背筋が震える。冷や汗をかく。体温が下がり―――私は思わず一歩下がった。
胸の内に沸き起こるこの感情は、いったい何なのだろう。
………頭が、痛い。
灰色の夢
「へ?骸さん、この女と知り合いなんれすか!?」
「知り合い……というか、昼に少しお会いしただけですよ。ほら、この間話したでしょう」
「……………まさか。……三浦ハルの、部下……」
「雲雀恭弥の幼馴染、とも」
私を差し置いて勝手に会話を始める連中を尻目に、突然襲ってきた頭痛に戸惑う。
体調管理は行き届いていると自負しているし、現に数分前までは何ともなかったのだ。
原因があるとすれば………六道骸。この男が現れた所為だ、と言えなくもない。しかし荒唐無稽な話だった。
私が彼に関する何らかのトラウマを伴う因縁を持っている、というのならば話は別だが完全に初対面である。
幻術使いなどという人間も会ったことはなく、六道骸自身もまた、その態度からして私に会ったことなどないだろう。
(ハルと暮らしてから食生活はかなり充実してるし―――)
そういえば昼、六道骸に幻術とやらを仕掛けられた時にも同じような頭痛がした、気がする。
「はっ!さてはこいつ、俺らの邪魔しに来たんら?!」
「なるほど、僕の好物を知っていて待ち伏せていたというわけですか」
「ハルから連絡受けたんらろ!こら、吐け!」
「………………めんどい」
あの、ちょっとこの人達殴ってみてもいいですか。柿本って人、面倒だからって放置しない!
人が真剣に考えているのにこのふざけた会話はどうだろう。約一名、ふざけている自覚がない人間がいるが。
ただ明らかに悪乗りしている六道骸を睨みつけて、私は半ば怒鳴るように口を開いた。頭痛がする。
「黙って聞いてれば何ですか!チョコレート売り場で待ち伏せするなんて聞いたことありませんけど!?」
「まあ普通はそうですけどね。しかし万が一ということもあります」
「ありません。それに貴方の好みなんかどうでもいいです、分かってて乗るの止めてもらえませんか」
「ああ、気にしないでください。ただの嫌がらせです」
「……………。………はい?」
やけにあっさりと開き直られて、私は正直呆気にとられた。この胡散臭い爽やかさはいっそ清々しささえ感じる。
ここで肯定するということは、昼間のアレも嫌がらせだったと思っていいのだろうか。嫌がらせ――でも、何の?
雲雀恭弥へのものだろうか?いや、私にちょっかいを掛けたとしても無意味だ。今日の態度はそれを物語っている。
初対面で嫌われているとなるとやはり何か―――と過去の悪行の数々を思い返していると、くす、と笑われた。
嘲笑の色がない、純粋な響きに目線を上げると、彼はにっこり笑いつつさらりと理由を告げた。
「僕はマフィアが大嫌いでしてね。見るとついつい苛めてしまうんですよ」
すみません悪気はないんですが。と明らかに嘘っぽいことを付け加えて、笑みを深める。
でも、その言葉が。なぜか、するりと入ってきて。私は無意識のうちに同意の言葉を返していた。
「―――奇遇ですね。私も大嫌いです」
「は……。………そう、…ですか」
「骸さん?何れすか?」
「いえ――――」
彼は一瞬だけ剣呑な光を浮かべたものの、即座にそれを隠してまた笑顔になる。
まるで本音を晒したことを後悔するかのように。合わせた視線の奥で、自嘲の色がきらめいた。
私はそれに気付かなかった振りをして、お互いその嫌いなマフィアだろうということは突っ込まずにおく。
突っ込み返されても返答に困るからだ。また―――彼らの経歴に存在する空白の詳細を知りたいとも思わない。
………それは六道骸の側も同じだったのだと、私は知る由もなかったが。
「そういうわけですので、それじゃ、これ一袋頂いていきますね」
「あ―っ!待てドロボー!」
「困りましたねえ。それがないと僕は力が出ないんですが」
「………骸様…」
嘘をつくな嘘を。見えなくても声が笑ってるっての!
そう言いたいのを堪えて私は彼に背を向け、キャンキャン喚く男の方へカートを蹴り、隙をついて脇を通りぬけた。
その後神速でレジに通し、会計の終わったチョコレートを鞄に突っ込んで私は走り―――出そうと、して。
はっと気付いてしまった。スーパーマーケット出口横のコンテナの陰に隠れ、先程の会話を思い出す。
確か、そう確かあの犬とかいう青年は、『ハルから連絡を受けただろう』といちゃもんをつけてこなかったか?
しかしハルは今頃久々に出張から帰ってきた友達と会っているはず。と、いうことは。
(アレが友達……?!あの奇妙な三人組が、)
社交的なハルのことだ、この先お友達を紹介します!と言って来かねない。いや、来る。
この調子でまた嫌がらせされたのではたまったものではないと、私はハルに事情を詳しく話そうと心に決めた。
………不思議なことに、あの酷い頭痛はいつのまにか消えていた。
「クフフ、思った以上に楽しい方でしたね。彼女は」
「結局チョコレート取られたびょん!次会ったらぜってーシメる!」
「………ボンゴレに入る前の経歴はほぼ捏造だと聞いてますが」
「訳ありということでしょう。――――我々と同じように」
少しばかり興味はありますが、ね。左右の目の色が違う男は、不穏な表情と共に目を眇めた。
イタリア南部のとある大きな病院の片隅に、ゆうに十三年もの間ずっと眠り続けている男がいる。
原因は一切不明。目立った外傷もなければ、頭部に損傷があるという記録もない。いたって健康体だ。
彼は突然数日行方不明になった後、どこかの廃屋の中“眠ったままの状態”で発見された。
男はかなり裕福な家庭に育っていた為、家族は死に物狂いで医者を探し、治療法を探した。
Dr.シャマルもまたその治療を請け負ったひとりである。昔少しだけ本人と付き合いがあったからだ。
……しかし結果は打つ手なし。男は一瞬たりとも意識を取り戻さないまま、今も昏々と眠り続けている。
救えなかった患者は、何も彼ひとりではない。だがいつまでもしこりとなって残っていたのは確かだった。
「お前はまだ、生きてるからな―――」
シャマルは病室の壁に凭れて、“彼”を見る。ここに来るのは数年ぶりだった。正直、忘れかけても、いた。
男の治療の際、唯一手がかりとして残ったデータがある。それだけが明らかに普通の人間と違っていた。
それを思い出したのはあの日、背中に火傷を負ったが診察に来たあの日のこと。
似ている。直感的にそう思った。
二人を見送った後保存したデータを徹夜で検証してみると、やはりそれが気のせいではない事がわかった。
(とはいえ、あっちは普通に活動できてるわけだが。その違いが何なのか)
彼女自身、何も知らないかもしれない。ただの偶然か。それでもこのチャンスを逃すつもりは、ない。
「さあて。――――行くとするか」
もしいつの日か治療が成功して。こいつの目が覚めたら、ひとつ聞いてみたいことがある。
十数年もの長い間、お前は一体何の夢を見ていたのか、と。