もうひとつの、出会い。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

シャマルの話は、ごくごく単純なものだった。会ってほしい人間がいる、正にそれが全てだったらしい。

その人物はマフィアではなく、かといって一般庶民でもない。言うなれば御曹司、といったところか。

 

マフィアではない―――と知った途端肩の力が抜けたのは仕方のないことだろう。少なくとも私の敵ではないからだ。

しかし見知らぬ青年と会って何の話をしろと?そう疑問に思ったが、会うだけでいいと言われ詳しい事は分からなかった。

『Xi』の情報が欲しい、とか?今回は別に向こうが会いたいと言っている訳でもないらしいのだが……。

 

 

(六道骸とその仲間の情報と引き換え、にしてはまあ軽い仕事かも)

 

 

単純さ故の落とし穴がある可能性は頭の片隅に置いて、少々のことがあっても目を瞑ることにする。

シャマルも同席するというし、万が一の場合は即座に盾にしてやると心に誓いつつ、私はその話に頷いた。

 

 

 

「分かりました。では、いつがいいですか?」

「ん、そうだな。俺は特に仕事は入っちゃいねーから、お前さんの都合に合わせるぜ」

「それはどうも。ただ都合、と言っても有休が残ってますので融通は利きますよ」

「あー……ちょっと待ってろ」

 

 

 

彼は机の上に放置された本の山から小さな手帳を掘り出し、何やら調べ始めた。

それを何となしに見守りながら、私はまた六道骸を思い出す。マフィアに復讐した彼らのこと。

 

出会いが出会いだったので、その話を聞かされた今でもあまり印象が良くなったとは言えない。

ただ、理解は出来るような気がした。少なくとも――――彼らが過去胸に抱いた感情の一欠けら程度は。

同情よりも共感に近い、なにか。マフィアが大嫌いだと言った骸に思わず同調してしまったように。

何となくだが、今日一日で受けた意味不明な屈辱の数々を許してもいいような気がした。

 

 

………それが勘違いも甚だしい驕りであったことなど、今は、気付きもせずに。

 

 

 

「それじゃあ、来週にお伺いします」

「近くで連絡入れてくれ。車で拾ってやるから」

「……。お願いですから、飲酒運転だけは絶対に止めてくださいね」

「ばっ、誰がするか!」

「しそうだから言ってるんじゃないですか」

 

 

 

しねーよ!と叫ぶおっさんを放置して、持ち込んだ鍋その他一式を抱え私は部屋を出る。

確かに食べてもいいとは言ったが、本当に遠慮せず何度もお代わりしてくれやがった所為で中身は見事に空だ。

まあ、その分軽くなったので傷ついた腕には負担がかからなくていいのは喜ぶべきことかもしれないが。

 

外はすっかり暗く、右手に大きなバスケットをぶら下げていても特に注目を集めることはない。

私はシャマルの診療所を出ると、真っ直ぐハルの家へと足を向けた。もう寄り道をする元気も残っていなかった。

 

 

(ハル……は、まだ帰ってない、かな。ってか今頃……)

 

 

あのマフィア嫌いの三人組と仲良くパーティーでもしているのだろうか。あまり想像がつかないけれども。

しかし今朝ハルがあんなに楽しそうにしていたということは、かなり仲が良いということだろう。

信じられない―――とは思わない。初対面のカルロ達とでさえ、たった数時間で打ち解けてしまった彼女ならば。

 

友達の友達は友達、などと真剣に言い出しそうなくらい、超弩級にお人好しなハル。

同じ家に住んでいるとはいえ、五班に配属されてからは滅多に本部で会わなくなった私の上司。

 

 

 

さんのぉ、浮気もの―――っ!!」

 

 

 

そうそう、こうやって時々妙な事を口走るから目が離せない……って、待て。今の声はなんだ。

何か物凄く不名誉なことを名指しで言われて、私は立ち止まる。目的地は直ぐそこまで迫っていた。

 

 

 

