頭のどこかが、じくりと痛んだ。…ような、気がした。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

、お前は今まで腹痛で医務室に行ってたんだ。わかったか」

「は?いきなり何の話?」

「あーくそっ……、次は絶対庇ってやらないからな……!」

 

 

 

就業時間内に単独行動するのはよせ、と戻った途端ハッカーにたっぷり説教されて、私は思わず黙り込んだ。

五班に入ってからもう暫く経つというのに。余りに動揺していたせいか、そんな事にも気が回らなかった。

ハッカーが私の不在をそうやって誤魔化してくれなければ確かに、正直、ただのサボりに見えただろう。

 

書類が完成していたことも、減点対象にならずに済んだ大きな理由らしいが――――

 

 

(そういうわけだから病人っぽく振舞え、って。まあ分かるけど)

 

 

五班班長の心配そうな視線に笑顔を返しながら、私は大人しくハッカーの隣に腰を下ろした。

 

―――しかし、あえてそうしなくても具合が悪いのは事実だったけれども。

 

 

 

「……………不覚……」

 

 

 

私は左腕を軽く押さえて深い溜息を吐いた。未だにそこはじんじんと痛み、己の不甲斐無さを私に訴えかけている。

長いデスクワークはやはり体を鈍らせる。さっき、恭弥の攻撃をかわし切れず一発、受けてしまったのである。

 

幼馴染の手前何でもない振りをしたものの、……時間が経つごとに痛みが増してくるのは気の所為だろうか。

 

 

 

「まさか、……骨とか?」

 

 

 

ぼそりと呟いた自分の台詞には信憑性がありすぎた。今まで数え切れないほど骨折してきた経験がある。

もちろん折れてはいないだろうし、砕けているとも思えない。殴った本人がその感触に気付かない筈はないからだ。

 

だからこの分だと少なくとも軽くひびが入っている―――可能性が、高い。本当に情けないことだった。

 

 

 

結局、恭弥に売った喧嘩は表面上引き分けに終わった。内容的には向こうに軍配が上がるだろう。

本題の議論は平行線を辿り、六道骸への対処に関する何かしらの約束さえ勝ち取れなかったのだから。

 

 

(しかも名前を出そうとするだけで嫌な顔するし。虫唾が走る、とか言って)

 

 

常にはない態度に、余計興味が湧いてしまいそうだった。……履歴真っ白の怪しすぎる“守護者”でさえなければ。

 

 

 

「お、そうだ。さっきハルが来てこれ置いてったぞ」

 

 

 

差し入れだと。と目の前に差し出されたクッキーに、思わず体から力が抜けるのが分かった。

迷わず手を伸ばして口に入れる。すぐに広がる甘い味が心地いい。そういえば朝も、この良い匂いがしていた。

 

 

 

「おい、次からはちゃんとどこ行くかくらい言っとけよ」

「……時間があったらね。善処しとく」

「お前の善処は“やらない”って意味だろうが!」

 

 

 

ハッカーの喚き立てる声を聞きながら、腕の痛みも忘れて私は深く考え込んだ。

 

 

自分で自分が理解できない。六道骸という存在に対して、私はなぜこんなにも強い警戒心を覚えるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事を終えボンゴレを出た私は、まっすぐハルの家に一番近いスーパーマーケットに向かった。

買い置きのお菓子が少なくなっているはずだからである。腫れてきた左腕は、帰ってから適当に処置するつもりだ。

 

本当ならあの地下道にある医者の所へ行きたいところだったのだが、いかんせん長い間迷惑を掛け過ぎた。

比較的小さい診療所の一室をハッカーが完治するまで占領していたことと、マフィアである人間を捩じ込んだこと。

 

 

(グレーゾーンであれはちょっと、無理を言い過ぎていたから――――)

 

 

それなりの報酬は支払ったものの、命にかかわる状態じゃなきゃ当分来るな、と言われている。

 

他に医者と言えばシャマルの診療所もここから近いが、彼はボスと繋がっているので嫌だった。

 

 

 

「ま、死ぬような怪我じゃないし大丈夫大丈夫。っと、お菓子は確か場所が変わって……」

 

