「………それじゃ、」

 

さよなら。そう小さく呟かれた声に、私は何とか笑みを浮かべた。

 

 

 

灰色の夢

 

 

 

警戒心丸出しで、半ば睨みつけるように強くこちらを見据える、息を呑むほどの美人。

その迫力に圧されかけるも、彼女の動作がハルを庇うためのものであったと気付いて、少し気を取り直した。

 

クロームという女性が何者だったとしても――――ハルの味方であるならば。私が今必要以上に警戒する意味は、ない。

 

 

 

「えー、と。あの、初めまして」

 

 

 

そこの酔っ払いの同居人なんですけれども、とまずは軽く両手を挙げて挨拶ひとつ。所属を答える義務はないだろう。

相手がマフィア……つまりボンゴレファミリーの関係者だとしても。

いやだからこそ、情報部に籍を置いているということは軽々しく口に出すべきではない。

以前の事件で、本部内のどこかに見えない敵が居ることを知ったのだから。信用できるか判断できるまでは、まだ。

 

 

分かりやすく敵意が無いことを示したのが良かったのか、それとも片手に下げた鍋セットが緊張感を崩したのか。

神秘的な瞳を持つ女性は、やがてゆっくりと肩の力を抜いて、ほんの僅かに首を傾げた。

 

 

 

「……あなたが、“”?」

「………っ……」

 

 

 

名前を言う前にそう呼ばれて、驚くよりもまず先にやはりボンゴレかと納得する。

そしてハルを家まで送っているということは、例の三人組と同じく『三浦ハルの友人』なのだろうか。

確かにたとえ友人だからといっても、こんな夜遅くまで男三人女一人だけで遊ぶというのはデリカシーがなさすぎる。

 

まして最近は接触を絶っているにしろ、あの過保護な沢田綱吉が黙っている筈はないな、と苦笑が浮かんだ。

 

 

 

「ええ、はい。といいます。……失礼ですが、私のことをどこで?」

「……っ!……ごめん、なさい。私――――」

「―――――――」

 

 

 

今にも零れるかと思えるほど大きく見開かれた瞳。血腥い裏の世界で生きているというのに、やけに澄んだ色。

申し訳なさの滲む純真とも呼べる視線に貫かれて、私は思わずぐっと言葉に詰まって身を引いた。

何故かこちらの方がごめんなさい、と言いたくなるほどの奇妙な罪悪感に囚われる。悪いことなどしていないのだが。

 

 

(ああいや、別に名前くらい何てことないし……っ、だからそうじゃなくて!)

 

 

よくよく考えれば六道骸とその一味は名前だけでなく本名も知っていた。彼女もその線から知ったのだろう。

……そもそもの情報は一体どこから、と疑問に思わないでもないが。それはお互い様と言えなくもない。

Dr.シャマルに聞いた六道骸の話には彼女のことは無かったが、いらぬ過去を掘り返すのはもう充分だった。

 

消し去ってしまいたい私自身の過去さえも思い起こさせるから、余計に―――。

 

クロームという名の女性は、六道骸の仲間の可能性が高いがハルの友人。ただそれだけのこと。

俯いて黙り込んでしまった彼女に私は努めて優しく声を掛け、まず地面に座り込んだ酔っ払いを何とかすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

さん、浮気ですかっ!」

「はい違う違う。人聞きの悪いこと言わないでねー」

「でもでも、おかしいですよこんな時間にっ!雲雀さんというものがありながらっ!」

「雲雀……?は、あのひとと恋人なの?」

「ない!つーか断じて違うっ!そこ、酔っ払いの戯言なんか本気にしなくていいから!」

「そう、なんだ……?」

 

 

 

しつこく喚くハルを二人で宥めているうちに、自然と初対面の蟠りが無くなっているのに気付く。

大人しい顔をしていながらもさり気なく疑いの目で見てくるあたり、外見通りとは思わない方がいいのだろう。

どういう人物かは、一応人を見る目のあるハルに、酒が抜けてから訊ねてみれば済むことだ。

 

 

さて―――それからどれくらいの時間が経ったのか。

ハルをベッドに押し込んで寝かしつけていると、クロームが突然立ち上がり、帰ると言い出した。

何でも仲間を外に待たせているらしい。実際、夜道を二人で歩いてきた訳ではないのは推察出来た。

 