「……だめ、ハル。そんなところで座り込んだら、汚れちゃう……」

「クロームちゃん……っさんが、さんが、こんな時間まで……!」

「うん……、わかった。だから、まず家に入ろ……?」

 

 

 

聞き慣れた同居人の悲痛な叫び声と、そこに宥めるような響きを持った、平坦な、感情の見えない声が続く。

関わらない方が良さそうな予感を無理矢理押さえ付け、私はゆっくりと、軋む首を叱咤しつつ視線をそちらに向けた。

 

途端、視界に飛び込んできたのは―――淡い色のワンピースを身に纏ったハルが地面にへたり込んでいる姿だった。

その隣には何とか立たせようと必死に彼女の腕を引っ張る、ひとりの女性。

 

 

(………え?……いや、………?)

 

 

一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、あの幻術使いに似ているような、錯覚を、………起こして。

驚いて瞬きした後、もちろんすぐに違うと分かった。性別からして違うのにと私は軽く自嘲する。

 

いい加減過敏になりすぎているのかもしれない。恭弥の言う通り―――初めての“幻覚”に怯えているだけなのか。

よくよく見てみると微妙に髪型が似ているので、この夜の闇に紛れて見間違えたというのが正解だろう。

警戒するに越したことはないんだけど、と口の中で呟いて、そのまま家の前から動かない二人に歩み寄る。

 

 

 

「ハル。……ほら、立って」

「うぅ……さん、まさか朝帰りですかっ!はひ、ハルはそんな風に育てた覚えは……!」

 

 

 

晩御飯食べるだけだって言ったじゃないですか、などとハルは私にとって支離滅裂な言葉を吐き続ける。

普段も突飛な発想はするが、これは多分酒が入ってるな。夜の道端で叫ぶところからしてそもそも挙動がおかしい。

 

ああしかし、しかしだ。確かに仕事の依頼の話をしていて遅くなったのは認める。晩御飯どころの時間ではないことも。

ただそれだけで妄想を膨らませられても、困るとしか言いようがない。今すぐ怒鳴って反論したい衝動を何とか堪えた。

まあハルのことだ、百歩譲って妄想はしてもいいが出来れば口には出さないでほしい。しかも、こんな街中で。

とにかくそのクロームという女性を手伝って、あの近所迷惑な酔っ払いを寝室に放り込むのが一番の解決策だ。

 

 

私はそう判断して、静かに且つ極力穏やかに声を掛けようと―――――

 

 

 

「はっ…!朝帰り、ってそんな、雲雀さんにどう言い訳をするんですかあっ!?」

「っなもん知るか―――!!」

 

 

 

したのだが、我慢できなかった。しまったと頭の片隅で思いながらも一度滑り出た言葉は取り消せない。

 

その大声にさえ気付かずめそめそと喚くハルと、俊敏な動きで振り向いた、はっと目を瞠るほどの美人と。

思わず突っ込みを入れた口を左手で覆った私との三人は、何とも言えない奇妙な空気に包まれた。

 

 

 

「………………え?」

 

 

 

たっぷり数十秒が経過した時に落とされた、不思議そうな呟きに滲むある種の警戒心。

 

瞬時にマフィア関係者だと悟らざるを得ないその鋭さに、私は明後日の方向を見やって溜息を吐くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つーか、なんで俺らが送んなきゃいけねーびょん」

「調子に乗って飲ませ過ぎだ、犬………」

「ちぇっ。骸さんはあのヤローと仕事らっつって……っあー、胸糞わりー!」

「仕方ない。今回の仕事は守護者じゃないと――――」

 

 

 

ハルの家から少し離れた道路脇に停められた黒い車の中で、そんな会話がやり取りされている。

例の同居人が留守でなければ暇潰しに襲撃する気満々だった青年が近くに居たことを、当の本人は知らないまま。

 

 

 

「あーあ。あの女が居たらぜってーシメるつもりらったのによー。マジさいあく」

「……………………めんどい」

「…………千種、そればっかじゃん……」

「……………………眠い」

「…………………」

 

 

 

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