目が覚めてから暫くは、自分に何が起こったのか分からなかった。

訳も分からぬまま一歩踏み出した。―――次の瞬間、私はバランスを崩しその場に崩れ落ちる。

 

平衡感覚を失った身体。歪む視界。失明したと気付くのに、どれだけの時間を要したのか。

 

 

……あれから十年近くの月日が流れた。

未だ半分暗闇に閉ざされたままの視界と、幾度検査を重ねても異常のない“右目”。

 

 

ならば、今、この右目は何を見ているというのだろう。

 

(そして、何故それを認識できないのか――――)

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

男が立っている。誰か、は分からない。その男はゆっくりと口角を上げ、薄ら寒い笑顔を作った。

ただ見守るしかない私を他所に、そのまま―――口を、開いて。何か言葉を――――

 

 

 

「…………っ!」

 

 

 

私は瞬時に目を覚ました。いや、飛び起きたといった方が正しいかもしれない。

 

何だろう、途轍もなく嫌な夢を見たような気がしたのだが、思い出せない。今も少し首筋に鳥肌が立っている。

そこを無意識に手で押さえつつ、私はすっかり馴染んでしまった部屋をぐるりと見渡した。

 

 

 

 

 

三浦ハルが代表の一人に就任し、情報部情報処理部門第九班が事実上瓦解した時から既に数ヶ月。

ハッカーと共に第五班に吸収された私は普段通りの日々を送っていた。違うのは、周囲に人が増えたくらいか。

 

もちろん地位の差が開いてしまったハルとは中々会えず、もう共に昼食をとることも数えるほどしかなく。

お互いの情報を交換するためと称し、こうして泊まりに来るのが日課になっている。

 

つまり、正真正銘“同棲”状態というわけだ。彼女の料理がかなり美味しいのも、その理由のひとつだった。

 

 

(これって一歩間違えればヒモよね。ヒモ)

 

 

食材は私が用意しているとはいえ、その調理に関してはほぼ頼ってしまっている。

全開の笑顔で『任せてください!』と言うハルの強い押しに負けた……というのは言い訳だろう。

 

ならばせめてと片付けを買って出ているが、毎回気合の入った料理を食卓に並べるハルには参りましたと言うほかはない。

 

 

今日も今日とて既にコーヒーの香りが漂っているあたり、己の不精さを再認識させられるだけに終わった。

 

 

 

さん、おはようございます!」

 

 

 

香ばしい匂いにつられるように入ったリビングで、落ち着いた色のエプロンを着けたハルに声を掛けられた。

彼女は小さなブレッドを皿に置きながら、笑顔で座るよう促す。こそばゆい気持ちを抑えて私もそっと、笑い返した。

 

 

 

「おはよう、ハル。にしても、今日は随分早くない?」

「あ、そうですそれなんです!夜中にメールが届いてて驚いたんですけどっ」

「メール?…何の?」

「はい!出張でずっといなかった友達がイタリアに帰ってくるそうなんです!もう今から楽しみで―――」

 

 

 

あ、だから今夜は遅くなると思うので鍋のシチュー食べちゃってくださいね。

そう言ってハルはとても嬉しそうに笑う。私より何年も長くボンゴレにいるから、友人が多いのは当然だ。

 

事件で犠牲になった南支部の彼らのような、そんな誰かなのだろう、と私は深く考えず頷いた。

 

 

―――この時に少しでも聞いておけばよかったと後悔することを、知る由もなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボンゴレファミリー情報部情報処理部門第五班。

宛がわれた窓際の席で、私はハッカーと並んで日々の仕事に取り掛かっていた。

 

周囲との兼ね合いも考慮して、昼前に終わらせたとしてもそれをわざわざ言うことはしない。

ここで嫌な目立ち方をすれば―――空気が悪くなることくらい、分かっている。調和は大事だった。

 

 

(また、あの時のような事が起こらないとも限らないし……)

 

 

私達が痛感し、そして学んだこと。同じ事を繰り返さないための努力は、継続してこそ意味がある。

 

 

 

 

執務室には行かない、とハルが宣言してから今まで。彼女は一度たりともそちらに足を向けることはなかった。

最初の頃こそ獄寺や山本が何やら様子を伺いに来ていたようだが、仕事が忙しいとアピールしている内にそれも消えた。

 

まあ、ボンゴレの外でそうと悟られないよう会うだけなら、別に責められるようなことではないと思うけれど。

 

 

 

「おい、。コーヒー回ってきたぞ」

「………。……煎茶が飲みたい」

「贅沢言うな。帰ってからハルに淹れてもらえ」

「今日遅いって。もしかしたら泊まりかも」

「……だったら自分で淹れろ」

「…………」

 

 

 

ハッカーから差し出されたコーヒーを受け取りつつ、私は彼のパソコンをちらりと見やる。

当然私と同じように仕事は既に終わっているだろうから、今やっているのはお得意の遊び、ハッキングだ。

 

もし何らかの情報を得た場合は、それを私に流すことを条件に黙認している。……ボンゴレには悪いが。

 

 

 

「で?また妙なところに首突っ込んでるんじゃないでしょうね」

「いや…。…まだ分からないな」

「……どういうこと?」

 

 

 

いつものことだからと茶化したつもりの台詞に、意外な反応が返ってきて私は思わず声を低くした。

同じ事は三度あるというがまさか、という思いでハッカーを見返す。しかし、彼自身もまた戸惑っているようだった。

 

 

 

「個人的なルートで、昨日垂れ込みがあった。また麻薬だと」

「何それ、また?ボンゴレが今どれだけ厳重に規制してると思って―――」

「だろ?…だから単にガセって可能性も高い。ったく、折角落ち着いて来た所だってのに」

「……誰が関わってるかっていうのも分からないのね?」

「ああ。それが前回みたいに幹部なのか、この辺りの人間なのか程度のことすら、な」

 

 

 

私がボンゴレと関わるきっかけになった、あの事件のようなことがまた起こるというのだろうか。

もしそうだとしても私達が関われるようなことではないだろう。『Xi』として依頼を受けることもない。

 

手柄を立てるには何かしらの事件に関わった方が手っ取り早いものの、連続してそれでは明らかにやりすぎだ。

 

 

 

「じゃあ、何か分かったら教えて。昼食ついでに買ってきてあげるから」

「了解。――ああ、流石に一週間ぶっ続けでピザは飽きたから止めろ」

「……ちっ。サービス券まだ余ってるのに」

「っ、溜めた本人に使わせろよ!俺に食わすな!!」

 

 

 

―――そう、巻き込まれない限り、は。

 

 

 

 

 

 

 

 

ハルじゃあるまいし、一週間ピザ漬けは三十路前の胃には辛かったようである。若くない証拠だな。

体調を崩されても困るので、大人しくあっさり目の弁当を買ってボンゴレに戻り、廊下を歩くこと数分。

 

昼時でありながら誰ともすれ違わないことに、私はふと違和感を覚えて立ち止まる。

 

 

(……………何?)

 

 

その瞬間、向こうから人が歩いてくる気配を感じた。さっきの感覚は気の所為かと私は一歩踏み出す。

いや、踏み出したそのままに私は硬直していた。目の前に男が立っている。見覚えのありすぎる顔だ。

 

 

その男はゆっくりと口角を上げ、目元を和ませ、文字通りにっこりと笑ってみせた。

 

 

 

「恭、弥?」

「ああ――、    おはよう」

 

 

 

言葉が耳に届く寸前、反射的に手が動いた。

 

 

 

 

←第五章へBack  Next→