ただ、些か嫌な予感がしたので見送るのは出口までに留め、その仲間とやらには会わないことにして。

 

 

 

「手伝ってくれてありがとう、……クローム」

「うん。……どういたしまして」

 

 

 

喉をどんな風に震わせればこんな可憐な音が出せるのだろう、と思ってしまうほどの透明な声を残して。

ろくに足音も立てず去っていく彼女の細い背に―――また何故か、あの迷惑極まりない男の姿がだぶって見える。

 

 

(………ああもう、相当毒されてるな……)

 

 

溜息と共に幾度か首を振れば、その幻影は綺麗さっぱり姿を消し、それが現実ではないと分かるのに。

 

私が“六道骸”と“クローム髑髏”との不可思議な関係を知るのは、なんとゆうに一年が経ってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………。チェンジ」

 

 

 

執務室に入ってきた雲雀は、先に待っていた人間達を一瞥した後即座にそう言い放った。

正に予想通りの反応に、綱吉は口元を引き攣らせ、頭痛を覚えながらも何とか声を上げ宥めにかかる。

 

 

 

「いや、そんな仕様ありませんから。もう日付も決まってるんで無理です」

「ああそう。じゃあ降りる」

「だから駄目ですってば、……っ雲雀さん!骸も何とか言えって!」

「そうですね……僕としても少々不愉快ではありますが、仕事と言われれば仕方ありませんし」

「何言ってるの?こっちから願い下げだよ、君との合同任務なんてね」

 

 

 

ああ、やっぱり。骸に説得させようとか一瞬でも思った自分が馬鹿だった。火に油を注いだようなものだ。

お互いに睨みあいながら軽口を応酬し始めた二人を止めようかどうか、暫し迷う。全然止められる気がしない。

 

そもそもこの仕事からして無理な話だったんだよな、と綱吉はあらぬ方向を見つめながら数日前のことを思い出す。

あの日、突然降って湧いた仕事を割り振る為皆のスケジュールを調べたのだが、丁度空いているのがこの二人だけ。

骸には出張から帰ったばかりという急な任務になったが、守護者にしか任せられない件なのでどうしようもなかった。

 

もちろん、今までだって雲雀と骸が同じ任務を請け負うことはあった。しかし二人きりなのは本当に初めてである。

 

 

(……ぶっちゃけると内容は敵の殲滅だから、多少いざこざがあっても大丈夫、だよ、な……?)

 

 

とまあそんな希望的観測を基に二人別々に辞令を出して、ここに集まってもらったという話なのだが―――。

 

 

 

「そういえば、恭弥君。君の幼馴染に逢いましたよ」

「………聞いてる。あのパイナップル頭の変態はどんな神経してるんだって怒ってたよ」

「君の主観が混じっている気がしますが、……まあいいでしょう。思った以上に楽しい方でしたね、それに」

 

 

 

いつの間にか話は任務のことから、のことへと変わっている。あの事件からめっきり顔を合わせなくなった。

それに追随するかのように、ハルまでも姿を現さない。彼女の作るお菓子はいつだって楽しみだったというのに。

 

いや今はそれよりも、骸がに対してちょっかいを掛けている……これからも掛けるつもりである、ことが問題だ。

油断してかかると全く思いもよらぬ方向から足元を掬われると―――忠告しておくべきだろうか?

 

 

 

「初対面なのに一発で幻覚を見破られてしまいましたよ。クフフ、かなりの最高傑作だったんですが」

「へぇ、良かったね。どうせろくでもない悪趣味なやつだろうけど」

「………君に人の趣味をどうこう言われたくはありませんね」

 

 

 

未だに着メロを並森の校歌にしているでしょう、と更に話が脱線しつつも言い合いは終わる様子を見せない。

ここで下手に関わって火傷するのはごめんだとばかりに、綱吉は遠い目をしながら最後の確認をする。

 

 

 

「ねえ、二人とも。来週……だからね?絶対行ってよね?!」

 

 

 

聞いているのかいないのか――――恐らくは後者だろうと分かり切っていたけれども。

 

 

 

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