう伝えてください」

 

 

 

ハルが、部長クラスになるまでは絶対に執務室に行かない、と言ってその一歩を踏み出したように。

その第一部下である私も色々と考え直さなければならないことがある。周りをちゃんと見るためにも。

 

 

 

「あと恭弥、部長に『嬉しいプレゼント、本当にありがとうございます』って嫌味たらしく言っといて」

「―――――何で」

 

 

 

僕が、と続くのは予想していたので私は更に声を張り上げる。笑顔が付けばなおいいんだけど、とは言えずに。

 

 

 

「ではこれで失礼します。今回は本当に―――お世話になりました」

 

 

 

さようなら。と、声には出さず心の中で呟く。・・・・・・最後まで、涙は出なかった。

 

 

 

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