 

 

左手をあまり使いたくないので手押し車のチェーンを外し、目的のコーナーへと向かう。

 

ふと気を抜けば六道骸のことばかり考えていた。いくら考えても、答えは出ないままに。

恭弥が指摘したように、私のこの反応は過剰なのだろうか。出会い頭に仕掛けられたから警戒しているだけなのか。

 

 

(単に幻術が怖い、とか?それとも―――)

 

 

あの幻覚。爽やかに笑う恭弥の姿があまりにも気持ち悪かったから、ナイフを投げてしまったけれど。

一瞬で嫌悪感が胸を満たした。吐きそうなほど。それは幻覚だったから?本物の恭弥だったら、そうは思わない?

 

 

 

「………確かめようにも、恭弥相手じゃあねえ」

 

 

 

背景に百合の花を咲かせる心持ちで爽やかに笑って?と懇切丁寧にお願いしても、殴られるだけだろう。

というかそもそも不可能かもしれないし。嘘でもあんな顔が出来るなら、もっと社交的で明るい性格になって………

 

………いや、よそう。あの爽やか雲雀恭弥君とプラスして、本当に夢に出てきそうだ。

 

私は頭を振って想像を追いやり、一昨日のハル感謝デーで消費したチョコレートを買おうと、手を伸ばした。

 

 

 

「―――っそこの女、待つびょん!」

 

 

 

最初、それは自分に向けて言われていることだとは気付かなかった。全く知らない声だったからだ。

場違いなまでに大きいそんな怒声は、焦れたような舌打ちと共にもう一度紡がれ。

 

流石に無視することが出来ず振り向こうとした、次の瞬間には―――右手を、強い力でがっしり掴まれていた。

 

 

(……っ、速い……?!)

 

 

声の発生源からここまで、十メートル以上。その間響いた足音の数は明らかに跳躍のそれ。

一般人、いや素人ではあり得ないと瞬時に結論を叩き出した私は、相手を敵と認識し、攻撃を受けたと判断。

 

 

即座に掴まれた手を逆に捻り外そうと―――して、次に紡がれた言葉にぽかんと口を開けた。

 

 

 

「そのチョコレート、ぜーんぶオレらに寄越すびょん!」

「………………。………はい?」

「んあ、文句あっか?!それはオレらのもんって決まってんの!」

「…………………」

 

 

 

この青年は一体何を言っているのだろうか。私は言葉を失ってただ寄越せと喚く様子を眺めるしかない。

もしこれがお金を払った後だったならカツアゲだと思えるのだが、一応お金を払う用意はあるようだ。

 

しかし初対面の女性の腕をむんずと掴んでこれはないだろう。……それに、この棚にあるもの全てを買うつもりなのか。

 

 

 

「あの、私が欲しいのは一袋だけなん」

「うるへー!いっこでもダメ!ぜってーダメ!」

「な……」

 

 

 

姿形は明らかに私と同年代だと分かるのに、この言い草はまるで子供の癇癪としか思えない。

すわ襲撃かと構えていたところにコレである。左腕は痛むし六道骸のことも未だ頭の隅に残っていた。

 

 

(なんかこう、大人げないって気がするけどでも、……物凄く腹立つ!)

 

 

いい歳した大人が、チョコレートひとつで喧嘩売るな。それを買おうとしてる私も相当なものだと思うけど!

 

 

 

「っ、後から来てそれはないんじゃないですか?それにまず手離してください」

「……なに、おまえ。じゃー勝負するわけ?女のくせに」

「チョコレートで何の勝負をするんですか何の」

「そりゃー決まってんじゃん。ぶっ殺―――いてっ!」

 

 

 

今殺し合いって言ったよねこのひと。ぶっ殺し合いって言ったよねこのひと。

 

ただその不穏な言葉は、喚く青年を後ろから誰かが殴ったことで止められた。いや、仲間と言うべきか。

 

 

 

「……いちいち騒ぎを起こすな、犬。………めんどい」

 

 

 

しかもなんか後から来たこの人も普通じゃないような気が、する――――

 

 

 

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